上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 10月 05日

古本屋の掃苔帖 第三百十七回 久生十蘭

ワープロの登場から、インターネットやメール通信などによって
日本語の文体は大きな変化をとげた。あるいは今もとげつつある
のだろう。
「どこがどういうふうに変わったんだ!お前説明してみろ!」と言われ
ると考え込んじゃうけど、相対的に自在さが増しているんじゃない
かと思う。
究極的には、文章は手紙と日記の二つの型に分類されるというけ
ど、メールによって自分の意志を文字化することが日常的になって、
もうすこし長い文章も、わりと肩肘はらずに書かれるようになった。
昔は、字が書けるということと、手紙を書けるということの間には、
高いハードルがあって、更に論文とかエッセイとかそういった類いの
文章を書けるということの間にはもっと高いハードルがあった。
ところが今は、こうやってブログを書いたりしちゃって、誰でも自分の
考えを文章化することが出来る。ちょうどフォーク文化が華やかなり
し頃にギターが普及して、それまで人前で自分の歌を唄うということ
が特別なことだったのが、一般化したのに似ている。

文章を綴る技術の一般化にあわせて、プロである作家やエッセイスト
、ライターという人たちの文章も柔らかく闊達になってきているように
思う。もう昔の文学青年のように好んで晦渋な文章を書こうとする人は
いない。

昔から文章の巧い作家には、さまざまな伝説がある。
芥川龍之介は小説を書くときその内容にあわせて、まずはロシア語や
漢語で書いてから、それを訳すということをしたという。
久生十蘭の場合は徹底した口述筆記。
それも、筆記されたものを改めて朱をいれ、それをまたもう一度口述
したという。おかげで、テンポのよさは無類。よく鍛えられた話芸に接し
ているような気がする。
勿論、効用はテンポだけではない。たえず人に語ることで綴られていく
文体は、徹底した客観性を持っており、自己陶酔が付け入る隙間を持
たない。
若い頃レンズ工学を学ぶため渡仏し、後に演劇研究に転じたという経歴
が頷ける文体なのだ。

明日10月6日は、1957年に食道癌のため他界した久生十蘭の命日で
ある。享年55歳
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by shanshando | 2006-10-05 19:25 | ■古本屋の掃苔帖


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