上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 10月 28日

古本屋の掃苔帖 第三百三十一回 フランシス・ホジソン・バーネット

インターネットの登場が読書の質を変えたのは事実だと思う。
昔なら、本の中に出てくる知らない言葉は辞書にあたり、知らない
論調や記述は必要を感じれば、関連図書をあたった。
語彙は時代と共に変容するものだし、手元にある辞書が説明する
内容と本の中での用いられ方が同じとは限らない。
関連図書は探し始めると、時間と金がいくらあっても足りない。
今なら、知らないことはインターネットである程度まで調べることが
出来る。
ネットの情報には、偏りや誤謬があるので、正確さには欠けるが、
自分で情報を整理し選択する能力を養うので、意味の変容が激し
い時代の読書にはやはり欠かせない道具だと思う。

さて以上の記述は、本の内容を正確に読み取ることが肝要だという
前提のもとに書いた。本を読むなら、ちゃんと書いている内容が理解
できて、それに対して妥当な感想あるいは、批判ができるべきだという
前提である。
でも、それって少なくとも「幸せな読書」じゃないよね。本当は。
文章を主体としている書物は意味の伝達を第一義としている。普通は。
しかしそれはあくまで、書き手側の事情であって、読み手はなにも律儀
にそんな事に付き合う必要はない。
それは確かに、世の中にはどうしても意味が正確に伝わらないと困る
書物もある。例えば爆弾の取り扱い説明書とか、財産差押え通告書と
かその他さまざま。
しかし、閑な時に家で寝転がって読む本にそんなに律儀になることは
ない。いい加減に読めというのではない。語彙や論調の細部に拘らず
鷹揚に読み飛ばす。言葉や文体の持つ意味を優先させるのではなく、
音や形として紙面の印象を受け取っていく。そういう「幸せな読書」の時
間を誰もが子供の時には体験出来たはずである。

よく店の児童書のコーナーで、「これは○○ちゃんにはまだ早いよ」とい
う、おとうさんおかあさん、おじいちゃんおばあちゃんの声を聞く。
早いよとか、ダメだよとか云われて子供は余計それに惹かれているのに。
大人でもそうだが、本との出合いで一番大切なのは、インスピレーション
である。新聞雑誌の提灯記事など鵜呑みにして、本を探すのは二流の
下策。もし子供に本との幸せな出会いを作ってやりたければ、大人が中
途はんぱな判断を差し挟まず、インスピレーションを信じてやることだ。
読めない字や、理解できないことがあっても、子供は想像力でそれを補
う。欲しがるからって、アニメのキャラクター絵本ばかり与えるのはどうか
と思うけど。あれは、本当に子供の想像力を台無しにするから。

私が初めて読んだバーネットの物語は「小公子」だったと思う。
外国の話なのに、漢字のタイトルが付いているのが、変な感じだった。
「裸の王様」や「あしながおじさん」なら意味は判るが、「小公子」ってなん
だろう?実は今もよく判らない。わからないまま読んだ小学低学年の私は、
とにかく、どうやら「小公子」というのは、おかあさんとかおとうさんのいない
可哀想な子供のことらしいと、思うようになった。同じバーネットの「小公女」
もそうだから、きっとそう思ったのだ。
一体どこのどいつがこんな辛気臭い邦題をつけたのか知らないが、今も
その頃も臆病で可哀想なヤツが大嫌いな私は、いつか自分もかわいそうな
「小公子」になるのではないかと怖かった。

イギリス生まれのフランシス・イライザ・ホジソンは16歳で父を亡くし、一
家で渡米、長じて女性誌むけの物語作家となり、24歳で結婚バーネット
夫人となる。1886年37歳で発表した「Little Lord Fauntleroy」が
大ヒット、児童読み物だったのだが、母親達に絶賛された。洋の東西を
問わず女性は、根が残酷だから可哀想な話が大好きなのだ。
明日10月29日は、1924年に亡くなったバーネット夫人の命日である。
享年74歳
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by shanshando | 2006-10-28 16:43 | ■古本屋の掃苔帖


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