上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ
2006年 08月 03日

古本屋の掃苔帖 第二百八十五回 松本清張

処女作「西郷札」が週刊朝日の「百万人の小説」に選ばれ、文壇
デビューしたのは40歳の中年で、それから82歳で他界するまで
まるで憑かれたように書きまくっている。全集は実に66冊に及ぶ。
週刊コミック雑誌に連載している漫画家や、同じような話をこね
くり回している赤川次郎や西村京太郎などと違って、多くの作品に
綿密な取材、調査を必要としたはずの松本清張において、これは奇
跡的な部数だと言えよう。ために平林たい子から、「工房形式で複
数の助手を使って書いているのではないか?」と書かれたりしたが、
半藤一利の「清張さんと司馬さん」を読むと、どうもやはり一人で
書いていたらしい。

「夜遅く井の頭線で浜田山を通過する時、いまでも私は松本清張氏
の自宅の書斎に、明りがついているかどうか確認してしまう。…」
中央公論社の担当編集者だった宮田鞠栄さんが、松本清張没後5年
めに読売新聞夕刊に寄せた文章である。
この宮田さんという女性は、編集者として松本清張との間に様々な
伝説をもっている人で、「清張さんと司馬さん」にも紹介されてい
る。

文藝春秋の編集者だった半藤一利によると、(司馬遼太郎もそうだ
が)松本清張には、他に趣味らしい趣味がなく、(敢て言えばパチ
ンコが好きだったらしいが、あの独特の顔は隠し様がなく、すぐに
バレるので、おちおち打っていられなかったそうだ。)まさに仕事
が趣味。なにより嫌いなのは、休みだったそうである。
5月の連休など、編集者が家で休んでいると、必ず電話をかけてき
て、「重要な話がある。すぐ来てほしい。」というから行ってみる
と、大抵雑談程度。つまり休みが嫌いなのだ。自分は勿論他人が休
むのも。迷惑なオヤジである。

今の作家と違って、ワープロを使うわけでなく、しこしこ原稿用紙
に書いて行くのだから、その肉体的労力だけでも実際大変だったよ
うだが、その上膨大な資料、文献の検証や構想の組み立て、あきらか
にワーキングハイの状態を持続して42年を駆け抜けたのだろう。

1992年4月20日脳出血のため入院。手術は無事すんだが、7月に再
び体調悪化、肝臓癌が発見され同年の明日8月4日、他界した。
[PR]

by shanshando | 2006-08-03 14:12 | ■古本屋の掃苔帖


<< 古本屋の掃苔帖 第二百八十六回...      古本屋の掃苔帖 第二百八十四回... >>