上々堂(shanshando)三鷹

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2009年 05月 10日

古本屋の経済学 なんで(株)にしないの 

前夜の睡眠で疲れが抜けきらない朝など、開店前の
店の帳場に座って、コーヒーを飲みながら棚を見渡し
「いやぁ、いい店だなぁ」と自己満足に浸ることがある。

なんだかみっともない話で、本当はもっと批判的に
見なきゃいけないんだけど、でも基本的に自分達の
センスで集めた本が、自分達の手作りの棚に並んでいる
さまには独特の喜びがあって、そんな喜びにでも
浸っていなければやっていられないというのが実態なのだ。

「なんで株式会社にしないの?」という行きずりのサラリーマン氏の
言葉に答えるべく、いや、それを契機に自分でなんでこの
非効率な商売をしているのかということを考え始めたわけだけど。
なんだか観念に頭を占領されてしまって、どうしても話が
へんな方向に行ってしまう。

へんな方向はへんな方向でそれはけっして嘘ではないの
だが、迷い道をしていると一番書きたいことを逃してしまう。
それで、書き直しなわけだけど…

          ●●●           

僕が(いきなり主語が変わりますが)二十代の初めだった
1980年ごろ、晶文社から「就職しないで生きるには」 という
シリーズ本が刊行されて、それはまさに僕の気分にぴったりくる
趣旨だった。

僕が生まれたのは1960年で、物心ついてから思春期にいたる
世相は、例えば水俣病やイタイイタイ病などの公害問題だったり、
ベトナム戦争だったり、ロッキード事件のような政治腐敗だったり、
とにかく社会というものに子供ながらの疑問を抱かざるを得な
いような時代だった。
傍に居た大人たちといえば、戦前生まれで、何かと言うと暴力を振る
う父親とか、綺麗事を言うくせに何処か信用するに足りない教師たち
とかばかりだったものだから、はっきり言ってそういう社会の歯車に
自分がなると思うとゾッとする…という感じで、就職なんて一番忌む
べきものだと思いながら育った。

こういうふうに書くと、自分を時代とか環境の被害者のように思ってる
と思われるかもしれないが、偶々そういう時代に生まれた僕が体が
虚弱で集団行動に常に遅れ勝ちに育ったものだから、学校や地域
社会でも常に仲間はずれの弱虫で、だから常に弱者にシンパシーを
感じていたといえば聞こえはいいけど、早い話世の中を斜に見ることで
巧くいかない自分を正当化しようとしていたのだろう。
とにかく、僕は普通の就職をするのが嫌だったし、そうなるのが怖くも
あった。
父は自分もそうだったように、僕を田舎町の公務員にしたいと思ってい
た。田舎では縁故がものを云うから望めば僕の能力はどうあれそれは
果たされていただろうけど、恐らくそうしていたら僕は取り返しがつかな
いほどの人格破綻をおこし、犯罪者にすらなっていたかもしれない。

普通の就職を忌避しながらも、当然働かなければ生きていけないのは
重々心得ていたから、
「こんな自分はいつか食い詰めて死んでしまうに違いない」という
絶望的な悲観が何をするにも先にたって、とても大志を抱くというような
事は出来なかった。
大学をドロップアウトして上京し、様々な仕事を転々としながら
どこにも居つけずフラフラしている頃、住んでいた街のある露地裏を
昼過ぎに通りかかると、朝からの仕事が一段落したパン屋の職人さん達
が煙草を喫いながら談笑しているのをよく見て、心底うらやましく思えた。
あの輪にだってきっと徒弟制とかそういう組織があるに違いないけど、
所謂会社と言うものから当時の僕が想像していた堅苦しさは、そこには
見えなかったし、もしあったとしても技術を身に付け独立すれば
もう誰にも煩わされずに生きていけるに違いない。
今考えればまったく「隣の芝生は…」というやつで、職人として独立する
ことの厳しさ、同時に経営者でもあらねばならない辛さなど全然考えて
いなかったわけだけど。ともかく、僕もいつかはああいう独立独歩が可能
な職業につきたいと思った。

思いつくのも思い込むのも、簡単だし容易でもあるけど。実際にそれを
実現するのは難しい。第一不器用だから職人なるということがまず無理
そうだし、これなら自分にピッタリという職業が思いつかない。
当時の僕は様々な職業を転々としながら、いわゆる舞踏というダンスを
やっていて、それはもう本当に非効率の極地みたいな世界なのだけれど、
そこに根を置いていることで漸く自分が自分でありえるような安心があって、
性格上完全なナルシズムを持てないからダンサーとしても適性はなかった
のだけれど、とにかく他の何者かになる自信がないままにだらだらと自称
ダンサーでありつづけていた。
その頃の体験や交友は今に生きているし、人生って結構無駄が無いもん
だなと今は思うけど、とにかくこのまま居るわけにはいかないとその当時は
常に焦っていた。

当時、ダンサー以外に僕が体験した職業は、どれも浮き草稼業で、周囲の
人間はぎりぎりのところで社会にへばりついているようなアウトロウが殆ど
だった。ヤクザ、風俗嬢、右翼、務所帰り、インチキ芸能プロデューサー、
ノミ屋、テキ屋。政治家と不動産屋はいなかったがこれが揃えば日本に
生息しているろくでなしの展覧会が出来るくらいのもので、食わんが為に
そういうところで生きているうちに、僕はなんとなく少しだけ強くなっていた。

そうして僕は34歳の時、はじめて古本屋の店を開くのだけれど、この続きは
また明日。

ちなみに、これのどこが経済学だ。「ただの履歴書やんけ」というご意見も
あると思うが、冒頭でてきたサラリーマン氏の疑問のなかに
「へぇー、今の日本にまだ個人経営ということをやってる人がいるんだ。」
という言葉があって、僕としては自分の体験をサンプルに何故経済効率の上
からは、まさに非効率で且つ向上性の薄い事業を敢えてやる人間がいるのか
を語り、何故日本中の古本屋がブックオフにならないのか?を説明したいと
思っている。
そのことにどんな意味があるかはやってみなければわからない。
ただ市場経済優先の世の中で、十年後はマイノリティーになっているかもしれない
個人経営古書業者の意地を書き残したいだけなのだ。
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by shanshando | 2009-05-10 13:58 | ■原チャリ仕入れ旅■


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