上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 02月 17日

古本屋の掃苔帖 第百八十四回 岡本かの子

世の中には、常識がなによりと思っている人間がいるもので、己が
信じる常識を墨守するためには、親をも子をも殺しかねないなどと
いうのがざらに居る。中々手ごわい連中である。
しかし、一番実は剣呑なのは普段他人の非常識や狂気に理解が
あるような顔をしている奴で、こういう奴らは一端敵に回すと実に陰
険に攻め立ててくる。
一番穏当なのが、常に他者に何が常識なのか訊いてから行動する
過半数の人間だが、これも衆を恃むと恐ろしい化け物になる。

ようするに世の中みな狂人ばかりで、自分もその一人に違いないの
だが、波風を好まず穏当に生きたければ過半数の中に潜り込むのが
一番だが、そうしていても、生まれ付いての性というやつが暴れだして
致し方ない場合があるもので、そういう時はどうすればよいか?
世を儚んで自殺なんていう日本語があるが、あれは本当は自らを儚
んでの間違いだろう。儚んじゃったら自殺するのも悪い知恵ではある
まい。私は嫌だが。
儚む気がさらさらしなくて、そうして性も抑えられないなら、どうすれば
よいか?
岡本かの子と太郎の親子は二代に亘って、それを発明、実現してみせ
た人たちである。若干、才能が必要なので一般向けとは云えないかも
しれない。が、試してみる価値はある。

岡本かの子の小説家としてのデビューは47歳の時に発表した「鶴は
病みき」による。それまでは、歌を詠むのと男を食い殺すのに忙しかっ
たのである。
歌はともかく、男の方は無駄だったんじゃないかなどとは勿論誰も言
わないだろう。赤ん坊がおっぱいをたくさん飲んで育つように、かの子
は沢山男を食って、死の前年に発表した「老妓抄」によって不動の文
名を勝ち得、遂に自らの性も込みで世間に存在を認知させたのだ。
いわゆる爆発しちゃったわけだ。
林房雄はこの頃のかの子を鴎外、漱石クラスの大作家と激賞してい
るが、他人の評を待つまでもなく、当時巴里にいた息子の太郎に書き
送った手紙の中で自らを「日本の文壇に入り切らぬほどの大作家」と
評している。鴎外、漱石なんて目じゃなかったわけだ。

ゆえ有って遅咲きの大輪の花、岡本かの子は1939年の明日、2月
18日夫と愛人を引き連れて歌を作りに行っていた油壺の宿で脳溢血
で亡くなっている。
享年49歳
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by shanshando | 2006-02-17 16:32 | ■古本屋の掃苔帖


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