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2006年 10月 20日

古本屋の掃苔帖 第三百二十六回 志賀直哉

敗戦、占領という未曾有の経験は当時の日本人を相当右往左往
させたようだ。歴史教科書で読むと平板にしか伝わってこない当時
の人々の動顚ぶりが古本から浮かび上がってくる。
昭和21年4月の雑誌「改造」には、志賀直哉の「日本語廃止論」が
載っている。
明治時代の文部大臣森有礼が日本語を廃して、新たに国語として
英語を採用しようとしたのは有名だが、それを受けて志賀は国語を
フランス語にしようというのだ。

かなり頓珍漢な意見であるのは言うまでもないが、ちょっと面白い。
アジア、アフリカ、大洋州、南米などの国々でスペイン語やフランス
語、英語などの言語が公用語として今も用いられているのは、植民
地政策のなごりであり、それぞれの言語がどの程度民衆に浸透して
いるかは、旧宗主国の政策の違いでまちまちである。

一般的に、フランスは現地人のすべてにフランス語を強要する政策
をとったので、仏領には今もフランス語が浸透しているが、イギリス
は敢えて一部の支配層だけに英語を教えるという政策をとったので
民衆への浸透度は浅い。
日本はその短い植民地経営の歴史の中で、フランス方式を選択した
のだが、なにしろ時間が短くやり方もあまりに短兵急だったので、さほ
ど深く浸透しなかった。

日本語は漢字ひらがなカタカナなど字数が膨大な上、同音異義語な
ど複雑で、習得が困難であるため世界語足りえない、学術文化の発展
のためには不適当である。戦争の悲惨な敗北もこんな言葉を使ってい
たせいだ。森が提案した当時に無理にもその案を行っていたら、そもそ
も戦争など起こらなかっただろう。というのが大体の志賀の意見である。
無茶苦茶だが一利ある。一利あるがやっぱりおかしい。それなら英語
を国語にと言えばいいのに、あえてフランス語と言っている点に不自然
さがある。

文中、志賀自身フランス語に通じていない事を告白していて、何故フラ
ンス語か?という問いの答えには、フランスには小説などにも良いものが
あるし、日本に通じるところがあるようなところがあるような気がする。
などと曖昧な理由しか書いていない。
先述したように、一国の国民が母国語を放棄し、別の国の言語を使うよ
うになるのは、ほとんど全ての場合植民地化を意味する。志賀直哉はそ
の作品からもつたわるように言語的には潔癖性とも思われる作家である。
言語の活用法がその国の文化、美意識の要になると信じていたはずで
ある。ようするに彼が言いたかったのは、
「同じ植民地になるならアメリカなんかよりフランスの方がいいや!」という
事だったのではないか。
勿論、一文学者がそんな事言ったて、GHQが
「さいですか、では我々はひっこんで、ここはフランスさんにおまかせを」
なんて言うわけないし、その当時の日本政府にそんな荒唐無稽な意見に
耳をかしている暇などなかっただろうが。
志賀はおおまじめに「技術的なことは私にはよくわからないが、朝鮮語を
日本語に切り替えた時はどうしたのだろう?」などと書いている。
勿論その時は、暴力と強圧でかえさせたのだが、それを知ったら志賀は
やはり日本でもそうしようと言っただろうか?
第一アメリカの植民地である今もいいとは言えないが、フランスなんてい
う人種差別論者の巣窟みたいな国の属国になったらもっと悲惨だっただ
ろう。
 
小説の神様当時63歳。まだ惚けるには早そうだが、それだけ敗戦、占領
のショックが大きかったともとれる。
志賀直哉はそれからまだ26年の齢をかさね、1971年の明日、83歳で死ん
でいる。三島由紀夫が死んだ翌年である。
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by shanshando | 2006-10-20 16:56 | ■古本屋の掃苔帖


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