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カテゴリ:■古本屋の掃苔帖( 369 )


2006年 12月 09日

古本屋の掃苔帖 第三百五十六回 山本七平

昨年8月23日、東京地裁で「南京大虐殺」における所謂「百人斬り」
に関する裁判の判決が出された。
これは「南京大虐殺」を巡る論争の中で象徴的に扱われた事件で、昭和
12年の11月末から12月にかけての約2週間の間に二人の日本人将校
(どちらも当時二十代半ば)が、どちらが先に百人斬りを達成するかを競っ
たという話を、当時の東京日日新聞の記者が戦意高揚記事として報じた
もので、記事中では恰も敵兵との戦いであげた功績であるかのように報じ
ているが、後にそのうちの一人が「あれは据え物切りであった。」と告白し
ており、事実は捕虜や非戦闘員の虐殺であったとして、戦後二人は戦犯
として処刑されたが、これを本多勝一が著書「中国への旅」で書いたこと
に対し、名誉毀損などにあたるとして、二人の遺族が訴えていたもので。
原告被告双方に「南京大虐殺」を否定・肯定のグループが支援して論争
のタネとした。

さて、そもそも本多の著書にまず噛み付いたのが山本七平なのだが、
その論拠とした「日本刀の殺傷能力の限界」に関する記述が、強引な
捏造情報に満ちており、いかにもキリスト教原理主義者らしい馬脚を晒し
たことになるが。この詳細については、様々なサイトで紹介されているの
で省略する。

山本七平は毀誉褒貶の固まりみたいな人物で、私ははっきり言うと大嫌い
だが、あまり嫌いだと簡単にくさす事もなんだか嫌で、今日は雨で暇なの
を幸いに(ちっとも幸いじゃないけど)、いろいろ読んでみた。
パラパラだから、ちゃんと読むとまた変わるかもしれないが、いつのまにか
イザヤ・ベンダサン著から山本七平著になっちゃった「日本人とユダヤ人」
をはじめ、日本人論の中にはちょっと興味深い記述もあるなぁ。という感じ
である。
最近、「昭和史」だとか「国家論」とか「民族論」関係の本がよく売れるが、
はじめから、こいつは右で、こいつは左などと単純な視点で読み分けてい
ると、結局自分を見失うことになるなぁ。と、ちょっと反省。
しかし、「百人斬り」を当時の新聞に自慢げに吹聴したこの二人の若者は
戦後処刑前、「あれは冗談だった」と弁明したらしいがもしそれが事実だと
すれば、その軽薄さは今ネット右翼などと称している人にそっくりじゃないか
と思い、山本七平がいくらなかったと言い張っても、厳然とあった日本軍国
主義の狂気が、浮薄なおちょこちょいどもと、脳足りんのヒロイストによって
再構築されないことを祈るのみである。

山本七平は1991年の明日12月10日、膵臓がんにより自宅で死去した
膵臓がんは発覚した時点では手遅れのことが多く、自宅で死んでいるところ
を見ると告知を受けていたのかもしれない。
享年70歳

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by shanshando | 2006-12-09 22:27 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 08日

古本屋の掃苔帖 第三百五十五回  趙 方豪

ちょう ばんほう と読む。
1980年頃、京都で辰巳琢郎の「そとばこまち」と並んで人気があった
「満開座」の役者で、1981年の井筒和幸の「ガキ帝国」に紳介竜介と
共に主演して、映画デビューをはたした。
「ガキ帝國」は低予算の映画だったせいか、あるいは監督の方針からか、
出演する悪ガキのキャストを一般公募して話題になった。
当時、紳竜はすでに売れっ子の座を獲得しており、漫才も笑い死にさ
せられるんじゃないかと思うほど面白かったが、よくケチの吉本がそん
な売れっ子をこんな低予算映画に出したもんだと思うが。その他大勢の
キャストにかける金を全部紳竜につぎ込んだと思えば納得がいく。
私は同級生が一人、その他大勢キャストで出ていた関係もあって封切
りまもなく観に行ったが、残念ながらストーリーはよく憶えていない。
ただ、人気の紳竜に伍して無名の 趙 方豪の存在感が光っていたのを
憶えている。
「ガキ帝國」は確か続編が作られ、それにも 趙 方豪は出ていたはずだ
が、私はその頃から身過ぎ世過ぎと女の子を追いかけるのに忙しくなり、
観に行かなかった。 
趙 方豪をそのあと目撃したのは、NHKでやった。ビートたけしの自伝ド
ラマで、たけしの兄役をやった時で、なんだか関東弁になると迫力がな
くなるなぁ。と思ったのを憶えている。

先日、上々堂の買取で入った村上春樹原作 山川直人監督の自主映画
「パン屋襲撃」のDVDに 趙 方豪の名が見え、さっそく観てみたが押さえ
気味の演技をしている 趙 方豪より、現在からは想像もつかないほど若く
ポッチャリしている室井滋に目を奪われてしまった。
このDVDは「100%の女の子」という作品との抱き合わせになっており、
ライナーノーツによれば、「100%…」のほうは、制作費わずかに10万円
で作られたのだそうだ。
1980年代初頭、村上春樹も室井滋もそうして趙 方豪も若く、四半世紀を
経て、村上はノーベル賞候補になり、室井はテレビドラマの常連となったが、 
趙 方豪は1997年の明日12月9日、わずか41歳で悪性胸腺腫のため
亡くなった。
死んじゃった趙が生きている村上、室井より損したなどというのは、不遜か
もしれないが、やっぱり生きていればこそだよね。
41歳か、せつないナァ。
「パン屋襲撃」のライナーノーツの写真で丸ごとの食パンを頬張っている26
歳の趙 方豪の笑顔は若くてチャーミングである。

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by shanshando | 2006-12-08 15:17 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 07日

古本屋の掃苔帖 第三百五十四回 エルンスト・エンゲル

公園のベンチで、一人で背中丸めてお握りを食べていると、
とてつもなく悲しくなって、死にたくなります。
気の合う人達と4、5人で食べきれないくらいの量の蟹を食
べ狂っていると、自分が世界の王様になったような気持ちに
なります。
どうやら私は精神のエンゲル係数が、相当高いようです。

実際にエルンスト・エンゲルさんが提唱したエンゲルの法則
のほうは、山本益広のような人の出現によって日本では意味
を失いつつあるようですが、地球的な規模で見れば飢えと、
貧困はとても切実な問題で、何処かで食い物の事で殺しあい
すら起こっているのに、なんでこんな浮薄で惰弱な精神なんだ
ろうと情けなくなりますが、それでも私は食べる事が好きで、
喩え胃袋は満杯でも、食べ物の事を考えていると幸せで、だか
ら本も食べ物の匂いのするものが好きです。

エルンスト・エンゲルに『ベルギー労働者家族の生活費』という
著書があります。じつはまだ読んだことがないのですが、今日
のおやつのワッフルを食べながら、この本にはなにかベルギー
ワッフルに関して言及したところがあるかしら?などと想像してし
まう私は、どうしようもない資本主義の豚なのでありませうか?

岡崎さんたちと行ったベルギー旅行の終わり頃、ブリュッセルの
広場に面したカフェでワッフルを食べていた私たちのところに、
ジプシーの少女が物乞いにやって来て、同行していたT君が、
残しておいても換金できない小銭をよってやろうとしたら、彼女は
決然とした身振りで、そっちの大きな金をよこせと言いました。
あの時のT君のかっこ悪さは、貧困や飢えの実態とその問題に
無頓着な日本人の間抜けさそのものを象徴していました。
彼には、勿論悪意はなく、ちょっとした合理精神のつもりだったよう
ですが、麻薬に溺れた大人たちに使役されているという、そうした
ジプシーの子供たちの心理を、無邪気な日本の子供たちのそれ
の延長線上に考えてしまった事に間違いがあったのです。

(世界がもし100人の村だったら)
「20人は栄養がじゅうぶんではなく
  1人は死にそうなほどです
  でも15人は太り過ぎです」

精神的にも身体的にも「太り過ぎの15人」に属しそうな私たち日本人、
私たち自身が考え、そうして私たちの子供たちにも考えて貰わなけれ
ばならないことは、何でしょう?
今の教育改革では徳育が問題にされているようですが、道徳という大
人が決めたレールに沿ったモラルを押し付けることで、はたして今一番
大事な他者に対する想像力が養われるでしょうか?
前出のT君がジプシーの少女に小銭を恵もうとした行為は、「合理精神」と
「思いやり」を合体させたものでした。しかしそれは拒否された。
それは、彼には「思いやり」はあっても、ジプシーの物乞いに関する「情報」
と「想像力」が欠けていたためです。

1896年の明日、12月8日「エンゲルの法則」でおなじみのエルンスト・
エンゲルが75歳の人生を閉じています。

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by shanshando | 2006-12-07 17:38 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 05日

古本屋の掃苔帖 第三百五十三回 山下耕作

お腹にくる風邪にやられたようだ。

さる舞踊評論家に云わせると、舞踊家は便秘の時より下痢の時
のほうが力が抜けていい踊りを出来るらしいから、今の私は実力
以上に良い踊りが出来そうだが、おもらしをすると困るのでやめ
ておこう。

こんな風邪なんかひかなくても私は元来子供の頃からお腹がゆ
るい性質で、小学生の頃は大いに苦労をした。
今も、そんな愚かしいことが行われているかどうかは知らないが
私の子供の頃は、学校で大のトイレに行くというのは、凄く恥ずか
しい事とされ、それでも我慢しきれずに行くと、一遍でイジメの対
象にされた。
排泄をしない人間は、日本では吉永小百合さん以外はいないの
だから、それをもって差別の対象にするというのはなんだか奇妙
な事だが、子供の心理に理屈は不要なのだ。
「ああ、石丸ウンコしとる!」と囃されながら、トイレのドアをドンドン
叩くイジメに耐え切れず。お尻を拭くや、逃げるようにしてそこを立
ち去った私は、その頃新築の校舎に導入されたばかりの水洗に不
慣れで、排泄したものを十分に流しきっていなかったらしい。
ただでさえ恥ずかしいウンコをしておきながら、流さずに立ち去った!
それまでも高いとは言いかねたクラスにおける私の地位はどん底
に落ちた。
次の日から学校に行くのが嫌でしょうがなかったが、まさか親に
「ウンコのことで虐められた」とは言えない。
ウチの親父は、虚弱でいじめられっこの私が嫌いで、表で虐めら
れて帰ったことが家でばれると、家ではそれを上回る虐めが待って
いたのだ。
今の都会の子供だったらサッサと学校をさぼって、ゲームセンター
にでもフケるのだろうが、当時の田舎にそんな便利な場所はない。
しょうがなく死にそうな思いで学校に行くと、ストレスからまた腹が痛
くなってくる。必死の形相で終業を待ち、お尻を押さえるようにしなが
ら家に帰ってくると、わき目もふらず便所に飛び込む。
家の便所は汲み取り式で、独特の臭気に包まれながら瞬時に弛緩
した私の脳に浮かんだ妄想は「いつかウルトラマンになって虐めっ子
も学校も親父も全部踏み潰してやる!」というものだった。
やがて小学校を卒業し、中学になっても私の虐められっ子体質は変
わらず、ストレス性の下痢も続き、帰宅後トイレの中で悔しさを紛らわ
す虚しい妄想も続いた。ただし、妄想の中で変身するのはさすがに、
いつまでもウルトラマンではない。ブルース・リーや高倉健、いつも堪
忍の末に一人で敵地へ乗り込み、死を覚悟で悪者どもをコテンパン
にやっつけるヒーロー、その悲壮美に自らの幻想を託したのだ。

1973年に深作欣司の「仁義なき戦い」が発表されることによって、単
純なヒロイズムから脱却するまで、やくざ映画は群れることを潔しとし
ない庶民が日々溜めるストレスを発散する道具だった。
「仁義なき戦い」は「かっこ悪いヤクザ」達が、組織や社会に押しつぶさ
れていくさまを描いて、それはまさに高度成長や安保闘争を経験した
日本人の実感を描いたという意味で優れた映画だけれど。それまでの
ヤクザ映画のファンにとってはなんだか居心地の悪さだけが印象に残
ったに違いあるまい。

話は飛ぶが、ハリウッドがミヒャエル・エンデを騙して、「ネバーエンディ
ングストーリー」というくだらない勧善懲悪映画を作った時、エンデは勿
論、日本でも矢川澄子さんなど大変怒っていたが、意外にもといういか
やっぱりというか、日本では映画は大ヒットした。
日本人は、尻の穴からイジケをねじ込まれた少年時代の私のように、本
当に情けないイジケ虫であるか、群れて弱者を虐める卑怯者であるか、
どちらかにしかなれないのではないか?
最近また、大衆の情緒を弄ぶような臭いストーリーの映画が増えだして
いる片やで、あいかわらず無くならない虐め事件を見てそう考えた。

任侠物から実録物に変遷した東映ヤクザ映画の新旧のスタイルにまた
がって、巨匠として遇され続けた山下耕作は、1998年の明日12月6日
多臓器不全で、68歳の人生を閉じている。

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by shanshando | 2006-12-05 17:01 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 02日

古本屋の掃苔帖 第三百五十二回 箕作秋坪

箕作家というのは、江戸時代の蘭学者阮甫以来を学者
を多数排出した家系であるそうな。傍系である長岡、
大島、菊池、吉坂を名乗る人まで入れると膨大な数に
なり、一々あの人この人などと書き出すのは面倒なので
やめるが、そういえば知人の菊池さんのお父さんも学者
さんだということだったなぁ。と思い出す。関係あるかもし
れない。

さて、興味深いのはこの箕作というさほど耳慣れている
とは言いがたい苗字だが、学者一族の始祖箕作阮甫の
先祖は近江五個荘の出で、その地にあった箕作城から
とって箕作という姓を名乗ったという。
箕作の箕とは、米を篩い分けるための竹製の農具で、
沖浦和光著『竹の民俗誌―日本文化の深層を探る』に
よるとこうした竹製品を作る技術は南方系の海洋民族に
よって日本にもたらされたもので、下ってはこの技術を
所謂「山の民」がたつきとして受け継いだ。
阮甫の箕作家はのちに美作すなわち岡山に移住して、
だから阮甫も美作の人とされるが、先祖の居住した近江
五個荘の地は旅による交易を生業とした近江商人の地
でもあるところからみると、この一族、古代からの漂流民
の家系であるかもしれない。
高々古本屋の言うたわごとなので、間違ったらゴメンであ
るが。
もし、野山や海を旅した古代の漂流民の血に眠る好奇心
や知識欲が時代を超えて多くの学究の頭脳を作ったとす
れば、これはちょっとしたロマンだナァと思うのである。

備中の菊池家という儒家の家に生まれ、箕作阮甫や緒方
洪庵に師事し、のちに阮甫の婿養子となり維新後は明六
社に参加するなどした箕作秋坪は1886年明治19年の
明日12月3日、60歳で他界している。

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by shanshando | 2006-12-02 16:22 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 01日

古本屋の掃苔帖 第三百五十一回 マルキ・ド・サド

他人の性欲を処理する仕事というのは、マジメに取り組むほど
多大なストレスを伴うものであるらしい。
知り合いの元女王様に聞いた話である。(と言っても王室や皇室
に関係している方ではありませんよ。)

その女王様が全盛を極めていたのは、まさにバブルの真っ最中
世の哀れな奴婢どもが、辱世のドブ浚いに励んでは金を貯め、
浄財として献上するために、連日押すな押すなと女王様に拝謁
にやってくる。
女王様は、そのような下賎の者の都合など知った事ではないから
気が向いた時だけ、ご出勤されて、貢物の高に応じたご褒美を
奴婢どもにお与えになる。それがまぁ、良くって週に3日。
一回出勤すれば、オイルマッサージのスペシャルコースを二連続
で受けて、着るつもりもないブランド物の洋服を店員が土下座する
ほど買い占めて、それでまだ友達2、3人連れて朝まで飲み続け
られるほどは稼いでいた。
そんな無駄遣いしないで、貯金でもしておいて商売でもすればよか
ったじゃん。バブルもはじけ、女王様が一般人に戻られてから知り
合いになった私は、貧乏くさいうえに今更言ったて完全に遅い忠言
をしたものだが、そういうものではないらしい。

女王様としての職業意識を維持するためには、けち臭い生活臭など
漂わせてはお終いだし。第一、奴婢どもが運んでくる札束など、尻
拭き紙程度に思っていなくては、良いお仕事は出来ないのだそうだ。
売れに売れて3年でAVに転職、そこでも持ち前のプロ魂を発揮して
伝説に残る作品を残し、やがて男優の一人と結婚した。
結婚してからも、時々監督、プロデュサーとしてビデオの仕事はした
が、生活費はもっぱらあまり稼ぎのよくない亭主の男優にまかせて、
彼女は主婦に徹しようとしたが、女王様時代の後遺症で浪費癖が
抜けない。冷蔵庫に腐るほどの食材が溢れていても、夕方買い物に
出ると、到底必要と思えないものまで買い込んで、一日必ず五千円
以上遣わないと、生きている感じがしないのだそうだ。

月日が経ち今は5歳の子供のママとなったが、この子を生む時も生
んでからも煙草はやめないし、授乳していた時も片手にはグラスを
持っていた。

事の善悪はこの場合他人がどうこう言うことではない、子供は十分
健康に育っている。一人の優秀な職業人が世の中に必要とされる
仕事を全うし、結果体験が人格を形成した。これは美談である。
是非とも、「美しい国」を提唱されているお方にお聞かせしたい。
そうして考えてもらいたい。多様化した文化の渦のなかで生きる人
間相手に画一的な価値観の押し付け教育が可能かどうか。

1814年の明日12月2日シャトラン精神病院で、マルキ・ド・サドが
死んでいる。
享年74歳

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by shanshando | 2006-12-01 17:42 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 28日

古本屋の掃苔帖 第三百五十回 家永三郎

私は少年時代、自分の意思とは関係なくボーイスカウトに入ら
されていた。幼稚園で団体行動が苦手と評価されて、親が余計
な教育的配慮というやつをしたのだ。結果未だに私は団体行動
が大嫌いである。
まぁ教育的配慮なんて結局そんなもので、大人が思った通りに
なんか子供は絶対育たない。

ボーイスカウトというのは、子供たちに自然と触れ合う機会をも
たせるという美辞麗句に隠された実は全体主義教育で、その発
生からして、イギリスの少年兵養成システムなのである。
現在も同じことをやっているかどうかは知らないが、当時は徹底
した精神主義的な指導が行われ、例えば真夏の行軍の折なども
決められた休息時間にしか水分補給をさせてくれなかった。
為に、倒れるような子供がいても、「昔の兵隊さんは……」という
有難い訓示を聞かせるだけで、指導者たちは自分たちの方針を
疑おうともしない。まるで帝國陸軍のミニチュアなのだ。
中でも嫌だったのが、日の丸の掲揚と「君が代」の斉唱だった。
私は、団体に溶け込めないトロイ子だったが、あいにく知力は並
程度にはあったので、この国歌と称されるわけの判らん歌の歌
詞に疑問を持ち、考えた。
一体「君」って何なんだ?
二人称の「you」では多分なくって、タイチョー達が有難がってい
るテンノーヘーカであるらしい。
「が」はたぶん「の」と一緒だろう。
「世」は世界だから、「テンノウヘーカの世界」という意味だろうけど
どーしてそういうことになるのか判らない。
そのあとの「さざれ石にこけがむす」っていうのはもっとわからな
いけど、とにかくタイチョーたちはこの歌を僕らに歌わせて、テンノ
ーヘーカを尊敬させたいのだ。
虚弱でトロイから文句も言えなかったけど、イヤ言えなかったから
こそ、僕はお腹の中でそんなインボーにはまってたまるかと思った。

今は、学校で日の丸・君が代を強制しているらしい。
日本人はすぐに右に倣えする国民だから、20年も経てば嘗てなん
の疑いもなく軍国主義からアメリカ型民主主義に乗り換えたように
全体主義を今一度この国根付かせることが出来るだろうというのが、
為政者の目論見だろうが。
どっこい、そんなチンケな目論見に乗ってたまるかい。という子供達
が多いことを信じたい。

ボーイスカウトで虐待されていた頃、こんな替え歌を唄った。
「白地に赤くサルマタ染めて、アア恥ずかしい日本の旗は~」

2002年の明日11月29日に死んだ家永三郎は、教科書裁判の印象
から左翼思想の持ち主だと思われがちだが、実際には津田左右吉に
連なる大正リベラリストの系譜で、津田は戦後天皇制擁護をした人だ
から家永も同様の思想だったと思われる。ただ学者として歴史の真実
を曲げない良心に従っただけなのだろう。
彼が32年に亘って戦った教科書裁判は、民事裁判としての最長記録
としてギネスブックに記録されている。
享年89歳
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by shanshando | 2006-11-28 18:06 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 26日

古本屋の掃苔帖 第三百四十九回 都築道夫

ディレッタントという言葉を手元にある広辞苑でひくと、
「好事家、一般に何事も慰み半分、趣味本位でやる人」と
説明されている。あんまり肯定的とは言い難い表現である。
もっとも私どもが店で常用している広辞苑は、昭和30年に
出た第一版。新しいのは入って来たら、右から左に売りさば
いちゃうから、古いのしか残っていないのだ。
高度成長期前夜の昭和30年には、あまりディレッタントが尊
ばれる世相ではなかったのかもしれない。

都築道夫は、その広辞苑第一版が出された翌年早川書房に入社、
「エラリー・クィーン・ミステリー・マガジン」の初代編集長
になっている。御歳27歳の随分若い編集長である。
正岡容に師事し、兄は同門で落語家の鶯春亭梅橋。談志の「現代
落語入門」にも名前が見えるが、残念ながら30歳で早逝している。
都築のディレッタントぶりは、この兄の影響だと言われている。

ディレッタントに、少なくとも昭和30年時点の新村出と岩波書店は
好意的ではないようだが、昔も今も趣味のディレッタントならともか
く、それを身過ぎ世過ぎの看板にしている人は大変なようだ。
まず金が要る、知識が要る、センスが要る。そうして、もしそのうち
どれかに恵まれていなくとも、決してオモテに表わさない気持ちの
余裕とツッパリが必要なのだ。

人生良いときもあれば、悪い時もあるが、その度にあくせくするよう
では、ディレッタントのメッキが剥がれる。中でも死に際というヤツ
を如何に飾るかがディレッタントの生き様の通信簿になるように思う。
死に際になって、急に悟ったような事を言ったり、何かの宗教に入信
したりというのは、弱さを抱えた一人間としては理解できるが、やっぱ
りその時点で一生磨いて来たディレッタントの金看板は降ろしたも同
然である。
わかりやすく言うと、幸福の科学に入信して、あげく怪死したKは失格
だが、「ちょっと南半球クルーズに行って来ます」と言って淡々と去った
杉浦日向子さんは格好いい。

人の事を偉そうに言って、お前どうなんだ?と言われると、Kタイプにな
らないよう務めるのが関の山で、とっても杉浦さんのようにはなりがたい。
もっとも、私はディレッタントでもなんでもない、紙魚商売の小商人に過
ぎないから問題じゃないが。

さて、ディレッタントという看板を読者としての私が知る限りでは、一度
も濁す事の無かった都築道夫師匠は、2003年の明日11月27日に他界して
いるのだが、死んだ場所が中々オツだ。なにせハワイのホノルルである。
そりゃ人間ひとりの終焉だからさまざまあったかもしれないが、親戚縁者
でもない一読者としての私たちとしては、賞賛して惜しみない。
それでこそ残した作品も生きるってもんだ。やるねー師匠!
行きたいねぇー、ワイハ!
ディレッタントじゃないけど、私も死ぬときゃ南の島がいい!
金があればだけどね。無きゃ、どっかの施設に入れられちゃったりする前
に、本の下敷きにでもなって死ぬさ。

享年74歳
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by shanshando | 2006-11-26 16:56 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 25日

古本屋の掃苔帖 第三百四十八回 小村寿太郎

新聞のご利益というものは大したもんで、お陰様で売り買い
ともに順調である。気のせいか、買取先で日の丸を見かける
事が多いようだが、おそらく気のせいだろう。
私の母などは、新聞記事を店に張り出せなどというが、田舎
のラーメン屋じゃあるまいし…。
来週の水曜には、日刊ゲンダイに岡崎堂などについての話
題が紹介されるらしい。

さて、小村寿太郎であるが、この人は弱腰外交と罵られなが
ら、ポーツマス条約を締結したことから、平和主義者とみられ
がちだが、実際は超タカ派であったという話を聴いた。
当時の日本は列強、特にロシアの脅威に晒されており、防衛
上の理由その他から、大陸への侵攻は必要欠くべからざる
措置であった、だから小村のような先覚的な官僚は当然大陸
侵攻に積極的であったというわけだ。
恐らくそれはそうだろう、当時の政府や官僚が躍起になってい
たのはよく判る。
しかし、そういった小村はじめ当時の官僚・政治家を愛国者で
偉いと讃える風潮は如何なものか?
また、それを今の時代に置き換えて、愛国心を煽るのは愚か
しい行為だとしか思えない。
外交というのは、パワーゲームであって、誰かが安全や繁栄
を守ろうとすれば、片やでそれを失う人が出てくる。
明治日本が行った外交戦略は、結局四辺の弱小国や弱小民
族を楯にして自らの利益や安全を勝ち取ろうしたに過ぎない。
台湾で沖縄で朝鮮で北海道および所謂北方領土で、明治政府
が行った所業は、大の男が女子供を楯にするようなもので、これ
を偉業などと言ったのでは、国家の品位が問われるんじゃあり
ませんか?
まさか、昔はそれもアリだったし、今も実はアリなんだとは言わ
ないでしょうね。

小村寿太郎は、1911年明治44年の明日11月26日56歳
の生涯を閉じている。
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by shanshando | 2006-11-25 16:20 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 24日

古本屋の掃苔帖 第三百四十七回 高島象山

西荻の興居島屋から三鷹の上々堂にバイクで向かう時は、井の頭
通りを使うのだが、前進座を超えてブックステーションまでの間に心
霊スポットのような場所がある。
どういうわけか道の左右に占い屋が並んでいるのだ。
もう少し行き過ぎると、よみた屋のあたりから吉祥寺の中心部に突入
し、町並みも華やかになるのだが、そのあたりは何故か開発からとり
残されたように、昭和中期の雰囲気を漂わせている。
丁度、井の頭公園の北東にあたるから鬼門になるということかしら?

私は一応無信心なのだけど、臆病者でもあるので縁起とかそういう
ことは結構気にしちゃう。気にしちゃう自分を知っているから、出来る
だけ占いなどには近付かないようにしている。
占いの本を売りにくるのは殆ど女性のお客様だが、大抵幾つかの種
類に亘っている。星占いあり、血液型占いあり、なんとか算命学、動
物占いエトセトラ…。
どうにも気が多いというか、結局どの占いを信じているの?と聞きたく
なるが、つまりはどれもたいして信じてないのではないか。
私のような臆病者からみれば、こういう人は実に倣岸に見える。
世の多くの女性が占いに興味をもつのは、つまり暇つぶしで、男ども
がつまらない事でクヨクヨうじうじ悩んでいる間に、ソファーに寝転が
って、ポテトチップス食べながら占い本を読んで。気に喰わない事が
書いてあったら、「フンッ!」と鼻息で吹き飛ばしているかと思うと、頼
もしい限りで、これから益々女の時代だナァと思う。

高島易断というのは、江戸時代に高島嘉右衛門という実業家が始め
た占いの流派だが、現在本部と名乗っているものは殆ど全部嘉右衛
門の流派とは無縁であるそうだ。当然、この象山という人も亜流だった
のだが、「黙って座ればピタリとあたる」というキャッチフレーズで有名
になり派を広げたが、昭和34年の今日11月24日、事務所を訪れた
心霊術を標榜する青年に刺され、翌25日他界している。
享年73歳

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by shanshando | 2006-11-24 17:15 | ■古本屋の掃苔帖