上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 06月 08日

古本屋の掃苔帖 第二百五十七回 有島武郎

通販のお得意様から、「雨の日、ちいさいひとと過ごす時
の本」をチョイスして欲しいと言うご要望が着た。

まっさきに思い浮かんでしまったのは、有島武郎の「小さ
き者へ」だったが、これはわざわざ通販で買うような本で
はなく、またお客様の意図されているところとも合致しな
いだろう。と思ったので、別な本をご紹介してみた。

誰かの書いた本を送るにしろ、また自ら著わすにしろ文字
を他者に送るというのは、余程覚悟のいる事である。
中国を中心とする漢字文化圏では、古来文字を送るという
事が日常頻繁に行われた。考えてみればまず名前という文字
が誰しも人生の始めに貰う意味深い贈り物である。
勿論、漢字文化圏以外の人にも名前はあるのだが、漢字とい
うそれ自体に意味を込められた文字を送られる事は、宗教上
の聖者の名前にちなんだ名を送られる事とは意味の深長さに
おいて格段の違いがあるように思う。

さて、非常に手に入れ易い、稀少度の薄い本だからと言って、
有島武郎の「小さき者へ」を馬鹿にしてはいけない。いや多分
誰も馬鹿になどしてはいないだろうけれど、とかく古書好きの
人は、よく目にする本を軽んじる傾向があるので言うのだが…。

この本は幼くして母親を失った息子たちに対して有島武郎が書
いたものである。
「お前たちは去年一人の、たった一人のママを永久に失ってし
まった。お前たちは生れると間もなく、生命に一番大事な養分
を奪われてしまったのだ。お前達の人生はそこで既に暗い。
この間ある雑誌社が「私の母」という小さな感想をかけといっ
て来た時、私は何んの気もなく、「自分の幸福は母が始めから
一人で今も生きている事だ」と書いてのけた。そして私の万年
筆がそれを書き終えるか終えないに、私はすぐお前たちの事を
思った。私の心は悪事でも働いたように痛かった。しかも事実
は事実だ。私はその点で幸福だった。お前たちは不幸だ。恢復
(かいふく)の途(みち)なく不幸だ。不幸なものたちよ。」
うーむ、もし現代の作家が同じ状況で、同じ事を書いたら、児
童虐待に問われないまでも。「思いやりのない人間」として社
会から抹殺されかねないくらいに過酷な文章である。もしかし
たら現代なら社会の目にふれる前に編集者が書き直しをせまる
かもしれない。しかし言うまでもなくこの文章こそがこの父親
の真情である事は通読すればよくわかる。

今はどのようなメディアも暗部から目をそらさせるようなもの
ばかり配信しつづけている。絵に描いたような悲劇を作っても
それは現実感を抜きさって、ヒロイズムのみを味あわせようと
するものばかりだ。
目を向ければ暗い現実があるのに敢て目をそらし、テレビやゲ
ームの創りだす仮想現実の中にのみに生きる事になれた人間の
エゴイズムが引き起こす悲惨な事件が後を絶たない。

たとえば北朝鮮の問題にしても、拉致被害者と同じくらい、いや
それ以上に独裁政権の犠牲になっている北朝鮮の子供達がいるの
に、それを問題にする人が少ないのは、バーチャルなイメージと
しての悪の国家北朝鮮の像がぼけてしまい。威勢のいい再軍備論
の切っ先が鈍るからに他ならない。再軍備して、軍事的な対立を
鮮明にすることで北朝鮮の子供達の不幸を本当終わらせる事が出
来るのか?朝鮮半島を中東のような戦場にしてしまったら、また子
供達の命が失われるのではないか?改憲論議も結構だが、安っぽい
ヒロイズムで「国を守る」とか「愛国」などという言葉を平気で使
う連中は、世界中で民俗紛争だとか宗教戦争だとか、大人の勝手な
こだわりで子供の命や可能性を奪っている奴らと同列の馬鹿だと思
う。

話がまた逸れた。
明日6月9日は、1923年に婦人公論の記者であった波多野秋子とい
う人妻と心中した有島武郎の命日にあたる。
享年44歳。
尚、この暗い文章を送られた息子のうちの長男は俳優の森雅之である。
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by shanshando | 2006-06-08 18:28 | ■古本屋の掃苔帖


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