上々堂(shanshando)三鷹

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2005年 12月 03日

古本屋の掃苔帖 第百二十回 中島敦

こうやって、毎日次の日に死んだ人の事を書いていると、
時に期せずして不思議な連鎖に気付く事がある。

昨日、書いたロバート・ルイス・スチーブンソンが大洋州
の西サモアに没してから、ほぼ半世紀の後、西サモアから
北北西にあたるパラオに今日の主人公が訪れている。

中島敦は、1941年奉職していた私立横浜高女を健康上の
理由から辞し、転地療養の思いも含みながら、当時日本
の植民地であったパラオの南洋庁に現地人に日本語教育を
押し付ける教科書作りの書記官として赴任している。
内地には愛妻と愛児を残しており、名を挙げ裕福になって
から西サモアに移住したスチーブンソンとは随分違い。すで
に作家としてデビューしていたとはいえ、中島の南洋行には
どこか人生に血路をひらかんための藁にもすがらん必死さを
感じる。
結局、持病の喘息が悪化して、一年で東京に舞い戻る事にな
るが、全集に見るこの間の作品や書簡には、「山月記」や「
李陵」には見られない中島の一面が覗け興味深い。
1942年すなわち昭和17年3月に帰国して9ヶ月後の12月4日
33歳で他界している。
母親を早くに亡くし、父親や義母との関係に悩み続けた彼にと
って、まさにかけがえのない存在だった妻や子供との別れを、
もしかすると早めただけかもしれない南洋行を末期の彼は悔い
ていただろうか?
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by shanshando | 2005-12-03 21:57 | ■古本屋の掃苔帖


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