2006年 02月 05日
1978年生れの家人に、「赤尾敏って知っている?」と 聞いてみたところ。「?」という返事だった。 「『赤尾の豆単』の赤尾好夫のお兄さんだよ。」といって みたところ、やはり「?」。その世代になると『豆単』も 使わなかったらしい。ということは、一円玉の原板を造っ ている「アカオアルミ」のことなど聞くだけ無駄だろう。 一円玉は使うだろうけど。 数寄屋橋の街頭から赤尾敏の姿が消えてもう20年近くなる。 選挙の度に常連で出ては、落選を繰り返す行為も今は、なん だか知らないが戦国時代の武将の名前をそのままつけたような おじさんに取って代わられた。 かねてから疑問だったのだが、日本の赤尾と同時代の他の右翼 は、たとえば笹川良一や児玉誉夫のように金と権力を欲しいま まにしている人間が多いのに、彼一人が貧乏くじをひいたように 窮乏の中で糠に釘を打つような行為を繰り返していたのだろう? 調べてみると、それはどうやら彼の思想遍歴に原因があるらしい。 1925年に左翼から右翼に転向した彼は、戦前戦中を通じて一貫 して親米派で太平洋戦争にも反対の立場をとっていた。 戦時中、他の右翼が現官房長官安倍晋太郎氏の祖父岸信介などと のコネクションをつくり、それが戦後の黒い人脈へと繋がって行 く中で、その当時から反体制右翼であった彼は、その人脈から疎 外されたのだ。戦後も一貫して大物右翼の中で一人、天皇の戦争 責任を認めていて、その点で三島由紀夫と通じるところがあった ようだ。(ただ三島がアメリカを否定するところが合わなかった らしい) 右翼というと、誰でも思い出すのが大音量で軍歌などを鳴らして 走って行く街宣車であるが、あれの発明者も赤尾敏であるらしい。 あのおかげで、誰もが右翼は怖いというイメージを持っていて、 日本では天皇制の廃止などの議論が公にされることはない。 戦争責任は問うても、天皇制自体はもちろん指示信奉していた彼 は反対意見に対する日常的な恫喝をもって、皇室の存続に尽くし たわけである。 雅子様や紀子様のお美しいお暮らしも、愛子様のお可愛らしいご 様子も街宣右翼のみなさんの恫喝によって守られて行く。 異色の右翼活動家赤尾敏は1990年の明日、2月6日享年91歳の 大往生をとげる。
by shanshando
| 2006-02-05 14:34
| ■古本屋の掃苔帖
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