人気ブログランキング | 話題のタグを見る

上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ
2007年 05月 03日

南洋だより

今日初めて役所へ行った。
一日何もすることがない。給仕のつぐお茶をのんで、自分の本を
読んでいた。当分この通りらしい。役所はとても涼しい。椰子の葉
ごしに海が見えて仲々宜しい。ただ、晝休にラヂオ体操を皆で、
しなければならない。物価はベラボーに高い。飲食物(料理など
)は、まず倍だね。今日、ヤキソバを食べたら恐ろしくまづいのに
七十銭もとる。内地なら三十銭位のところ。
気候は良くない。内地の梅雨時と同じだ。もっとも今は、ここの雨
季ださうだ。
この寮には食堂があって、ベンタウ箱さへ出せば、晝めしも詰めて
くれるんだが、僕は朝と晩だけたべることにした。それで二十圓た
らずらしい。室の電燈が暗いので困っている。十ワットだから(之以
上つけられないのだ。最近電氣會社が火事になったので)全然、
何にもできない。今まで電氣だけは贅澤してきたので、辛い。南洋
の月はひどく明るい、満月の時は、新聞くらい讀めるさうだ。南十字
星という星を見たよ。
 (中島敦全集第三巻 書簡より)

昨日買取りで講談社の「ムーミン谷への旅」が入ってきて、ちょっと
パラパラやってたら、またフィンランド熱が再発してしまって、目前
に控えたグアムをすっとばして心は北欧に…。
ここまで惹かれているのだから何時かはきっといくつもりだけど、今
すぐはどうしても無理。無理と知りつつ、フィンランドのことばかり思っ
ているのは、牛丼を前にしてステーキの話ばかりしているようで、不
健全だし虚しい。
急遽気持ちを変えるべく、グアム関連の本を…と思うがグアム関連
の本なんて精々横井庄一さんの本くらいしか思いつかない。
視点をうんとひろげてキーワードを「南洋」にしてみるとこれはもう数限
りなく色々あるのだが、やはりもうちょっと狭めてミクロネシアということ
になるとやはり中島敦なのだ。
幸い中島敦は家と店にひと組ずつ全集があるし、家には川村湊さん
の「中島敦父から子への南洋だより」もある。
さっそく、ひっぱりだして読んでいると、どうかするとこの人の場合作品
より日記や書簡のほうが面白い。

宿痾の喘息に悩まされた中島は転地療養を兼ねるつもりで、当時日本
の南洋における植民地経営の中心地であったパラオの南洋庁に国語
教科書編集書記として赴任するのだ。
小熊英二「<日本人>の境界」にあるように、フランス型の植民地経営を
めざした大日本帝国は、植民地人の皇民化をはかるため徹底した言語
教育を施そうとするのだが、中島は個人的理由からその先兵に志願した
ことになる。
結局、猛暑や不衛生のため容態の回復は思うにまかせず。同年中に内地
配属願いを出し、翌17年3月出張というかたちで一時帰京するが、厳しい
寒さのため肺炎をおこし、6月には回復するが8月に辞表を提出、その年の
12月4日33歳で死亡している。

夭折の文士というと、根が暗そうな印象があるが、この人は冗談好きの陽
気な性質でどちらかというと饒舌だったらしい。書簡や日記にもそんな人と
なりが感じられる。食べ物に関する記述が多いのも読んで面白い理由の
ひとつだろう。

昨日ヤップ島へ上陸した時滋賀先生の御紹介で、院長さんを訪ねた所、晝
食を御馳走になり、その時、オレンヂの大きいのを六つばかりたべた。外は
まつさおだが、とても甘い。バナナも大分食べたが恐ろしくうまかった。帰る
時、土人(こちらでは島民といふ)がオートバイに乗せて送ってくれた。(中略)
今度、ついでがあったら、送って貰ひたいものは、ビスケット(ヨーロッパので
結構、)  横濱の、本郷町のアバラヤはなつかしいな。ノチヤボンが、あの前
の道をヨタヨタ歩いてるだろうな。ストケシヤも咲いたろう?サルビヤはまだだ
らうな。
何だか涙が出てくるよ。おたかさん

by shanshando | 2007-05-03 15:21 | ■原チャリ仕入れ旅■


<< 売ってもらえなかった本      ミクロネシア >>