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2006年 04月 25日

古本屋の掃苔帖 第二百三十一回 植芝盛平

偶然というべきか、明日4月26日は20世紀の日本武道を代表する
二人のカリスマの命日にあたる。一人は合気道開祖 植芝盛平であ
り、もう一人は極真カラテの大山倍達である。
二人とも興味深い人物であるが、今年はとりあえず年代順に植芝を
とりあげてみる。

植芝盛平は南方熊楠と同じ紀州田辺の人である。
その面積の多くが山岳に覆われている紀州には先住民族の血統が
強く残されているのだろうか?熊楠も盛平も比較的のっぺりとした顔
立ちの多い関西人には珍しくアイヌ民族や沖縄の人の顔に通じる当
世風に云うなら「濃い」顔立ちをしている。
盛平は10代の頃、熊楠のやっていた神社の合祀反対運動に参加
している。神話の土地でもあり、先ほども述べたように山岳に覆われ
たこの土地では、人間の行動に神秘的なインスピレーションが影響
するところが多いようである。盛平は30代で大本教に入信しており、
彼の開いた合気道はスポーツというよりは、むしろ宗教に近い。
考えてみれば、スポーツという我々が慣れ親しんだ概念は、西洋か
らの輸入品で、現在のウィンタースポーツの多くの種目のように遊戯
がスポーツに発展するケースは古来日本ではなかったのではないだ
ろうか?
体技の修養の目的に神秘的なものを置く合気道のような文化が外国
にも存在するのかどうかは知らないが、少なくとも豊かさに酔う現代日
本で受け入れられないだろうと思っていたが、意外とそうでもないらしく
国内外をあわせて少なくない人口がこの武道に研鑽しているらしい、
世相がこの武道が確立された20世紀初頭と通じているのかもしれな
い。

若い頃は、出口王仁三郎の満州進出の夢に従ったり、海軍に太い人
脈を持つなどして野心的だった植芝盛平は昭和17年腸を患い、茨城
県岩間町に隠棲、敗戦を経てもっぱら合気道の普及のみに専心する
ようになり、その演武も軽く相手に触れるだけで大きな相手を投げ飛
ばすような、客観的には八百長と取れなくもない円熟みを持ってきて
(実際触れられただけで立っていられなくなったという)、海外への普及
なども果たし、1969年の明日4月26日肝臓癌のため没する。
享年86歳。
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by shanshando | 2006-04-25 17:27 | ■古本屋の掃苔帖


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