上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ
2006年 02月 22日

古本屋の掃苔帖 第百八十八回 山下奉文

ヤマシタトモユキと読む、私はずっとヤマシタヤスブミだと
思っていた。
太平洋戦争前期、連合軍の要衝シンガポールを陥落して「マ
レーの虎」と恐れられた日本の軍人である。階級は大将。
「大将」なんていうと我々は焼き鳥屋の親父か魚屋の主人を
連想するが、昔は他家に子供が生まれて男の子だと聞くと
「じゃ末は陸軍大将ですな」などと世辞を言ったものだそう
である。ちなみにこの階級の呼称は陸軍に限ったもので、海
軍では元帥がそれにあたる。

落語家の川柳川柳師によると、シンガポール陥落の頃は、軍歌
もみんな威勢が良くって、子供までが「ルーズベルトのベルト
が切れてェ〜、チャーチル散る散る花が散る花が散るゥ〜」な
んて」歌っていたそうである。それが、段々戦況が悪くなって
くると、暗ぁーくなってくる。
戦後になってみると大方の人間、庶民大衆は只々悲惨な戦争に巻
き込まれたなんて事を言うが、実際には勝ってるうちは結構みん
な戦争をあおっていたのである。誰もよその国を攻めたりしちゃ
いけないよ、なんて言わなかったのである。

山下奉文はシンガポールを陥落して名将といわれたが、東条英機
に嫌われていた為、左遷されて満州にとばされた。東条という人
間はどだい将領に適さない人物で、自分と反りが合わなくても適
材とみればそれなりの任務と位置をあたえる器量がない、平時な
ら兎も角、国家が戦争という非常時にある時これは犯罪に近い事
である。
満州でしばらく重要な任務から遠ざけられた山下が、再びこの方
面に戻された時、戦況はすっかり悪化していた。早い話が敗戦処
理にまわされたのだ。
1944年、第14方面司令長官として、フィリピン戦線の指揮をと
った山下はダグラス・マッカーサー相手に勇戦するが、台湾沖航
空戦の誤報に基づいたレイテ決戦を強いられ、兵力を失い、続く
ルソン島戦では完敗、遂に1945年9月、パギオにおいて降伏。
マニラにおいて行われた軍事裁判で、所謂「マニラ大虐殺」の
責を問われ、1946年の明日、2月23日絞首刑に処される。
享年61歳。
マニラ虐殺はじつは海軍陸戦隊のやったことで、山下はむしろ
マニラの非戦闘員に類が及ぶのを避けようとしたと云われるが、
山下は「自分が命じたことではないが、だからといって自分に責任
が無いとは思わない。」として刑を受け入れた。
その高潔な人格は米軍側にも同情者を生んだが、結局刑は軍人と
して銃殺刑より屈辱的な絞首刑で、裁定はまさにマッカーサーの
命を受けた報復であった。
[PR]

by shanshando | 2006-02-22 22:39 | ■古本屋の掃苔帖


<< 古本屋の掃苔帖 第百八十九回 ...      古本屋の掃苔帖 第百八十七回 ... >>