上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 03月 04日

古本屋の掃苔帖 第百九十六回 山本宣治

今も昔も、修学旅行生でにぎわう京都新京極。
日本全国、いろんな方言の中学、高校生が姦しく行き来し
ているアーケード街に、あえて足を踏み入れようとする地元
民は、そこで働いている人か、その一帯に集まった映画館に
行く人ぐらいしかないのではないか?
なんとなく奇妙に浮き足だって、居心地の悪い場所である。
(もっとも少しずれると、錦の市場や裏寺あたりにはまた良い
処もあるのだが。)
その新京極で明治時代から、ワンプライスショップという洒落
た名前のアクセサリー店を開いていた家の子供として、山宣こ
と山本宣治は生まれている。名前から察するにどうやら外人観
光客相手に安物の装飾品を売っていたようであるが、場所柄商
売は隆盛を極めていたとみえ、宇治川河畔に別荘を構えていて
身体が弱いため中学を中退した山宣はそこで過ごしたという。
日本最初のプロレタリアート代議士と云われた山宣は、意外に
もというか、やっぱりというか実はブルジョア出身であった。
悲しいかな、人間はやはり衣食足ってはじめて理想を志すもの
なのだ。

彼の業績で、今日の人の記憶に深く根ざしているのは、まず産児
制限運動と治安維持法反対であろう。人口が2015年には、確実
に一億人を割ると云われている少子化の現代日本からは想像もつ
かないが、当時は貧乏人の子沢山というのが深刻な問題だったの
だ。国家としては、戦場で使い捨てにできる命を増産できるわけ
だから真剣に取り合わなかったのだろうが、庶民は知識不足のた
め金もないのにポコポコ生んでしまうから、様々な不幸が起った。
カナダで生物学を学び、京都帝大や同志社で講師をしていた彼は
アメリカの産児制限の運動家サンガー女史と共に労農層に産児制
限の教育を施す運動を展開する。そうして、その運動の中で共産
党や労農党との連携が生れ、昭和3年の普通選挙に労農党から立
候補、初当選を果たし翌昭和4年の明日3月5日、治安維持法の
事後承認(勅令として出しておいて後で議会の承認を取り付けた)
に反対の演説をしようとして妨害され果たせず、その夜右翼「七
生義団」を名乗る男に襲われ格闘のすえ頸動脈を切られ死亡する。
39歳であった。
犯人は元巡査であり、一応逮捕されているがすぐに仮釈放されてい
る。早い話が警察が殺したわけだ。この時代勅令に逆らうような奴
は殺しちゃっても良いと云うのが、ルールだった。

さて、京都新京極を闊歩する青臭い小僧どもは、山宣の名前を知っ
ているだろうか?少なくとも手元にある扶桑社版の「新しい歴史教
科書」には彼の名前は出て来ないようだが、山宣が後世に残したも
うひとつの大きな業績、「オナニーの害の否定」の恩恵によくして
いる小僧は少なからずいるはずだが。畏れ多くも晩婚にわたらせら
れる東宮の宮におかれても、嘗ては盛んにお用いになったのであろ
うか?それとも畏き辺りにおかれては、自分でするなどという真似
はなさらず、それ用の係をお召し抱えなのだろうか?
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by shanshando | 2006-03-04 21:42 | ■古本屋の掃苔帖


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