上々堂(shanshando)三鷹

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2005年 10月 21日

古本屋の掃苔帖 第八十五回 中原中也

結核に罹りやすい家系というのがあるようだ。
中原中也の家族は、四人までが結核で夭折しており
遂には中也自身もこの病で死んでいる。
次弟亜郎 三弟恰三 長男文也 そして中也の死後
次男愛雅も。
先立った者たちは、幼い姿のまま中也の胸の内に棲処を
かえ、中也に歌わせる。
そのためか、中也の詩には童子の視点があるように思える。
実際に見た目も童子のようで、身長が150センチあまりの
短躯の上に虚弱な首と眼の大きな丸顔を載せて、家々の軒
よりもやや上のあたりに眼を漂わせて歩いたという。

大岡昇平が始めて中也に会ったのは、東中野にあった小林
秀雄の家だった、その夜は中野桃園の中也が借りていた部屋
に泊まり、その後も一緒によく西荻窪や高円寺あたりを歩い
たと、大岡昇平は「中原中也の思い出」という文章に書いている。

中央線沿いにもう四半世紀近く棲んで、若い頃はまさに暇を
持て余しプラプラしていた私には、彼等の気分がわかるような
気がする。
中也は田舎育ちらしい朴訥さで、飲食店の人や客によく話しか
けたという。人口の大半が外来者で占められている、この地域
は今も昔も田舎者に優しい。
あまり優しいので、うかうか時を過ごしてしまって、気がつくと
志を忘れ古本屋の親父になっちゃってたりするほどに。

話が逸れた。
昭和11年文也が死んだ後、神経衰弱になった中也は翌年1月精神
病院に入院、2月に退院後鎌倉扇ガ谷に転居、夏、帰郷を決意し、
詩集「在りし日の歌」の原稿を小林秀雄に託すがその刊行を見る
事なく、10月22日結核性脳膜炎で死亡している。
その「在りし日の歌」の後書きで東京への別辞を書いている。
「さらば東京、おおわが青春」
享年30歳、まさに青春の終焉とともに人生の幕も引いた。

さて明日の命日はちょうど土曜日、中也を忍んで中央線散策など
されてはいかがですか。
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by shanshando | 2005-10-21 22:31 | ■古本屋の掃苔帖


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