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上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 08月 15日

古本屋の掃苔帖 第二百九十一回 大西瀧治郎

小泉純一郎という人間は、相当に自己陶酔の激しい人間らしい。

先日、山口県に行った際、吉田松陰や高杉晋作の史跡を訪ね、
まるで自らも彼らと繋がる改革者の系譜にあるがごとく、滔々と
語っていたが、全くもってアホ丸出しであった。
いわばその一味が後に歴史の勝者となった松陰や高杉の行跡や
人となりは、多分に創作されたものであると思われるが、敢えて
司馬遼太郎の講談小説などを鵜呑みにして判断するとしても、
彼らは云わばその時代においてテロリスト的な立場にあったわけ
で、後先考えずに自己陶酔だけを満足させる行為をしても、それ
なりに意味があったのかもしれないが。一国の総理大臣が自己
陶酔のために筋の立たない行動をして良いと思ってるのか、あの
馬鹿は。

大東亜戦争敗戦にいたるまでの歴史を見ていると、大小の小泉型
自己陶酔馬鹿が国を誤った方向に導いている。その一人が「特攻
の父 大西瀧治郎」である。

一般に特攻隊の発令者であるとされる彼だが、発案者は別にいて
彼自身は「特攻は統率の外道」と批判的であったとされ、その「外道」
に敢えて踏み切ったのも、敗戦を見越した上で早期講和をなるだけ
好条件で結ぶための布石としてだったと云われる。

つまり愚策と知りつつも、国益のために自ら汚名をかぶって、発令者
になったというわけだが、いわゆる特攻がなにがしかの効力を発した
のは、極初期のうちに限られ、後半は殆ど無意味な妄信による宗教
儀式とかわりなくなっている。それは、発令者である大西もよく判って
いたはずなのに、依然この愚策を撤回しなかったのだ。

最初の特攻隊を送り出すとき彼は、体を震わせながら激励したと言
われ、その後も自分に生活者としての享楽を得ることを禁じたという
が、無駄だと判っていることに徒らに他人の生命を賭し、戦争を長引
かせたことは、犯罪以外のなにものでもない。

勿論、事の決定権が彼になかったということも考えられるし、作戦の
真の発案者および責任者が誰であったのかも判明しないが、感情と
して許せないのは、敗戦の翌日すなわち1945年の8月16日自殺し
た彼の辞世の句である。
辞世はふたつある。

 之でよし 百万年の仮寝かな
 すがすがし暴風の後の月清し

前の句が特に有名だが、大勢の若者を犬死にさせておいてなにが
「之でよし」なのか?
作戦の立案者の一人とされる皇族伏見宮に責任が及ばないように
できて「之でよし」か?
それとも、自らの責任を問われる前にトンズラがこけて「之でよし」か?
自決すれば罪障が消滅するという発想は、如何にも単細胞の軍人ら
しい自己陶酔が見苦しいばかりで、少しも「すがすがしく」ない。

小泉はじめ政治家が本当に特攻隊などの戦没者を悼む気持ちが
あるなら、はっきりと「愚かな為政者および、軍部の犠牲となって
犬死された方を悼む」というべきだろう。
ましてや、歴史によって断罪されるべき戦争責任者とその被害者を、
個々の信仰信念の違いを問わず、特定の宗教で一緒くたに祀ってしま
うなど、死者には信仰の自由を認めないと言っているに等しい。
小泉自身だって、自分が死んでから後継者の安部が仲良しの「統一
教会」を国教にしてしまって、自分も一緒にそこに祀られたりしたら、
迷惑だろう。

by shanshando | 2006-08-15 16:32 | ■古本屋の掃苔帖


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