上々堂(shanshando)三鷹

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2005年 11月 11日

古本屋の掃苔帖 第百一回 島尾敏雄

昭和19年11月、27歳の島尾敏雄は海軍特別攻撃
隊第18震洋隊島尾部隊の指揮官として奄美群島加
計呂麻島呑之浦に赴任した。
震洋とはいわゆる有人魚雷である、ベニヤ製の玩具
のような代物でしかも格納庫の洞窟の湿気でかなり
ガタがきていた。そんなもので鋼鉄製の戦艦を撃沈
できるものなら、パチンコでB29が落とせただろう。
そういう異常に稚拙な計画をたてた奴も馬鹿なれば、
その乗員に志願する人間もどこか狂っているといわ
ざるをえない。
戦争というものは愚かな、というよりこうなるとむしろ
滑稽にすら思えてくる。

結局出撃命令が出ないまま終戦を迎えた島尾は、こ
のような悲喜劇を演じさせられた代償とでもいうように
彼のその後の人生に大きな位置をしめる二つの出会
いをここでしている。ひとつは後に妻となる大平みほ
との出会いであり、もうひとつはその土地奄美群島
そのものである。

昭和38年妻みほの病気を契機にこの島に移住した
島尾はほぼその人生の三分の一に近い歳月をここ
で過ごした。
小川国夫は「回想の島尾敏雄」のなかで、「彼も風景
に眼を浸しているのが好きらしかった」と書いているが
島尾にとって晩年の著作の中心課題となった「ヤポネ
シア」「琉球弧」で彼はどんな風景に眼を浸していたの
だろう?島尾文学のファンなら一度は見てみたいもの
である。

2001年、公開されたロシアの映像作家ソクーロフの
「ドルチェー優しく」では、島尾の死後再び島に戻った
夫人みほさんと奄美の島が描かれている。

島尾敏雄は、昭和61年11月12日出血性脳梗塞のため
死亡している。享年69歳。
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by shanshando | 2005-11-11 16:45 | ■古本屋の掃苔帖


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