上々堂(shanshando)三鷹

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2005年 08月 07日

古本屋の掃苔帖 第二十四回 内田吐夢

戦前、「人生劇場」や「限りなき前進」をはじめ
とする数々の名作で大監督の名を欲しいままにし
ていた内田吐夢は昭和20年、映画を撮りたい一心
から満州に渡る。
甘粕正彦が理事長をつとめる満映に希望をたくした
のである。しかしこの希望は叶う事なく、それから
ようやく帰国した昭和28年の翌年「血槍富士」を
つくるまでの九年間、内田吐夢の映画人生に大きな
空白があく事になる。
戦前の作品は傾向映画といわれ、戦時中には国策映画
を撮り、戦後は時代劇で名を売ったこの映画作家は、
一見無定見のようだが、各時代の作品に通底している
ものが無くもないように思える。
定見やイデオロギーなどなくても、映画が面白ければ
いい。
時代の風潮に流されやすい彼だから、庶民の目線で映画
が撮れたということだろうか?

とにかく、映画撮りたくてあがいた末に映画が撮れなか
った時期を強いられ、昭和30年代に再出発した内田吐夢は
また次々と名作を生み出す。
「血槍富士」「大菩薩峠」「浪速の恋の物語」「飢餓海峡」。
そして、アイドルだった中村錦之助の成長に合わせて一年
一作ペースであえてつくったという「宮本武蔵」のシリーズ。
その五作め「真剣勝負」の撮影中、心臓麻痺で倒れる。
すでに彼の身体は肺結核と胃癌に冒されていたのだ。
執念と言うべきか、それでも彼はこの遺作を病室で編集して
完成させている。
昭和45年8月7日死亡する、享年72歳。
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by shanshando | 2005-08-07 00:18 | ■古本屋の掃苔帖


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