上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 05月 05日

古本屋の掃苔帖 第二百三十七回 久保田万太郎 

連休も後半にさしかかり、今日も昨日に続いての快晴。
連休は混むから俺は何処にも出かけないんだ。という人も
さすがに心が浮き立って来たのではないでしょうか?
確かに人混みは疲れますが、しかしやはり繁華な場所とい
うのは晴れやかな気持ちになっていいもんです。
この際、混むのは覚悟で出かけるとしても、「さすがにディ
ズニーランドはちょっと。」という貴兄におすすめ散歩コース
のご提案。
名付けて「上野・浅草句碑めぐり」!
上野・浅草には句碑詩碑歌碑のたぐいが佃煮にするほどあ
り、それを全部廻っていると日が暮れてしまうから、今日は
久保田万太郎の句碑だけにしぼって廻ってみましょう。
さすがに地元だけあって、上野・浅草あわせて万太郎の句碑
は全部で八つもある。

まずは浅草神社境内から
 
 竹馬やいろはにほへとちりちりに

ふむふむ頭に漢字がふたつきて、下は全部ひらかなにした処
が如何にも竹馬の不安定な感じが出ていてうまいもんでゲス。

続きまして浅草寺西参道にある曾我廼家五九郎の碑から

 浅草の茶の木ばたけの雪解かな

ふーむ、五九郎っていうのは曾我廼家劇の役者ですよね。確か
五郎の弟子?すみません勉強不足。
この碑には、白井喬二と金子洋文の言葉も彫られています。
白井喬二は「富士に立つ影」の小説家。金子洋文はプロレタリア
系の小説家で劇作家で演出家。西荻にお住まいだったはずです。

次は江戸時代からの紅葉の名所伝法院にある「おたぬき祠」の
傍にある。

 またの名のたぬきづかかな春ふかき

この塚の因縁は……すみませんこれも判りませんでした。誰か
教えて。

ぼちぼちお腹が減ってきました。浅草で泥鰌っていうのも何だか
マンネリですが、一応ここはお約束の駒形へ、

 神輿まつまのどぜう汁すすりけり

関西人の亡父を案内して来た時は、お新香ばかりお替りしてたっ
け、話食いでリクエストしたものの、食べなれないから苦手だった
のか知らん。

腹ごしらえもすんで雷門一丁目へ、永谷マンションという建物の
横に

 浅草にて
  ふるさとの月のつゆけさ仰ぎけり

なるほど、万太郎には浅草がふるさとなんですね。月のつゆけさ
とは恐れ入谷の鬼子母神。

さて、国際通りに出て北上、混み合う六区は右手にやり過ごして、
言問通りを越えて千束3丁目は吉原神社へ、

 この里におぼろふたたび濃きならむ

この神社に江戸時代の花魁もお参りしたのかと、思いきや、これは
明治5年に五つのお稲荷さんを合祀したもの、祭神は弁天様。なる
ほど、お稲荷さんだった時には「尾が要ったけど」弁天様なら「尾要
らん」ってわけですな。

すこし南に戻りまして、言問通りを右折、上野のお山を目指しまして 
寛永寺第二霊園まで来ますと、新田新作墓前には、

 その声音いまだに耳に若葉風

新田新作は明治座の社長で力道山の後援をした人です。この人が
明治座を立ち上げる時の逸話を小説にしたものを昔読んだんだけど
タイトル忘れました。

さて最後はお山を越えて、池之端のお蕎麦屋さん蓮玉庵入り口にある

 蓮枯れたりかくててんぷら蕎麦の味

お疲れ様。てんぷら蕎麦に一本つけて貰って〆といたしませう。

久保田万太郎は、1963年の明日5月6日梅原龍三郎の屋敷で出され
た赤貝を喉につめて窒息死しました。
享年73歳
私は、その淋しかった晩年をよくあらわしている
 
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

という句が好きです。
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by shanshando | 2006-05-05 15:57 | ■古本屋の掃苔帖


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