上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 03月 17日

古本屋の掃苔帖 第二百七回 吉野作造

吉野作造は民本主義を主唱した大正デモクラシーの仕掛け人である。
宮城県志田郡古川町に生まれ、県立一中から二高、東京帝国大学法
学部政治科と進み、銀時計をもらって卒業している。
県立一中というのは現在の県立一高であり、後輩のひとりに作家井上
ひさしがいる。その縁で現在井上は「吉野作造記念館」の名誉館長に
なっていて、また吉野作造と弟の信次を主人公にした「兄おとうと」という
芝居を自身の劇団「こまつ座」で上演している。

井上と吉野は単に学校の先輩後輩というだけではない共通点が見られ
る。まずともにキリスト教の強い影響を若年のうちに受けていることが
あげられるが、それよりも強く感じられるのが共に持つ東北人らしい優柔
と真摯である。このふたつは言うまでもなく表裏一体の関係にある。
遅筆堂の名で知られる井上の優柔はいまさら言うまでもないだろうが、
吉野の優柔とは何か?それはまず彼の主唱した民本主義と言う言葉に
表れている。

帝大助教授時代に欧米に留学した彼は、デモクラシーを日本に根付か
せる必要を感じた、そしてその適当な訳語を探して見つけたのが「民本
主義」である(彼以前にもこの言葉を使った例があるので彼が造った言
葉ではない。)民主主義ではまずいと考えた、大日本帝国憲法では主
権は天皇にあることになっているからである。そこで、法理上の主権の
所在を濁したまま、政治上の主権は国民にありとして、そのために普通
選挙の実施を促したのだ。あきらかに明快さに欠ける主張で、ために彼
は左右両派からの批判を受けることになる。

その他満州国成立に関しても当初批判的であったにも関わらず(人道上
の問題だけではなく、むしろその為アメリカとの関係が悪化することを見
通していたようである。)成立したら、やはり日本国民としてはこれに協力
するべきだとの論調に変わっている。
大正期の政治思想上の引導者の立場にあった彼のこうした優柔が、あの
愚かな大東亜戦争に日本を引きずり込んだ一因となったと言っても言い
すぎではあるまい。
しかし、彼自身は日本のそうした運命を見届けることなく1933年(昭和8
年)の明日、3月18日湘南サナトリウムで結核のため他界している。
享年55歳。
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by shanshando | 2006-03-17 15:46 | ■古本屋の掃苔帖


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