上々堂(shanshando)三鷹

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2005年 10月 07日

古本屋の掃苔帖 第七十三回 岩堀喜之助

岩堀喜之助と聞いて、アアあの人とすぐにわかる人は
あまり沢山はいないだろう。
週間「平凡」「平凡パンチ」などの、平凡出版株式会社の
創立者である。百科事典をだしている平凡社とは別会社。

大逆事件が起こった明治43年に岩堀トメの私生児として
神奈川県前川村に生まれ、まもなく、母の兄、岩堀末吉と
いう馬力引きの養子になっている。「馬力引きとは運送業
者である。けっして裕福な家ではなかったようだが、恩師
の助力などに恵まれ、明治大学を卒業、昭和8年時事新
報社の記者になるが、まもなく時事新報は東京日々新聞
社に吸収合併され失職、花嫁学校の講師を経て、北支派
遣軍の宣撫班に志願して、大陸に渡り帰国後の昭和18
年大政翼賛会宣伝部の事務員になっている。

さて、この大政翼賛会である。
雑誌「平凡」の創刊号は昭和20年11月25日発売である。
終戦からわずか三ヶ月、印刷用紙は極端に不足していて、
割り当て制だった。何故、そんな時に新雑誌が創刊できた
のか?
大政翼賛会の縁故なのだ。「陸軍画報」という雑誌の持っ
ていた三万部の割り当てを名義を変えるだけで、流用した
のだ。要領のいい男である
同じ頃、大政翼賛会宣伝部には花森安治やデザイナー山
名文夫なども在籍していて、親分は岸田国士だった。
山名がデザインした「あの旗を打て」というポスターはみごと
なものだったという。
ここでの経験が戦後いち早く、徒手空拳の岩堀にこれから
は雑誌の出版だと思わせ、持ち前の行動力を雑誌「平凡」
の出版に立ち向かわせたのであろう事は想像に難くない。

岩堀の長女新井恵美子氏の「腹いっぱい食うために―『平凡
』を創刊した父岩堀喜之助の話―」を読むと、この日本人には
珍しいぐらいの楽観主義的ヴァイタリティーの持ち主の人とな
りがよく伺える。
こうした創業者の人柄が今も続くこの会社の社風にに脈々と続
いているのだろうか?

岩堀喜之助は昭和57年10月8日、癌のため72才で亡くなり、
翌年平凡出版株式会社はマガジンハウスと改名する。
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by shanshando | 2005-10-07 23:31 | ■古本屋の掃苔帖


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