上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 12月 05日

古本屋の掃苔帖 第三百五十三回 山下耕作

お腹にくる風邪にやられたようだ。

さる舞踊評論家に云わせると、舞踊家は便秘の時より下痢の時
のほうが力が抜けていい踊りを出来るらしいから、今の私は実力
以上に良い踊りが出来そうだが、おもらしをすると困るのでやめ
ておこう。

こんな風邪なんかひかなくても私は元来子供の頃からお腹がゆ
るい性質で、小学生の頃は大いに苦労をした。
今も、そんな愚かしいことが行われているかどうかは知らないが
私の子供の頃は、学校で大のトイレに行くというのは、凄く恥ずか
しい事とされ、それでも我慢しきれずに行くと、一遍でイジメの対
象にされた。
排泄をしない人間は、日本では吉永小百合さん以外はいないの
だから、それをもって差別の対象にするというのはなんだか奇妙
な事だが、子供の心理に理屈は不要なのだ。
「ああ、石丸ウンコしとる!」と囃されながら、トイレのドアをドンドン
叩くイジメに耐え切れず。お尻を拭くや、逃げるようにしてそこを立
ち去った私は、その頃新築の校舎に導入されたばかりの水洗に不
慣れで、排泄したものを十分に流しきっていなかったらしい。
ただでさえ恥ずかしいウンコをしておきながら、流さずに立ち去った!
それまでも高いとは言いかねたクラスにおける私の地位はどん底
に落ちた。
次の日から学校に行くのが嫌でしょうがなかったが、まさか親に
「ウンコのことで虐められた」とは言えない。
ウチの親父は、虚弱でいじめられっこの私が嫌いで、表で虐めら
れて帰ったことが家でばれると、家ではそれを上回る虐めが待って
いたのだ。
今の都会の子供だったらサッサと学校をさぼって、ゲームセンター
にでもフケるのだろうが、当時の田舎にそんな便利な場所はない。
しょうがなく死にそうな思いで学校に行くと、ストレスからまた腹が痛
くなってくる。必死の形相で終業を待ち、お尻を押さえるようにしなが
ら家に帰ってくると、わき目もふらず便所に飛び込む。
家の便所は汲み取り式で、独特の臭気に包まれながら瞬時に弛緩
した私の脳に浮かんだ妄想は「いつかウルトラマンになって虐めっ子
も学校も親父も全部踏み潰してやる!」というものだった。
やがて小学校を卒業し、中学になっても私の虐められっ子体質は変
わらず、ストレス性の下痢も続き、帰宅後トイレの中で悔しさを紛らわ
す虚しい妄想も続いた。ただし、妄想の中で変身するのはさすがに、
いつまでもウルトラマンではない。ブルース・リーや高倉健、いつも堪
忍の末に一人で敵地へ乗り込み、死を覚悟で悪者どもをコテンパン
にやっつけるヒーロー、その悲壮美に自らの幻想を託したのだ。

1973年に深作欣司の「仁義なき戦い」が発表されることによって、単
純なヒロイズムから脱却するまで、やくざ映画は群れることを潔しとし
ない庶民が日々溜めるストレスを発散する道具だった。
「仁義なき戦い」は「かっこ悪いヤクザ」達が、組織や社会に押しつぶさ
れていくさまを描いて、それはまさに高度成長や安保闘争を経験した
日本人の実感を描いたという意味で優れた映画だけれど。それまでの
ヤクザ映画のファンにとってはなんだか居心地の悪さだけが印象に残
ったに違いあるまい。

話は飛ぶが、ハリウッドがミヒャエル・エンデを騙して、「ネバーエンディ
ングストーリー」というくだらない勧善懲悪映画を作った時、エンデは勿
論、日本でも矢川澄子さんなど大変怒っていたが、意外にもといういか
やっぱりというか、日本では映画は大ヒットした。
日本人は、尻の穴からイジケをねじ込まれた少年時代の私のように、本
当に情けないイジケ虫であるか、群れて弱者を虐める卑怯者であるか、
どちらかにしかなれないのではないか?
最近また、大衆の情緒を弄ぶような臭いストーリーの映画が増えだして
いる片やで、あいかわらず無くならない虐め事件を見てそう考えた。

任侠物から実録物に変遷した東映ヤクザ映画の新旧のスタイルにまた
がって、巨匠として遇され続けた山下耕作は、1998年の明日12月6日
多臓器不全で、68歳の人生を閉じている。

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by shanshando | 2006-12-05 17:01 | ■古本屋の掃苔帖


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