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上々堂(shanshando)三鷹

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2005年 08月 09日

古本屋の掃苔帖 第二十六回 市村俊幸

えーと、ちょっと事情がありまして、
本日は今日つまり8月9日が命日の市村俊幸さんに
ついて書きます。
有態に言うと日にちを一日勘違いしてたのです。
昨日から、市村氏関係の本を図書館で探しまくって、
ようやく二冊読破、感情移入したところで間違いに気が
付いた。馬鹿な、そして暇な古本屋である。

しかし、有難いというか便利な世の中で、私はこの
市村俊幸という人について、幾つかの芸人ものの
本で名前をみた記憶と、映画「幕末太陽伝」と、
「生きる」で観た経験があるだけなので、詳しいことは
何も知らなかったのだが、本とコピューターがあれば
一日も勉強すればあらましは見えてくる。
どれだけその人物を理解できるか、というような事は
出来ないまでも、古本屋としてお客様の会話について
行ける程度の知識はなんとか得られる。

さて、市村俊幸であるが本業はやはりジャズピアニストという
べきなのだろう。
映画俳優でもあり、コメディアンであり、ダンサーでもあったが
色川武大の「なつかしい芸人たち」によると、一時マスコミから
姿を消した時代も、そして晩年も新宿の[BOO`s]というピアノ
バーでピアノを弾き続けていたらしい。
店名の由来でもある「ブーちゃん」というのが彼のニックネームで
その名の通り太っていた。(ただし晩年は糖尿で痩せたそうだが)
今もデブ系のタレントは多いが、テレビというメディアに限れば彼が
元祖のようである、NHKの専属タレント第一号なのだ。
色川武大の芸人物の本は、どれも他の著者とは違う視点で書か
れており、登場する人物もけっして一流どころに限られなかったり、
描かれているエピソードもスゴク人間臭かったりで、そこが面白い
が、この市村に関しても彼一流の愛情のこもった視線で見つめ、
描いている。
読んでいて気になった名前が矢田茂という名前だ。市村の人生で
色々な意味で大きな存在であったらしいが、恥ずかしながら私は
この人についてはそれこそ市村について以上に知らなかった。
そこで、二人の関係について少しでも判る本を探して、窪田篤人
「新宿ムーラン・ルージュ」に行き当たった。
この窪田という人は森繁久弥の「七人の孫」の脚本家だった人だが
若いころ、ムーラン・ルージュで森繁や由利徹、そして振付家である
矢田茂、ピアニスト市村俊幸と共に働いた人で、その頃の思い出を
少し小説調に書いたこの本では色川の本とは違う角度から見た市村
と矢田が見える。

追いかけだし、読み続けると面白くキリがなくなるこのへんの人脈の
逸話だが、矢田茂は、窪田篤人はまた別に追うとして、
とにかく市村俊幸は一度芸能界の表舞台から姿を消しつつも、その
才覚を惜しまれ晩年役者として復帰、尾上松緑(先代)とも共演する
などして再び脚光をあび、そして前述した[BOO‘s]でのピアノ演奏
も続けて、昭和58年8月9日脳出血と糖尿病の合併症でこの世を
去った。享年62歳。

by shanshando | 2005-08-09 18:03 | ■古本屋の掃苔帖


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