1964年、日本競馬史上二頭目の三冠馬に輝き、
さらに翌年秋の天皇賞と有馬記念を勝利し、
史上初の五冠馬といわれたシンザンは、現役引退後
種牡馬としてもミホシンザン、ミナガワマンナなどの重賞馬
をおくりだし活躍した。
その産駒の重賞勝利数は50勝になり、トウショウボーイの
43勝を上回り、国内産馬最多を記録している。
さらに1987年に引退後は1996年まで生き、日本サラブレッド
の長寿記録も更新している。
死後は盛大な葬儀がおこなわれ、テンポイント以来となる土葬
が行われた。日本の競走馬で土葬がおこなわれたのはこのほか
マルゼンスキー ナリタブライアン パシフィカスの三頭だけ。
シンザンが最後の時を送った北海道浦河町 谷川牧場では、
シンザンの銅像を造り、ホームページに
写真を揚げている。
1996年の明日老衰のため死亡。
享年35歳3ヶ月と11日。