2007年 08月 25日
昔、学生時代に私が住んでいた洛西の住宅街に昭和初期の築と おぼしき和洋折衷の屋敷があって、道路を挟んで向かいには緑の 少ない京の都にはめずらしく松の葉陰があった。 今日の様な猛暑日、盆地である京都の街は息を止めてお湯の中 を歩いているのと変わらない蒸し暑さで、学校やアルバイトの行き 帰り私はその葉陰でしばし休んでは、見るともなしにその瀟洒な 屋敷の構えを見て楽しんだ。 向かって右にはフランス窓の洋室があり、左には縁側のむこうに 座敷が見えるという、典型的なその時代の建物で、まあめずらしく もないといえばめずらしくないのだが、この屋敷がわざわざ足を止 めてでも眺めたくなる原因は、洋室と縁側に挟まれた玄関の形状 にあった。 三方をアーチ型に漆喰を施された深い庇の奥にまるで写真館でで も使いそうな木枠にガラスの一枚板を嵌め込んだドアがあって、早 朝や深夜は内にカーテンが引かれていることが多いが、日中は大抵 開かれていて、外部に光が満ち溢れた夏の昼下がりなどは、よく磨 かれたガラスに外の景色が映り、映画が写されているような錯覚を 覚えた。 深い庇の作り出す闇の縁取りが、写像との間に非現実的な距離を 感じさせ、向かい合って立っている自分も何か次元を異にして生き ている物であるかのように思われて、私はその玄関をひそかに「ドッ ペル玄関」と呼んでいた。 ドッペル玄関に映る異次元の私はあまりに貧弱で自信無げで、マッ タクカッコウ悪い奴だったが、松の葉陰やその他の背景に助けられ て、なんとか一枚の絵として完成している感もなくなかった。 今考えてみると折々に自分の家のほうを見入っている不審な学生は 家の人にしてみればかなり不気味だったはずで、今なら間違いなく 通報されるだろう。やはり、あの頃は今より随分世間もゆったりしてい たのかもしれない。 私が最後にドッペル玄関に向かい合ったのは、親に内緒で学校を ドロップアウトして上京した日で、確か2月だったと思うが、京都駅ま での見送りに来てくれるという当時の彼女と並んでだった。 あれから27年、彼女の行方は今ではさっぱりわからないし、京都へ 行く用事があったところで洛西のあの街には行かないから、ドッペル 玄関のその後もわからない。 結構、未だに当時の私と似たような貧弱な学生が我が身を写して嘆息 しているかもしれない。 彼女はもうとっくに何処かで母親になっただろう。
by shanshando
| 2007-08-25 14:23
| ■原チャリ仕入れ旅■
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