上々堂(shanshando)三鷹

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2005年 08月 12日

古本屋の掃苔帖 第二十八回 西條八十

「(唄は世につれ、世は唄につれ、隣りの婆さん孫をつれ。)
てぇーますが、唄は世につれますが、世は唄につれませんな。」
というのは、川柳川柳師の新作落語の名作「ガーコン」
の語りだしであるが、まさにその通り、ごもっとも。
唄は人が作るものだから、当然世相を反映するが、その
逆はないだろう、たぶん。
いくら、西條八十が「出て来いミニッツ、マッカサー出てくりゃ
地獄へ逆落とし」という唄を作ったからって、「よおし、ほんじゃ
一発逆落としを」なんて、当時の日本人が思ってたとは思えない。
戦争はお偉い奴等が勝手に決めることで、被害を蒙る庶民としては
まぁ景気づけに、そんな与太でも唄ってなきゃもたなかったんだろう。

童謡作家としてスタートして、様々な名曲をものにした後、戦前
戦後を通して西條八十は流行歌の作詞者として売れに売れる。
そのほか、株で大儲けしたり、大損したり、天麩羅屋やったり、早稲田
の教授になったり、仏蘭西に行ったり、忙しい人生だ。
色事も相当なものだったらしい、それだからあれだけの流行歌を生み
出せたのだろう。有名な「東京行進曲」の「いっそ小田急で逃げましょか
。」という歌詞は、仔細あって女性と二人でベッドの下に隠れていた時
(どんな仔細だ?)女性が言った言葉らしい。粋なもんだ。

私が持っている講談社の近代文学人名事典は、八十について一ペ
ージ半も費やしながら、流行歌作詞者としての業績について、ただの
一行も触れていない。父親が質屋と石鹸屋をやっていたとかどうでも
よさそうな事は書いている癖に。

今回、読んだ本は前出の人名事典のほかに斉藤憐の「ジャズで踊って
リキュルで更けて」。「昭和不良伝」というサブタイトルがついている。

戦後もヒット曲をバンバン作詞して、昭和45年8月12日心不全で死去
享年78歳。

自伝の中で彼は。「文名を不朽に残さうなどと思ったことは嘗て一度も
ない。」と書いている。他の人間なら開き直りと、とられかねないこの台詞
が、彼の場合充分な説得力を持って聞こえる。
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by shanshando | 2005-08-12 00:52 | ■古本屋の掃苔帖


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