上々堂(shanshando)三鷹

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2009年 05月 20日

作家の懐具合

一体日本には今何人ぐらいの作家がいるんだろう?
いやそのまえに作家の定義は?
人形作家に映画作家、陶芸作家、劇作家にノンフィクション
作家……物さえつくっていれば作家なわけで、大根を作っている
お百姓さんは大根作家だし、ジャガイモを作っていればジャガイモ
作家、子作りが好きなら子作家。

なんとなく作家という言葉で私などがまず思い浮かべるのは
小説家で、今の場合もやはり文学作家小説家というような意味
あいでで云ったのだが、それだけに区切っても自称、無名、
マイナーなど含めれば相当の数の作家がこの国には生息して
いて、駅前で石を投げれば作家にぶつかるというほどでもない
けど、神保町あたりの雑踏なら結構いい確率で作家を仕留める
ことができるかもしれない。

「ちょいと、神保町行って作家を2、3匹生け捕って来ておくれ、
明日の味噌汁の具にするんだから」なんっちゃって…

それはいいとして、なんで作家の数なんか急に気にしているのかと
いうと、昨日松下竜一「底抜けビンボー暮らし」を読んだからである。

松下竜一は2004年に他界した小説家で、終生を大分県中津の
生家で過ごした。自費出版した句集「豆腐屋の四季」が1969年
講談社から出版され、翌70年には家業であった豆腐屋を廃業
以後市民運動に従事しながらノンフィクションの作品を中心に
発表しつづけた。
はっきり云って、売れたのはデヴュー作の「豆腐屋の四季」だけだ
と言われるが、古本屋としての実感から云えば、東アジア反日武装戦線
「狼」を描いた「狼煙を見よ」が一番流通しているように思える。

こういうふうに書くと、右翼な人びとは「なんだ左巻きか?」など
安直な蔑視をする昨今だが、人間を簡単に色分けしたがるのは、
頭の構造が単純な証拠である。

確かに松下竜一の視点はつねに弱者よりにあったから、そういう
人は今のネット右翼諸君の単純な頭の構造では即「左巻き」と
いうことになるらしいが、それが元来おかしい。
松下竜一が関った市民運動の多くは環境保護関係で、「産土」を
汚し、「たたなづく青垣山」を破壊する大資本に敵対するそういう戦
いは、本来右翼民族派の本分ではないのか?

多くの地方在住の作家がそうであるように、松下竜一も文筆から
得る収入は実に僅かなものであったという、年収120万に届かな
いことが殆どで、源泉徴収された税額は毎年ほぼ全額還付された
らしい。一度だけそれを越したことがあってその年は一応納税した
というが、それも一万円に満たない税額で、それでも驚天動地の
出来事であったらしく、そのことは新聞に報道されたらしい。

年収120万以下で妻と三人の子供を養っていたというから、その
貧乏ぶりは想像を絶する。
イヤ、ただ収入が低いだけならそう珍しくもないが、私が感動した
のは、そうした極貧にあっても彼が作家としての仕事以外一切
しなかったということだ。普通こういう場合学校の先生をやったり、
図書館に勤めたり、そうする資格がない場合は古本屋をやったり
してなんとか収入を得ようとするものだが、体が弱かったせいも
あってか一切やらない。11歳若い奥さんもパートなどに出て行く
ということはしない。
毎日、午後四時から犬を連れて夫婦で河岸を2.3時間も散歩
して河口でカモメにパン屑なんかやっている。
アルバイトはしないのに、金にならない市民運動には時間と労力
を惜しまない。「草の根通信」というミニコミを380号出し続けた。
三人の子供名前をつなげると「カン・キョウ・ケン」になる。

最近はそういう市民運動に関る人を「プロ市民」などと言って、やはり
蔑視するそうだが、この本を読む限り、少なくとも彼らのやっていた
市民運動はおよそ「プロ」らしくない。
他の市民運動の人たちがどうなのかは知らないが、私の常識で云
えばそれがどんな事であれ、「プロ」というのは確実に仕事の成果
を挙げる人、あるいは少なくともそれを目的とし、合理的な手段を
実行する人を言うと思うのだが、彼らの運動はあらかじめ失敗する
ことをおりこんでやっているように思える。

例を挙げれば、電力会社に原発を辞めさせるためにみんなで金を
だしあってその会社の株主になり、総会に乗り込むのだが、やり方が
紳士的すぎて結局目的を果たさない。こんなお粗末な「プロ」はいない。
せっかく総会に出る権利を得たなら、総会の日までに会社や経営陣
のスキャンダルを調べ上げ、スキャンダルがなければ創ってでも足元
を掬うぐらいのことをやらなければ、金儲けが目的で集まった他の
株主達の意見を取り込むことなど無理に決まっているではないか。
銭の亡者は銭の亡者なりに必死なのだ。

そういう自分と価値観を異にする人間の思惑にまで思いを致せない
ところが、この作家の作家としての限界だと言えば限界なのかもしれ
ないが、見方を変えればどんな分野であれ作家の個性というのは、
一種の視野狭窄の所産だと言えなくもないから、作家としての
松下竜一はそれでいいのかもしれない。

自分の弱さを重々知り尽くし、けっして無理をせず、それでいながら節
を曲げることもしない。結果から物事を考えず、どこまでも着実に過程
を踏んでいく、そういうやり方は忙しない小商売人の私にはとても
真似できないやり方で、(古本屋に限らず、古物商売というのは常に
結果を想定してからしか動かないものです。)金がなくても泰然と
夫婦二人で散歩をする光景を想像すると嫉妬さえ覚えるが、今更
生きなおすわけにもいかないので一生私はおそらくこのまま。

金には縁がないままに死んでいった作家の本はその殆どが絶版で、
あるものには本人が聞けば驚くような古書価がつく、それとて一般的
な絶版図書の古書価としては高いほうではないが、なにしろご本人
は普段2、3万の講演料をある時25万といわれたのにビビッて、自分
から交通費込みの15万に値下げしちゃうようなお人だから、どうかす
ると都会のサラリーマンなら、碌に仕事も出来ないような小僧の一晩
の遊び代にも足りない金額にすら、高すぎると言って古本屋に化けて
出かねない。

貧乏作家松下竜一の作品は、売れなかった作家には稀有の全集となり
(実際は全作を網羅していないので全集とはいっていないが。)全
30巻が河出書房新社より出ている。ちなみに値段は89,985円。
貧乏、貧乏といっても松下竜一はまだ恵まれている。一部の流行作家を
のぞけば日本の作家の殆どはアルバイトしたり、誰かに寄生して糊口を
凌いでいるに違いない。自分の店の棚に並んだ本の背表紙を見ながら
古本屋はしみじみ思うのであった。
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by shanshando | 2009-05-20 18:39 | ■原チャリ仕入れ旅■


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