上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ
2006年 04月 07日

古本屋の掃苔帖 第二百二十一回 パブロ・ピカソ

パブロ・ピカソという途方もない拡がりを持った宇宙を簡単に語り
つくす事は出来ない。あらかじめ言うがそれが今日の結論である。
昨日から、身辺にあった。一つの画集と三つの図録四冊の本に眼
を通したが、頭の中は混乱する一方である。(いつも以上に)

勿論、誰の人生だって本当を言えば簡単に語りつくせるものではな
い事はわかった上で、こういう暴挙を行っているのだから、調べども
調べども語りつくせない難渋は今に始まった事ではない。
何時もなら、そこんところは適当に自分の興味関心のもてるところ
だけを摘み食いして、誤魔化しているのはご承知の通りだが、それ
で誤魔化すにはピカソは大きすぎる。

大きすぎると私が感じている理由を簡単に整理してみると以下のよう
になるだろう。
①ピカソは91年という長時間この世に居たわけだが、そのうちのほぼ
 90%に近い時間作品製作をしており、その間ご存知のようにカメレオ
 ンさながらに作風を変えている。
②実は当人は非常に孤独であったといわれるが、91年の長い期間に
 彼と付き合った人々は多士済々で、女性関係も多すぎてエピソード
 を絞りにくい。
③ピカソ関係の書物は存命中、彼自身が呆れ果てたほど多く、亡くなっ
 てからも更に増えている。
④私は、彼の作品が好きである。(たいていどの時代のものでも)

とくに④が問題なわけだが、このブログを書いていていつも思うのは、
思い入れが強い対象は却って書きにくいということだ。あれも書きたい
、これも書かなきゃと思うと収拾がつかなくなる。
私が、ピカソが好きなのは暴力的なまでに男性的な感性の持ち主だと
思うからだ。ピカソは闘牛が好きで、牛の頭骨やまたミノタウロスなども
よく書いているが、あれは老齢まで女性遍歴をかさねた彼の自らの姿を
描いているのだと思う。
私は好きな絵本作家、例えば長新太にもスズキコージにも片山健にも、
ピカソ的な部分を感じていて、それは絵のタッチがどうのとかいう事は
わからないのだが、なにか男性的な残酷なまでに荒々しいものが、繊細
な感性をささえている気がして、それが好きなのだ。ピカソがいなければ、
その三人はありえなかったというと言いすぎだろうか?

パブロ・ピカソは荒ぶる神として、さまざまな生きた痕跡をこの世に残し、
1973年の明日、4月8日91歳の大往生を遂げた。
彼の肖像は1955年まで一切公開されることなく、ゆえに多くの人は隣
に彼が立っていても気がつかなかった。死後もコマーシャルのために彼
の肖像を使う事は禁じられている。
[PR]

by shanshando | 2006-04-07 15:42 | ■古本屋の掃苔帖


<< 古本屋の掃苔帖 第二百二十二回...      古本屋の掃苔帖 第二百二十回 ... >>