上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 05月 09日

古本屋の掃苔帖 第二百三十九回 二葉亭四迷


二葉亭四迷は市谷の尾張藩上屋敷で生まれている。明治以後陸軍
士官学校の本部になり、敗戦後、極東軍事裁判が開かれ、自衛隊の
駐屯地となり、三島由紀夫が割腹自殺をした場所である。

生年は文久2年という説もあるようだが、一般的には元治元年という説
がとられるようだ。池田屋事件の年である。
生まれ育った場所の地霊が云々と言えば、当節流行の占い師みたい
で阿呆らしいが、少なくとも幕末動乱の最中のこの場所を生まれ故郷
とした事が、二葉亭四迷こと長谷川辰之助の一生に影響したところは、
少なくないようである。
政治好きで、自ら「維新の志士肌」と称していた彼は、学生時代知り合
った坪内逍遥の引きもあって、処女作の「浮雲」ですでに文名をあげな
がら。文学を一生の業とするを好まず。筆を折り、官員や大学教授の経
歴を経た後、「扶清却露」の志を果たすため大陸に渡り、日露戦争前夜
の諜報活動に従事した。というとなんだか冒険小説のタネのようだが、
事実ある程度の機密に触れる機会がある立場にいたのは事実のようで
ある。

明治36年に帰国、39年には東京朝日新聞に「其面影」を発表、文壇復
帰を期待されるが、これは世話になった池辺三山への義理を果たす為
のことで、本人はあくまで文士と呼ばれることを嫌った。
明治41年朝日新聞特派員として念願のロシアに赴くため神戸港を出発。
シベリア経由でペテルブルグへ。そうして再び生きて日本の土を踏むこと
はなかった。
翌年肺炎と肺結核を罹病、ロンドンから海路帰国の為乗った賀茂丸船上
で没している。明治42年の明日5月10日のことである。
船はまさに先般の湾岸戦争の戦地ベンガル湾にいた。なんだか妙にきな
臭い事件と縁のある生涯である。生きていた時は求めて縁を持ったにして
も、死後数十年にまで繋がる縁を考えると何だか不思議な気分にならなく
もない。
享年45歳。
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by shanshando | 2006-05-09 18:07 | ■古本屋の掃苔帖


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