上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 08月 24日

古本屋の掃苔帖 第二百九十五回 永田耕衣


 水涸るる音のはづれの逆さ蝶         

私が耕衣の句に出会ったのは、20代の半ば過ぎで、身体が
漸く衰えという事の何たるかを知り始めた頃だった。
それまで放っておいても、いつも水を湧き出させていた身中の
井戸が、ある日枯れている事に気付き、やがて訪れる死が予兆
ではなく実感として感じられ、鬱々としていた時、飲み仲間の
さる老人が、耕衣の名といくつかの句を聞かせた。
思えば、あの頃は爺ぃとばかり飲んでいた。暗い青春である。
その反発で今は若い女性としか飲まないことにしている。

  豆の芽のうす色さして行く我ぞ

その後あまりに沢山の耕衣にふれたので、その時聞かされ、空
っぽの瓶に投げ入れた小石のように身中に響いた句が、どの句
だったかは、残念ながら今憶えていないが、その後緩慢な衰弱
の坂を転がって行った身体が時に呻きをたてると、いつも耕衣
句を服する習慣がついた。

  涸れ難き水手をつなぎ流れなす

その当時、耕衣は80代の末で、未だ矍鑠と健在だった。
いや、健在などというものではない。その当時の俳壇にかぎらず
あらゆる表現の現場で、これほどぶっ飛んだ人間はいなかった。
なにしろ、あんまりぶっ飛んでいたものだから、晩年の作などは
果たして何が詠まれているのか誰にもわからないほどだった。
造語が多い事もその理由のひとつだが、禅を下敷きにした独自
の世界観が、5・7・5に縫い縮られて出て来るから、難解という
より宇宙語を聞いているようにさっぱりなのだ。

  惜しむべし巨大放屁も数珠玉も

1995年、95歳の耕衣が暮らしていた、「茄子のミイラ」が常に生
けられていた書斎のある自宅は阪神大震災によって倒壊、厠に
閉じ込められた耕衣は助け出され、特別養護老人ホームに収容、
2年後の97年の明日8月25日97歳の大往生をなす。
その表現の独自性と、世界観の巨大さにおいて昭和の俳壇にお
いてもっとも注目すべき存在でありながら、永田耕衣の一般的な
知名度は低すぎるように思う。マスコミや知識人がその名を取り
上げるようになったのも、その長い人生の極晩年に限られるが、
写真の中で呵々と笑っている耕衣自身はそんなこと意にも留めぬ
風で、アアモウ コンナ爺いは二度と顕われるまいと、ただその事
だけが惜しまれる。

  踏切のスベリヒユまで歩かれへん  (何のこっちゃ?)
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by shanshando | 2006-08-24 15:05 | ■古本屋の掃苔帖


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