2006年 07月 22日
いわゆるハル・ノートを突きつけられ、昭和天皇に開戦やむなしと させた時の外相であり、途中東條と大東亜省開設をめぐって対立 し辞任したが、戦争末期において再び外相に就任、終戦交渉にあ たった。 その事跡を客観的にみて、理性派といっていい政治家だが、極東 軍事裁判において、A級戦犯とされ、20年の刑期の途中に獄死、 他のA級戦犯とともに、靖国に合祀された。 鹿児島の出身で、先祖は秀吉の朝鮮出兵の折連れてこられた朝 鮮陶工であり、一族は彼の父親が維新後、東郷姓を買うまで朴姓 を名乗り、幕末までは朝鮮語を使っていたという。夫人はドイツ人 で子孫にもジャーナリストとして海外赴任している人や、外務官僚 がいるらしい。 こういう人物が、嘘でもなんでも単一民族国家を標榜し、万世一系 とかなんとか、一体だから何だっていうんだと云いたくなるような価 値観を後生大事にしていた(している?)国家の命運を左右する時 期の外相だったということは、毀誉褒貶さまざまな彼の仕事に対す る、評価は別にしても、一人間としての興味は尽きない。 彼にとって日本とは、どういう対象だったのだろう? 彼は、獄中極東軍事裁判のありかたを批判する反面、国際社会が 法の枠組みで戦争を防止する必要を指摘し、その意味で憲法9条 がその端緒になることを望んだという。 ハル・ノートにまつわる資料等を読むと、戦争は当事国だけではなく さまざまな国家、勢力の利害がからまって起こされることがよく判る。 今の北朝鮮の問題でも、真剣に戦争をしたがっている人間は誰もい ないだろうと信じたいが、軍備を供給することで利益をえる勢力は実 在し、覇権を広げ自国の権益を守りたい国家も厳然とあって、本当 の問題は異常国家北朝鮮そのものよりも、それを取り囲む大国、大 勢力にあるのではないかと思わざるを得ない。 東郷茂徳は1950年の明日7月23日、動脈硬化性心疾患、及び急 性胆嚢炎の併発により現在の同愛病院で死去している。 墓所は青山霊園にあるが、先述したように靖国にも合祀されている。 死者がもし口をきけて、このA級戦犯合祀について聞かれたら、果た してなんと答えるだろう? 享年67歳
by shanshando
| 2006-07-22 14:30
| ■古本屋の掃苔帖
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