上々堂(shanshando)三鷹

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2008年 09月 02日

外後架

今朝、買取に出ていて牟礼のあたりで外後架のある家を見た。
田舎じゃまだ随分あるだろうし、それこそ夏休みにお父さんやお母さんの
実家に遊びに行って、こわごわ使った子供たちも居るかもしれないけれど、
都会のマンション暮らししか知らない子供たちには想像もつくまい。
私自身こんな近くで見られるとは思わなかった。
そもそも外後架って何?という人も少なくないのではないか。

思いついて、店についてからグーグルで検索してみたら、トップに何故か
「井伏鱒二」という項目が出た。
「荻窪風土記」冒頭あたりの文章の抜書きに内後架、外後架という言葉が
出てくるのだ。
「荻窪風土記」の冒頭あたりとは、昭和の初め頃、井伏鱒二が荻窪に借家を
探すくだりで、借家の持ち主の百姓の親父は、家賃なんぞいくらでもいいけど、
下肥は全部他所へやらないで、ウチにくれと言う。
つまり家賃なんかより、店子がひりだす排泄物を目的に家を貸そうというのだ。

ほんの80年あまり昔には、うんこ以下の価値しかなかった荻窪あたりの家賃は
今や目が飛び出るほど高く、外後架はもうそのあたりのどこにもおそらくない。
杉並区全域を詳しく探せば一軒くらい見つかるだろうか?
隣り合う武蔵野市や練馬区でも難しいだろう、ところが三鷹にはちゃんとある。
外後架があるのが何が偉い?と聞かれれば「いやべつに」と答えざるを得ないけど、
外後架の家の傍には果樹園があったり、またその無人店があったり、微妙に田舎
エッセンスが混じっている三鷹が私は好きだ。

井伏鱒二と同じ明治三十一年生まれの吉田一穂は後半生をこの牟礼の里で送った。
当時の文士は一般に今の作家さんより貧乏で、武蔵野あたりに居住するのは風雅
野趣を求めてというより、むしろ経済的な理由だったはずで、そのなかでもすでに省線
が通っていた荻窪に住めた井伏と、更にど田舎暮らしの一穂では大きく収入に差が
あったのだろう。

店も折角三鷹にあるのだから、三鷹に住めれば住みたいのは山々だけど、行政サービス
に差がありすぎて、今のところ杉並を離れがたい私なのでした。
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by shanshando | 2008-09-02 13:39 | ■原チャリ仕入れ旅■


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