上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 07月 08日

古本屋の掃苔帖 第二百七十二回 上田敏

どーも暑くて元々ゆるめの頭のネジが更に弛んでいるようである。
午前中に上々堂で一仕事して、西荻に原チャリで戻る途中、無意
識に対向車や前の車のナンバープレートでおいちょカブをやって
いる自分に気が付いた。
モチロン、すれ違う全車両のナンバーを読み取るのは難しいので、
極一部だが、西荻に着くまで読み取って合算できたナンバーが
60台分。はじめはヨツヤの連続で、吉祥寺にさしかかったあたりで
数字が散りだし、最後は結局6連続でカブ。まぁまぁの戦績か?って
何やってんだろ。

これは瞬時に四つの数字を合算しなければいけないので、遠出の
渋滞なんかではよくやるが、朝の忙しい時にやるもんじゃない。
何より注意散漫になって危ないので良い子はけっしてマネしないよ
うに。

さて、掃苔帖を始めて明日でちょうど一年になる。今日は訳詩集「
海潮音」で有名な上田敏。

「おめえはなんだろっ!文学なんかちっともわかんねぇだろ?」
「バカにするねぇ!歩く図書館って呼ばれてんだぞ!」
「そーか?じゃぁ『山のあなたの空遠く…』って知ってっか?」
「知ってらい!」
「ほー」
「歌奴だろ。」
ってこれはまたクラシックな小噺だが、
今でこそ、若い世代には英語を自由に操る人が増えて、翻訳者を
めざす人も多いらしく、随分とそのテの本が入荷するが、明治の初
年。英語を話せる人は、…これは車夫英語と言って結構いたらしい
が。英語を訳せる人となると非常に希少だった。それも単純に正確
さだけが要求される専門書の翻訳とちがって、詩をその情趣を壊さ
ずに日本語としても美しいものに書き換えるとなると、これは様々な
メディアで欧米人の生活観や感性に触れられる現代とは違って、超
人的な才覚を必要としただろう。
上田敏は東京帝大在学中に指導教官のラフカディオ・ハーンをして
「君は英語を以って自己を表現する事のできる一万人中唯一人の日
本人学生である」と言わせしめた。
同級には漱石夏目金之助もいて、のちに共にハーンの後を受けて同
校の講師となっているが。どうやら語学的才能では上田が漱石を上
回っていたらしい。
上田の父は旧幕臣で英語をもって新政府にも出仕した乙骨太郎乙
(おつこつたろういつ)の弟で、上田は父の死後15歳でその伯父の家
に養われている。その影響が上田の語学的才能にあらわれたことは
想像に難くない。

余談だが、この乙骨太郎乙こそは、明治2年に英国からの貴賓接待
にあたり、儀式のはじめに国歌の斉唱が必要だと脅されて、周章狼狽
した接待係原田宗助に旧幕時代大奥で歌われていた「おさざれうた」と
いう古歌を教えて、国歌「君が代」をでっちあげた張本人である。

代表作「海潮音」は明治38年の出版で、40年には私費で欧米を外遊
している。よほど印税が入ったのだろうか?
帰国後京大講師から教授になっているが、大正5年急速に体調を壊し、
7月9日尿毒症により急逝した。
明日、2006年7月9日は90年目の命日にあたる。
享年41歳
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by shanshando | 2006-07-08 14:23 | ■古本屋の掃苔帖


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