人気ブログランキング | 話題のタグを見る

上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ
2007年 04月 03日

虐めについて

大抵の悩みというものは遠く過ぎ去ってしまうと大した事じゃないように
思える。
人間は過去に受けた苦痛を忘れることで精神の錯乱を招かないでいら
れるのだ。
だから大抵の大人は子供が現に受けている苦痛に対して鈍感でいられ
る。
ちょっと想像力を駆使すればその苦痛に思いをやることができるけど、
なるだけ身近に問題が来るまでそうはしないでいる。
問題が例えば自分の子供とか孫とかに起こって、その壮絶な悲惨を見
せ付けられた時、漸くなんとか理解しようと勤めるが、他人事であるうち
は無責任な自論に酔って、問題に直面している他者を岡目八目で非難
する。

もう政治の話をこのブログに書くのはやめようと決めていたけど、都知事
選が近づくにつれて、どうしても石原現都知事に再選して欲しくない、自分
の気持ちを書きたくなった。
私が決定的に彼は駄目だと思ったのは、公私混同の問題もそうだし、外
国人に対する差別発言もそうだけど、なにより虐めの問題に関して彼が
振り回す、想像力に著しく欠ける発言の故だ。
「虐め」は日本だけの問題ではなく他の先進諸国でも深刻な事態がある
とされる。問題の根幹に共通するものが何かは私には判らないけど。
これが石原が言うような「親が喧嘩の仕方を教えればいい」などという、単
純な問題でないことだけは判る。
私自身も子供の頃似たような体験をしているので判るが、虐めをする側の
集団心理というのは明らかに病的である。
毛色の違うヤツを排除することでしか、自分達の結束を確認できない人間
不信がまず虐める集団に起こり、その論理がやがて虐めを受ける側に
伝染し、自己否定を生むのだ。伝染した時点で問題は虐められる側の内部
に移るのだから、その時点だけを切り離してみれば、まるで問題は始めから
虐められる側にあったかのように見える。
本当は椅子取りゲームのように、仲間はずれを常時創り出したがる集団の
本能が動いているだけなのに。

石原のように古い世代の日本人にこの事が実感として伝わりにくいのは、彼
等が少年だった時代にはこのような事がなかったからなのだろう。それは戦
前の社会体制が優れていたからでは無論ない。実はもっと大きな集団枠で
差別、敵対の構図を持っていたからだろう。つまりそれが彼の中に残る旧
植民地人に対する差別意識であり、底の浅い気分だけの反米主義なのだ。

石原が知事になって東京都の教育環境はドンドン悪くなっている。
彼が個人的にどういう教育哲学を持とうと勝手だし、立場を利用してセコイ
横領をするのも彼の名誉を傷つける事にしかならないから大目に見てやる
が、私は一人の親として自分の子が育つ環境を劣悪な物にすることだけは
許せない。

蟷螂の斧にもならないゴマメの歯軋りだと知りつつ、これだけは書きたかった。

by shanshando | 2007-04-03 17:55 | ■原チャリ仕入れ旅■


<< 手遅れ      電話 >>