上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ
2006年 03月 15日

古本屋の掃苔帖 第二百五回 藤村有弘

ホモだったと云う話は、立川談志師の著書などで有名だが
なるほどと思う、身綺麗で洒落ていて目に独特のうるをい
を感じる。
ホームページ「VILLA di BANSA」は藤村有弘を偲ぶサイ
トだが、管理人は文章などから彼に近しい立場の人だと推測
出来るが、どういう関係の人かは不明である。(いいねぇ)
デザインが洒落ていて、偲ぶファンが楽しめるように、例の
でたらめ外国語も各国語別にメディアプレイヤーで聴けるよ
うに作られている。そうして、藤村に対する細やかな愛情が
そこここに見られ、うーんこれはなかなかうーん。
詳しいことは末尾にリンクを張るので、そっちを観ていただ
くのが一番だろう、

昭和9年に神田三崎町に生まれたバンサこと藤村有弘は、少
年の頃からSWL(短波帯ラジオ受信)を趣味としていた。
ここで私はハタと膝を打つのだ、以前書いた愉快な物理学者
R.P.ファインマンも子どもの頃ラジオが趣味で、でたらめイタ
リア語を習得して周囲をけむにまく、どうもあの芸はやはりラ
ジオという音声にのみ集中するメディアがあったればこそのも
のらしい。ニックネームのバンサもそれで聞き覚えて真似た東
南アジア語の音が「バンサ バンサ」と聴こえたところから来
ているらしい。
児童劇団にいた頃から「鐘の鳴る丘」「三太物語」などのラジオ
ドラマに出演していた彼は、戦後放送文化の申し子のような存在
だった。(そういえばドン・ガバチョもテレビの中から出てくる
んじゃなかったっけ?)その後千葉信夫の弟子となり、日活入り
、怪しい外国人の役などで売り出すが、私達がいつまでも印象に
強く残しているのは、先述のドン・ガバチョやお洒落でキザで怪
しいあの話芸である。もし、現代に彼が生きていても充分時代に
乗り切れるだけの芸をやってみせたであろう。

短波帯ラジオの趣味はその後HAMへと移行し、相当な熱の入れ様
だったらしいが今ならきっとコンピューターに凝っていたのでは
あるまいか。
電波の申し子藤村有弘は静岡放送の「藤村有弘の東海道それゆけ
4時間!!」という番組の終了後病院に運ばれ、1982年の明日3月
16日糖尿病の合併症により他界した。享年若干48歳。今生きて
いたら72歳まだ充分現役で務まる年齢である。


「VILLA di BANSA」へはこちらから

[PR]

by shanshando | 2006-03-15 20:41 | ■古本屋の掃苔帖


<< 古本屋の掃苔帖 第二百六回 安...      古本屋の掃苔帖 第二百四回 堀口大学 >>