上々堂(shanshando)三鷹

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2005年 07月 09日

古本屋の掃苔帖 第一回 森鴎外

鴎外忌の今日思い立って、このブログで掃苔帖を
始めることにした。
その日を命日とする人の事を書き綴るのである。
半ば以上私自身の古本屋としての勉強の為であるから、
主観を排するつもりであるが、情報の取捨選択等にどう
しても主観が顔を出すかもしれないがご容赦されたい。

第一回の今日7月9日は、鴎外森林太郎。

まず、大正11年という年はどういう年であったか?
2月にジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』が刊行。
4月スターリンがソビエト共産党書記長に就任、7月
には堺利彦などによって日本共産党が結成されている。

森家では長男於兎と長女茉莉が渡欧、次女杏奴が4月
に仏英和女学院に入学、次男類は未だ11歳である。
於兎と茉莉にはすでに孫も出来ているが、人一倍子煩悩
な鴎外は子孫の行く末を案じていたのではあるまいか?

5月初めから病臥することが多くなり、6月29日萎縮腎
肺結核の診断がでている。
7月7日天皇皇后より葡萄酒を下賜、続いて8日摂政の宮
すなわち後の昭和天皇より見舞を受けたが、9日午前7時
死去。渡欧中の娘茉莉には知らせるなと遺言したらしいが
手違いから、結局茉莉は倫敦のホテルで危篤と訃報の両方の
電報を受け取っている。
岩波書店の『鴎外全集』の年譜には、「薨ず」と記されてい
るが、これは8日の摂政の宮の見舞いの折、従二位に叙せられ
た為である。三位以上は「薨去」なのだそうだ。貴族好きだっ
たという鴎外は死の床で「これで俺も『薨去』だ。』とほくそ
笑んだのだろうか?

墓所ははじめ向島・弘福寺で、現在 三鷹・禅林寺にある墓は
昭和2年に改葬されたもの。墓碑の文字は洋画家 中村不折。

ちなみにこの年、水木しげる、山下清、瀬戸内寂聴、中内功など
が生まれている。
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by shanshando | 2005-07-09 22:36 | ■古本屋の掃苔帖


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