上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ
2006年 05月 13日

古本屋の掃苔帖 第二百四十二回 大久保利通

「いい人」というのがわからない。
「いい人」とは何だろう?

私の場合、たとえば店にたくさんの良い本を売ってくれるお客様や
買ってくれるお客様には、日々感謝してやまないが、だからと言っ
て、そういう人を「いい人」などというと、なんだか不遜な気がする。
自分に利益をもたらしてくれるから、「いい人」というのは生意気だ。
社会のため、人のために身を削って尽くす人は「いい人」なのだろ
うが、はたして何が社会や人にいい事なのかが不明確だから、例
えばボランティア活動に勤しむ人に「いい人」などと言うのも憚られ
る気がする。やっている人自身もそんな事言われたくないだろうし。

しかし、私たちは事あるごとにこの言葉を口にする。
人に親切にされた時、買い物でおまけをしてもらった時、さりげなく
ヨイショをされた時。ようするに、相手が一定の距離をとりながら好
意をしめした時、あるいは好意をしめしているようにこちらが勝手に
信じた時、人は人を「いい人」と言うのだ。

ある新興宗教に嵌っている知人にその宗教のカリスマに対する印
象を聞いた時、「とってもいい人」という答えが返ってきた。
宗教家は「いい人」を振りまいて、信者は「いい人」の実在を盲信す
る事で安心を得る。

歴史上の人物を「いい人」「悪い人」で区切ることは愚の骨頂だが、
あえて「いい人」だと思うのは誰ですかと聞けば、日本人なら多くの
人が西郷隆盛の名をあげるのではないか。悲劇のヒーローであり、
鷹揚な雰囲気をもつ西郷は、日本人の感じる「いい人」像の典型な
のだ。

しかし、西郷は本当に「いい人」だろうか?
主戦論者の彼が唱えた「征韓論」は、当時の世界で覇権主義がま
かり通っていたとは云え、倫理的には正義とは言い難い。もし、そ
れを正義として押し通そうとすれば、「友達もみんなやってるから、
自分もやった」という万引きをした小学生のような理屈になる。

元来、はじめに言ったように歴史上の人物を「いい人」「悪い人」で
分けるのが間違っているわけだが、西郷が現代人の価値観で言う
モラリストでなかったことだけは確かだ。
それでは、対立した大久保利通はどうだろう?
彼が、征韓論に反対したのもやはりモラルのためではない。ただ
国政に携わるものの責任として、成算のない挙を諌めたにすぎな
い。これも、善悪で片付ける事はできない人間である。

たらたらと当たり前のことを書き連ねたが、この当たり前の事が受
け入れられないのが大衆心理であるらしい。
ともに、薩摩出身の明治の元勲でありながら、鹿児島ではつい近
ごろまで大久保の納骨すら拒否されていたらしい。鹿児島では今
も西郷さんは「いい人」で大久保は「悪者」なのだ。

大久保利通は西南戦争の翌年1878年の明日、5月14日石川県
士族島田一郎らにより暗殺された。
享年47歳
[PR]

by shanshando | 2006-05-13 14:29 | ■古本屋の掃苔帖


<< 古本屋の掃苔帖 第二百四十三回...      古本屋の掃苔帖 第二百四十一回... >>