上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 04月 06日

古本屋の掃苔帖 第二百二十回 尾崎放哉

俳句や短歌の自費出版の本というのは、まず売れる気遣い
がないので、古本屋はあまり歓迎しない。
それでも、どうしてもタダでもいいからと、預からざるを
得ないハメになることもあり、出してみるがまず売れない。
先輩に聞くと、世の中の景気が良かった時代にはたまに売
れなくもなかったと云うが、それは句集に限られ、歌集は
ほぼ絶対に売れない。

俳句は短歌に比べ、作者の自我が投影されることが少なく
それゆえ、見も知らぬ他人の作品にも共感が持ちやすい。
写真とビデオの関係にも似ているかもしれない、他人のプ
ライベートなホームビデオなど見せられるのは迷惑以外の
なんでもないが、写真なら動かない分、想像力の介入の余
地があり、求めて見ないまでも迷惑とまでは言わない。
映像はまだ機械を挟む分情緒が投影されないので、まだ気
楽だが、詩歌の下手なのには洗練されない情緒が盛り込ま
れがちなので尚迷惑なのだ。

31文字と17文字、単に字数を減らせば投影される自我が滅
していくかと云うと、そうとも限らない。いわゆる自由律俳
句はものによって17文字より尚短かったりするが、往々にし
て定型俳句より自我が投影されがちな傾向にあるようだ。
自我が投影されてなにが悪いと開き直られるとなにも言えな
いが、例えば玄人の句でも山頭火の句など自哀まみれで、読
むほうが赤面してしまうほどである。
放哉は、山頭火に比べると自哀の癖が多少軽度でいくらか読
める。いやむしろ積極的に読みたいと思う時すらある。
  
   色鉛筆の青い色をけづって居る
   一日物云わず蝶の影さす
   とかげの美しい色がある廃庭

などは、やはり情景の向こうに自分の境涯を物語ろうとして
いるが、それよりも先に読者の色彩にまつわる既視感を掻き
立て、見事な句だと思う。

放哉が自由律俳句に出会うのは一高在学中で、同期に「巌頭 
の感」という遺書を残して華厳の滝に自死した藤村操がいる。
明治の晩年、西洋の哲学・文学を通してはじめて近代的自我
という幻影に向き合った当時のエリートたちの中には、富国
強兵と脱亜入欧を旗頭に次代の日本の興隆の担い手として彼
等を育成するつもりだった政府の思惑をあっさり裏切り、却
って退廃的な風潮の担い手になった者も少なからず居て、そ
のひとつの顕われが自由律俳句運動だったのだろう。
放哉のドロップアウトは、彼自身の人格的な歪みも勿論その
原因となったのであろうが、或る面ではそうした時代の風潮
が影響していたのかも知れない。

保険会社の社員として或る時期むしろ優秀だったとされる彼は、
おもに悪酒が災いして38歳で完全に失業、あとは病を抱えなが
ら放浪の末、小豆島土庄町西光寺の奥の院 南郷庵に棲みつき
1926年大正15年の明日、4月7日癒着性肋膜炎湿性咽喉カタル
で41歳の生涯を閉じた。戒名は大空放哉居士。辞世は
 
   春の山のうしろから烟が出だした

だからどうした。と、突っ込んではいけない。自我と風景の間に
大きな広がりを持たせた佳い句だと思う。
   
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by shanshando | 2006-04-06 16:26 | ■古本屋の掃苔帖


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