上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 08月 11日

古本屋の掃苔帖 第二百八十九回 中上健次

いや、もう、いやんなっちゃった。
何がって、まぁ聞いてちょーだい。

あれは26歳の夏だったと記憶しているが、山梨県の白州という町で
行われたART CAMPに出演していた私は、ある夜の宴席で主催者
の田中泯に議論というか、ずばり喧嘩をふっかけた。
企画全体の顔であり、私をはじめ様々なダンサーを招聘した立場に
あった彼が、一度も我々若手ダンサーの踊っている会場に顔を出さ
ないのに、怒っていたのだ。
私は彼から見ると相当な後輩であるが、勿論彼の弟子ではないし、
また、彼に関係した誰かの弟子ですらない。若輩でも一匹狼、呼んで
おきながら観にも来ないという、舐めた扱いを受けて黙っているお兄さ
んじやぁない。仁義が通るまい。
いきり立つ私に、田中泯は真正面から立ち向かってきた。
考えて見れば、「ああ、ごめんね、主催側で色々雑事があって中々観
れなくって」とか言って誤魔化せばよいようなものを、彼はど真剣に若
造の私と向かい合った。最後に「じやぁ君は何か、土方さんにも仁義を
求めるのか?」と言ってきたのはお粗末だったけど。(私は土方巽とは
面識もなく、当然蕎麦一杯ご馳走になったことはない。知らないオヤジ
の名を出されたって、私が恐れ入るわけがないのだ。)

田中泯が、一生懸命喧嘩を買ったのにはわけがある。
我々が議論していたその座敷の上座に居たのだ。そういう喧嘩を絶対
に生半可で投げ出すことを嫌う男が、そう中上健次がその夜の主賓だ
ったのだ。
中上はあのちっこい眼で、終始面白そうにこちらを観ていた。
最後に私が「土方なんか知るか!」と開き直った時点で、留め男に別の
先輩ダンサーが入って、田中泯はトイレに立ち席を替えて、そこでまた
別の若造に絡まれ、結局そいつは殴られていたけど、中上健次は口を
出すでもなく、相変わらず修羅場を楽しんでいた。
後日、私はやはり元々その仕事が好きなこともあって、田中泯とは和解
したが、中上健次に接近遭遇したのはそれが最後だった。
いや、実はその後何度か同席しているのだが、周りから「先生 先生」と
持ち上げられて威張っている男が嫌で、あえてこちらから近づこうとはし
なかったし、むこうだって一度同席した宴席で喧嘩をしていた兄ちゃんの
顔なんて、その夜のうちにキレイに忘れ去っていただろう。

考えてみれば、中上健次ほど中身のある男だったら、多少威張ったって
当たり前だったかもしれないし、相手にされないまでも、へばりついてお
話を拝聴しているだけで、自らに資するところがあったのかもしれないが、
自尊心の強い私は、いわゆる偉いさんに取り入るのが苦手だった。
というのは嘘で、そういう人物に立ち向かうだけの内容が自分にないのを
よく知っていた。そうしてせっかくのチャンスを逃した人は中上健次だけで
はない。谷川雁 マルセ太郎 セシル・テーラー。
マルセさんなどは気さくな人柄だったから、素直に近づいていれば、知遇
を得れたかもしれないのに、次々にチャンスをフイにして行った。

その宴席の夜から6年後、中上健次の癌による死が突然報じられ、私は
6年前に無理にもぶつかっておかなかった事を悔いた。

今回、これを書くにあたって中上の享年を調べた。46歳。今の私の歳であ
る。
あの宴席の夜からはちょうど20年経過して、未だに私は何の内容もない男
で、その間覚えたことといえば、身過ぎ世過ぎのことばかり、もう自分の人生
にあいそがつきた。

明日8月12日は、作家中上健次の命日にあたる。

 
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by shanshando | 2006-08-11 14:44 | ■古本屋の掃苔帖


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