2006年 02月 07日
明治45年の5月に夏目漱石は、長塚節に乞われて長編小説「土」 に序文を寄せている。 「土」はその二年前に当時朝日新聞に在籍していた漱石自身の依 頼で連載をはじめた物だったのだが、漱石自身はすぐに体調不良 で退社。連載中読者にも社内にも不評であったものを主筆であった 漱石の盟友池辺三山が反対意見をねじ伏せて、遂に完結までこぎ つけたものである。 不評の理由の多くは、この小説が近親相姦に触れたものである事 にあったようだ。おまけにそれは漱石も序文で触れているように、展 開が甚だ緩慢で描かれている世界観が暗い。 「我々にはこんなものを読む義務はない」とわざわざ漱石のところに 苦情を言ってきた文士もあるという。漱石は江戸っ子らしく「読みたく なけりゃ、読まないがいい、わざわざ断ってくる必要などあるまい」 と居直っているが、しかし新聞小説というものの性格上この文士の 苦情も判らないではない。 それでも尚、やはり偉いというか尊ぶべきは、漱石であり池辺三山 の硬骨だろう。 「けれども余は‥‥面白いから讀めといふのではない。苦しいから 讀めといふのだと告げたいと思つて居る。‥‥知つて己れの人格の 上に暗い恐ろしい影を反射させる爲だから我慢して讀めと忠告したい と思つて居る。」漱石は序文のなかで、自分の娘が成長したらこれを 読ませるつもりだと言って、以上のように書いている。 連載当時の不評から敬遠されつづけた「土」は、漱石の4000字にも 及ぶ序文を得て、明治45年5月に春陽堂から出版、のちに縮刷版も 出され、現在はまた岩波文庫版も絶版であるが、その間時代を超え て広く読まれた証拠には、古本屋の店頭では多く見かける小説のひ とつである。連載151回にわたる長大な作品の全編に子規門下で、 ひたすら写生和歌を極めた長塚の自然描写の精緻が生かされ、それ が時代を超える命を作品に吹き込んでいる。 「土」出版のその年、長塚は咽頭結核の治療のため、漱石に紹介さ れた九州大学の医師のもとに入院して、一度は快方に向かっている が、再発加療を繰り返し大正4年の明日、2月8日35歳で死んでいる。 遺著となった歌集「鍼の如く」は、多くの傑作を含み、歌に対する考え 方の違いを超えて後の「アララギ」の人々にも影響を与えた。
by shanshando
| 2006-02-07 17:34
| ■古本屋の掃苔帖
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