上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ
2006年 03月 05日

古本屋の掃苔帖 第百九十七回 牛腸茂雄

昨日は縁あって、ある若いダンサーの踊りを観に行った。
彼はおそらく20代前半、元気で綺麗で何より踊るのが好
きでたまらないという感じが伝わってきて、それなりの
楽しい時間であったのだが、はっきり言って不満な部分も
多々あった。
彼は、大概のダンサーを志す若者の御多分にもれずナルシ
ストである。それは構わない。ヤクザとおかまとダンサー
はナルシストでないと務まらない商売である。
ナルシストである彼の視点は常に自分に向かっている。自
分を美しく見せるため、自分の内面に蓄積したものを放出
するため、自分が自分に酔って自分のために研鑽し、企画
し、発表の場を持つ、繰り返して言うがそれはそれで良い
のだ。ただ私が言いたいのは、自分で自分に酔っている彼
の作品からは踊りを作る作家、作舞家としての視座が見えて
来ないのだ。

私達がどんな種類の表現であれ、他人の創りだしたものに関
心を持ち、時間や金銭の代償を支払うのはその作者の視座に
共感をおぼえるからである。視点は、例えば「庭の花が綺麗
だ」と言う事などであって、花が綺麗な事自体は誰でも感じ
る事だから、それを指摘したからといって表現にはならない。
絵筆をとってそれを描いてみる。充分に研鑽をすれば技術は
向上し、花の美しさのある部分を伝えることに成功するかも
しれない。しかし、それはまだ表現とはいえない。おそらく
いくら研鑽しても、絵は花そのものよりは美しくないはずだ
から。では、どうすれば絵は花以上になり得るか?それは、
他人の共感を得られるだけの視座を作家が持つ事である。
視座とはなんだろう?
たとえばそれは思想であってもかまわない。しかし、思想は
破れやすく、言語がからむ分だけ嘘が混じりやすい。もっと
も強靭な視座とはなにか?牛腸茂雄の写真はそれに答えている。

3歳にして胸椎カリエスを患う事によって、生涯負う事を決定
づけられた彼の身体的条件を表現者としての強靭な視座に変え
得たのは、彼の事物に向かう平明な視線であっただろう。
写真集「Self and Others」において、彼は日常的な光景のなか
自分を投射している。

1983年の明日、3月6日写真家牛腸茂雄は病状を悪化させて逝
去している。
享年36歳
[PR]

by shanshando | 2006-03-05 14:54 | ■古本屋の掃苔帖


<< 古本屋の掃苔帖 第百九十八回 ...      古本屋の掃苔帖 第百九十六回 ... >>