<   2005年 08月 ( 25 )   > この月の画像一覧


2005年 08月 31日

古本屋の掃苔帖 第四十二回 シャルル・ピエール・ボードレール

アンリ・トロワイヤ著「ボードレール伝」はマザコンで
道楽者のボードレールが、如何にして莫大な父親の
遺産と自分の人生を浪費したかについて、くどくどと
書かれている書物である。
「あと三ヶ月で、ぼくは四十五歳になります。……借金
を返済し、自由で名誉ある晩年を維持するための資産
を保全するのにも、たぶんもう遅すぎるでしょう。けれど
万が一、僕が何度かは享受した若さと活力を取り戻す
ことができたら、人々を驚倒させるような本を何冊も出し
て、自らの怒りを鎮めるでしょう。僕は人類全体を僕に
敵対させたいのです。」
彼は一体なんに怒っていたのだろう?
「悪の華」を不道徳だと訴えた連中だろうか?
「僕のお母様」を奪った義父だろうか?
それとも梅毒だろうか?
「他人とは異なりたいという欲求と、凡庸に対する恐怖は、
彼をして、一種の文学的偏執狂にまで至らしめた。」
(前出、「ボードレール伝」より、ヴィクトル・フールネルに
よる新聞記事)
世にマザコンで浪費家で自己顕示欲の強い人間なんて
幾らも居るが、皆がボードレールになれるわけじゃない。
彼を狂気に至らしめたのは、「詩の毒」ではあるまいか。
ある種の表現行為は取り返しがつかない、毒と死の連鎖に
人を追い込む。
彼はコンプレックスの固まりだった。彼は女性に関してゲテ
モノ好きだった。彼はサディスティックだった。そして、彼は
そんな自分を見世物にしたがる変態でもあった。なんと楽し
そうな人生だ。
狂ってからの彼と駅で遭ったある友人は、彼に握手のかわりに
髭をひっぱられて、「ああは成りたくないものだ。」と言ったいう。
つまらない奴だ。ただちょっと、ひっぱってみたかっただけだろうに。
そんなこと私だってチョクチョクやる。

1866年、病によって充分に冒されていた脳の症状に拍
車をかけるように薬物を乱用し、ついに狂気が本格化した
彼は療養所にいれられ、「畜生」という言葉をくりかえし、
1867年8月31日の朝、もうその言葉も出なくなって、死亡
する。享年46歳。
[PR]

by shanshando | 2005-08-31 00:45 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 08月 28日

こちらハルキ星ハルキ日和

今日はなぜか村上春樹がよく売れる。
上々堂では、今日いちにちどんな本が売れたのかを、かんたんにノートに
書きしるすようにしているのだけど、ノートを見ると、今日だけで4冊
売れている。しかも、それぞれ全部、まったく別のお客様が買って行った。
もともと売れる本じゃないの、とも思うけれど、昨日のノートを見ても、
一昨日のノートを見ても、1冊も売れていない。
なのに、今日だけで4冊。

だからどうというわけでもないのだけど、こういうとき、どこかで
何かが起こっていて、ええと、例えばアンドロメダ星雲にもっとも近い
ブラックホールM31の温度が0.1度上昇したため、三鷹近辺のひとびとが
村上春樹を読みたくなった、とか(うそですよ)、三鷹駅周辺を走る
さおだけ屋の軽トラのスピーカーから、村上春樹を読みたくなる周波数の
ノイズが出ていた、とか(もちろんうそですよ)…とにかく、わたしの
知らないところで世界をぎゅっと束ねるような、摩訶不思議な出来事が
起きているんじゃないかと思って、ちょっとわくわくします。

村上春樹といえば、もうすぐ新刊がでますね。
はじめて読んだ村上春樹本は『ノルウェイの森』で、当時中学生だった
わたしの頭の中はチカチカキラキラしました。少し成長してから再読して、
しずかにうちのめされた。
どんなに手をのばしても届かないものがあるということ。
以来、村上春樹だけはどんなにお財布がさみしかろうと、新刊が出たら
すぐに買って読むようにしています。
今日、村上春樹本を買って行ったお客様も新刊が出たら飛びついて
買うのでしょうか。楽しみですね。

…はっ、古本屋の日記なのに新刊本の話で終わってしまった!
し、新刊が出る前に、上々堂、まだまだ村上春樹本たくさんありますので、
予習、あるいは復習、あるいは初対面、いかがですか。
[PR]

by shanshando | 2005-08-28 20:21
2005年 08月 27日

古本屋の掃苔帖 第四十一回 ミヒャエル・エンデ

古本屋カール・コンラード・コレアンダーへようこそ。
店主のコレアンダー氏は、ブルドックに似たデブで
禿げの口やかましい中年男。子供なんか大嫌い。
小さな店の四方の壁には天井までとどく本棚に、あり
とあらゆる形の本が並べられ、床には大判の本が
、そこここの机には縁が金色に輝く小型の革表紙の
本が積みあげられている。
さて、冷たい雨が降る11月のある朝、ここに一人の
やっぱりでぶっちょの少年が飛び込んでくる。
名前はバスチアン・バルタザール・ブックス。
「はてしない物語」の序章である。
店主のコレアンダー氏はすべてKではじまる名前、
少年はすべてBではじまる名前。つまりこれはBと
Kの邂逅から始まる話なのだ。つまり餡子はOO無限
大というわけか。

物語によって人が享受するものの可能性を信じ、自ら
も優れたいくつものファンタジーをみんなにプレゼントし
続けたこの作家は、しかしそのファンタジーを営利の対
象としか考えられない人々の悪意に生涯何度も苦しめ
られた。
著しい例は1984年に公開された映画「ネバーエンデ
ィング・ストーリー」である。
この、原作者の意志を完全に無視した、陳腐な勧善懲悪
ドラマに対して、彼はせめてクレジットから原作者としての
自分の名前をはずすように抗議したが、訴訟によってすら、
ついにそれは認められなかった。契約時に条件を精査しな
かった彼に責任があるというわけだが、どうだろう?
したたかな映画産業の悪意としか、私には思えない。

また、これはあくまで個人的な思いだが、日本でエンデの
資料をたくさん収蔵していることで有名な「黒姫童話館」
にも私は行こうとは思わない。エンデにはたいへん興味
はあるのだが、あきらかに元あった自然をむりやり捻じ曲
げる方針で経営されているあの地の観光行政に疑義を感
じるからだ。エンデがあんな事をよしとしていたとは思えない。

ミヒャエル・エンデは1995年8月28日癌により他界している。
享年66歳。
[PR]

by shanshando | 2005-08-27 19:14 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 08月 26日

古本屋の掃苔帖 第四十回 上村松園

先日亡くなった、杉浦ひな子さんの「百物語」に
画中の美女を愛してしまう、へそ曲がりの隠居の
話が出てくる。なにか原典があるのだろうが、秀逸
な作品だと思う。
美人画というのは、おそらく日本固有の文化だろう
と思うが、どこか西洋人の人形偏愛に通じるものを
感じる。
最近また人気のある中原淳一にしても、夢二にしても
そして上村松園にしても等しく目が無機物のように死
んでいる。
それは別に画家が下手でそうなったのではなく、そ
うする事がおそらく美人画描きのコツなのだろう。
美人画を愛好する人々が愛するのはリアルな人間と
しての女性ではなく、お人形さんなのだ。美人に生理
や内面の闇などあってはならないのだ。

上村松園の描く女性の肌は蕩けるように柔らかそうで、
髪は匂いたつばかりに黒い。このような女性の描き方
というか、見つめ方は男性作家には見られないもので、
同性愛的な嗜好を感じさせる。

「青眉抄」というのは松園の随筆集である。青眉とは既
婚女性が子をなすと眉を剃り落とした風習で、今の私
たちには映画などで観ると、なんだか不気味にしか見え
ないが明治生まれの松園には風情を感じるものだった
ようだ。
「パーマネント美人がいくら絶世であっても、私の美人
画の材料にはならない。」と言って、一生古風な日本
女性の美だけを描いた上村松園は、昭和24年8月27
日肺がんで死んでいる。

享年74歳

○告知!!
上々堂の委託販売に楽しい!可愛い!ホヤーとできるCDが加わりました!
(ホヤーは石丸の主観です。スミマセン。ビヤーでもドワーでもいいです。
兎に角、ステキです。加藤千晶さんについては「加藤千晶食堂」を
ごらんください。ジャケットは加古里子さんです。スンゲェー!
[PR]

by shanshando | 2005-08-26 21:14 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 08月 25日

古本屋の掃苔帖 第三十九回 田村隆一

酒とミステリーそして詩は男にとって孤独な時間を愉しむ
なによりの友かもしれない。
今日のような台風の夜は、誰にも邪魔される事のない
場所でその三つに浸りたいものだ。

田村隆一は昭和27年、本人の言によれば「神のパン」を
得るために、当時まだ弱小出版社だった早川書房の社員
となり海外ミステリーの翻訳・編集の仕事をする。
早い話が「酒代欲しさに」ということだ。
当時ミステリーの版権は安くて、資金があまりないなら探偵
小説をやればよいと、早川の社長に入れ知恵したのは、ほか
ならぬ田村であったらしい。
なにせ、クリスティーの版権が10年契約で何万冊売れても、
3万円ぽっきりだったらしい。
「田村隆一ミステリーの料理事典」という本にはその頃の逸話
(江戸川乱歩や植草甚一も登場する)が書かれていて興味
深い。
そのまま早川に居続ければ、きっと重役になっていたのだろう
がポケットミステリーが100点になったのをキリに退社する。
もし、退社してなければ詩人としてあれだけの仕事は出来なか
ったかもしれない。

酒仙としても有名で晩年の著作「スコッチと銭湯」は、その題名
に騙されると銭湯ファンはいささかがっかりするかもしれない。
殆ど八割は酒の話題で、銭湯の話は巻末にスコッチ書いてるだ
けなのだ。(ああ、疲れてる。)

1998年8月26日食道がんで死去、享年75歳
[PR]

by shanshando | 2005-08-25 23:23 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 08月 25日

古本屋の掃苔帖 第三十八回 トルーマン・カポーティー

ジョージ・プリンプトン「トルーマン・カポーティ」を読んだ。
生前のトルーマン及び彼の親族等についてのいろんな人
々の証言を編んだ本である。まず装丁がカッコいい。
表紙に蝶ネクタイを締め、サスペンダーを両方の親指で
引っ掛けて押し開いた、トルーマンの上半身の写真を
使っている。写真はリチャード・アヴェドン、装丁は新潮社
装丁室。原書を見てみたくなる。
編集方針というか、まとめかたが面白い、陳腐な言い方だが
人生曼荼羅というかんじ。有名無名さまざまな人の証言を
読み進むうちに、トルーマン・カポーティーという人間と自分が
身近に接したような、そんな錯誤に陥る。興味深い。

トルーマンは幼いころにアラバマ州モンローヴィルにあった親戚
の家に預けられる。母親が名声と富を追いかけてニューヨーク
に行き、幼い彼を置き去りにしたのである。この幼時体験は当然
のように彼の人格形成に大きく影響したようである。
背が低く貧弱なトルーマンだが、おそらくは母親譲りのナルシズ
ムで自分を魅力的に見せる術や機知に富んだ会話で人を引きつ
ける才能をもっていて、それがやがて時代の寵児となる作家に彼
を育てる。

彼がゲイだったことは有名だが、この本の中でもそれがらみの話
題が中心になっている。その中でも興味深かった話の一つに、パリ
の男娼デナム・フーツにまつわる逸話がある。当時ヨーロッパの上
流社会でモテモテだったデナムがトルーマンの最初の長編小説
「遠い声 遠い部屋」の裏表紙に載せられた彼のポートレートに惚れ
こみ、ただ「COME」とだけ書いた白紙の小切手を送ってきたという
のだ。実際はこの時の彼は23、4歳になっているはずだが、写真で
観るとハイティーンの少年に見えるのだ。ソファーに横たわった上半
身だからチビも目立たない。

華やかな仕事や恋愛、薬そしておそらく最後に彼の命を奪うきっかけに
なったアルコール。いろいろな享楽や名声を味わいつくして、彼は1984
年8月25日60歳で世を去る。
彼の最後に立ち会ったのは、同性の恋人ではなくジョアン・カーソンと
いう女性の友人である。
病院に連れて行こうとする彼女に懇願して、彼女の家の彼女の胸の中
で死んだ。
幼い頃の彼を身勝手ゆえに孤独にさせた実の母親が死んだ時にはヨーロ
ッパに居て、「火葬にしておいてくれ」と冷たくあしらった彼だが、ジョアンの
胸の中で言った最後の言葉は「おかあさん」だったそうである。出来すぎな
気もするが真実だろう。
死因は心臓麻痺。
[PR]

by shanshando | 2005-08-25 00:48 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 08月 23日

古本屋の掃苔帖 第三十七回 溝口健二

新藤兼人の「ある映画監督」は溝口健二という天才の
いびつさが描かれていて実に面白い。(本人は自分
を天才だともいびつだとも思ってなかっただろうが) 
岩波新書が一番手に入りやすいと思うが、岩波現代
文庫にも入っているはずである。

昭和16年溝口健二にとって、映画作家としても生活
人としても文字通りのささえであった一番目の夫人が
精神病を発病してしまう。
彼はそのことで自分を責めた。おそらくその狂気の原因
が自分の若い頃からの悪所がよいのせいであると思い込
んだ為だろう。それ以降彼が映画の中で描く女が変わっ
たと、新藤は言う。

「雨月物語」を昨日見返したが、ラスト近くの田中絹代演ず
る宮木が夫源十郎を迎えるシーンはちょっと言葉に出来な
いくらい凄い。
溝口独特の長いワンカットシーンの舞台上で随所に固定さ
れた闇が準備されている。その闇を縫うように淡々と移動する
田中は、ただ亭主と子供を先に休ませた主婦がやりそうな日常
的な行為をしているだけだ。もうそのシーンでは劇的な何事も
起こりそうにない。なのに何故か延々と長く続くシーン、観客は不
安になってくる、物陰の闇に入った田中の顔が次に出てくる時には
鬼の形相になっているのでは……?と思わせながら遂にそんな
事は起こらない。そして、やがて朝がやって来る……。
溝口と言う人は、自分の心象というレンズを通して、他者の内面を
みつめた作家なのだろう。自分の心象そのものをも勿論対象として
見つめながら。

小津が美学とセンスの才人なら、溝口は観察の天才なのだろう。
安吾の「耳男と夜長姫」の耳男を思わせる狂気だ。
映画の現場では本当に不人情で我儘で冷酷で権威好きで、まぁ
これ以上嫌な奴はいないだろうと思わせる溝口だが、結局世人が
気にする良い人であろうとする努力などかなぐり捨てて、映画という
方法に限定して、世界とつきあった。これを天才といわず、何という
のだろう。

憎まれっ子世にはばかるということを言うがわずか58歳で死ぬ
というのはさほど憎まれっ子でもなかったのかもしれない。
死んでから、「あんないい人が…」と言われるような安っぽい生き方
だけはしたくないものだが、この人の場合誰もそれはいわなかった
だろう。

1956年8月24日白血病により死去。
[PR]

by shanshando | 2005-08-23 18:28 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 08月 21日

古本屋の掃苔帖 第三十六回 長谷川時雨

長谷川時雨というと、日本の美人の総大将ということに
なっておりまして、且つ青鞜社の客員でもあらせられる。
いやそうでなくとも、私ごときが女性の容姿に関して
どうこう云うということは天人ともに赦さざるところな
わけですが……、美人かなぁこれ?
いや、講談社の近代日本文学大事典の写真を見てるんで
すけど、イヤ御髪もけっこう、着物の着こなしもさすが、
でもこの眉毛が…、たぶん描いてるんだと思うんだけど、
必要以上に垂れ下がりすぎてると思うんですけど。
これがひょっとしてあれかなぁ、アンツルの「巷談本牧亭」
に出てくる、昔の流行の眉毛で、なんとかっていう芸人が
電車の中でその極端な例を見かけて、抗議したという…。
変だよね、これじゃ。まぁ元の顔はいいんだろうけど。

とにかく、この人は「近代美人伝」の著者で、劇作家としては
六代目菊五郎をはじめ当時の名優との仕事が多く、また雑誌
「女人芸術」を通じて多くの女流作家を世にだしたキャリア
ウーマンでもある。
才色兼備ということなのでしょう、眉毛はともかく。
ガチガチの女権主義者じゃなく、いろいろ柔らかい部分がある
のがよいね。
はじめの不幸な結婚生活で身も心もボロボロになった後、いよ
いよ本格的に劇作を中心とした文筆活動に入るわけだけど、大
正5年頃というから多分37歳の時、12歳年下の三上於蒐吉を
悩殺しちゃって、という言い方は語弊があるか、於蒐吉が勝手に
メロメロになっちゃって、大正8年には同棲しちゃう。
ということはやっぱり相当ないい女だったんだねぇ。眉毛は…
クドいか。

「近代美人伝」はいろいろな美人をとりあげているが、中でも
樋口一葉にご執心だったみたい。死ぬ直前にも「まだ、もっと
一葉を書かなきゃ」という意味のことを云ったらしい。
昭和16年8月22日、白血球夥粒細胞減少症で亡くなっているが、
於蒐吉っつぁんとは添い遂げたのかねぇ。彼の方が三年ばかり後
で死んでるけど、気になるねぇ。(アレ?なんだか調子がおかしい
ねぇ?)
享年62歳。

長谷川時雨に関してはリンク集から「森茉莉街道をゆく(+長谷川時雨)」
をご覧下さい。
[PR]

by shanshando | 2005-08-21 13:57 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 08月 20日

古本屋の掃苔帖 第三十五回 浮谷東次郎

「夭折」をテーマにした本というのは、やはり避けたくなる。
十代の終わり頃「二十歳の原点」を読んで、はからずも涙して以来、
意地でも読まんのだと頑張って来たが、とにかく今日は読んでしま
った。
浮谷東次郎「がむしゃら1500キロ」。
まぁ、この人が若くして死んじゃっただけで、別にこの本は
夭折がらみじゃないからいいか。
1957年というから昭和32年の夏、中学三年生の浮谷は前の年、
14歳の誕生日に父親に買い与えられたドイツ製の50ccバイク
クライドラーに乗って、千葉の市川から大阪までの旅行を決行する。
前三行の文章でわかる情報がすくなくとも二つありますね。
ひとつは、この当時まだ14歳の子供がバイクの免許を取得できた
という事、本の記述によるとバイクを買ってもらった次の日さっ
そく免許を取りに行ったとある。
もうひとつは浮谷さん家は大変お金持ちだということ。
昭和32年の日本はまだ貧しかった。
フランク永井が「13,800円」という歌を唄った。月給の事ですね。
お嫁さんをもらって、贅沢いわなきゃ喰えるじゃないか…という歌です。
この時代に中学生の息子にポンとドイツ製のバイクを買ってあげちゃう。
旅行費用にポンと一万円出しちゃう。
相当なお金持ちですね。しかもわりと放任主義で育ててるように見えま
すが、何者なんでしょう?まっいいか。
とにかく、このお坊ちゃん、お坊ちゃんらしくもない自立心の持ち主で
冒険心に満ちあふれ、未だ舗装もされていない国道1号線を原チャリで
トコトコ走り出す。
夏の炎天の砂利道、交通量は少ないでしょうが、埃は大変なものでしょう。
そのなかをとうとう二日で大阪まで行って、ついでに神戸に足をのばし、
帰りには紀伊半島まで廻ってる。ごくろうさん。

この本の愉しさはバイクに乗らない人には判りにくいかもしれない。バイ
ク乗りは乗っている間、目は外界を見ているが心は自分の内部を見つめる、
外と内を等分にみつめる経験は十代の若者には本来のぞましい体験なのだ。
暴走族などは群れるからいかんのだ。まぁ群れるのは暴走族だけではなく、
老若男女現代日本人すべての習癖かもしれないが。

浮谷東次郎というこの若者はもともとの自立心にかさねてこのような体験
を通し独立不覊の男に成長する。
そして、60年から三年間の滞米を経てレーシングドライバーに。
1965年8月20日鈴鹿サーキットで走行中、コース内に立ち入った人間を
避けて自分自身は照明塔に激突、死亡する。23歳だった。
彼の日本人ばなれした社交性はさまざな人の語り草として今に伝えられる。
今生きてれば63歳か、どんな親父になってただろう。
[PR]

by shanshando | 2005-08-20 22:51 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 08月 20日

古本屋の掃苔帖 第三十四回 甘粕正彦

「私は軍人の出ですから、武士らしく日本刀で切腹すべきですが、
不忠不尽のものですから、そういう死に方に値しないのです。
他の方法で死にます。人間は弱いものですから、あるいは死の
決意がにぶるかもしれません。しかし私はこうして皆さんに話した
からは、必ず死にます。」
昭和20年8月16日満映の日本人職員、家族を前にして甘粕がした
わかれの挨拶である。

「ラストエンペラー」で坂本龍一が演じたせいか、荒俣宏の小説の
影響かは知らないが、最近甘粕が若い人の読む劇画や小説によく
登場するらしい。

甘粕正彦、満州の影の権力者として君臨した魔王のような元憲兵
大尉。というわけである。
実際、甘粕正彦ほど歴史のいたずらで虚像を膨らませた男は少ない
思う。
実像はどう考えても生真面目で律儀で多少頭がきれる小官吏、
時代が違ったら文学青年にでもなってたほうが似合ってたたんじゃな
いかと思うほど多感で純真な部分もある…という感じだ。
32歳の時、関東大震災のどさくさにまぎれて大杉栄と伊藤野枝を殺した
とされるが、事実は軍隊の上層部がきめて謀殺した責任を憲兵大尉だっ
た甘粕一人に押し付けたのだろう。
高島米峰によれば、殺された大杉は「実行力を有しない単なる無政府
主義者」にすぎなかったのに、甘粕に殺される事によってかえって「エライ者」
にされちゃったという事だが、甘粕のほうだってたまたまこの役を押し付
けられなかったら、ただの律儀な憲兵士官で終わっていただろう。
とても、満州の影の魔王になれるような器じゃなかったはずだ。
いっそ、ドラマをオカルトじたてに考えてみて、凡庸な山師に過ぎなかった
大杉の巻き添えで殺された魔性の女伊藤野枝が腹立ちまぎれに、甘粕に
とり憑いて魔王にしっちゃったというのはどうだろう?
ちょっと、小説のネタになりそうではないか?

冒頭の挨拶をした四日後の20日の朝、新京の満映理事長室で服毒、
たまたま、そばに居た内田吐夢が吐かせようとしたが間に合わず死亡。
享年54歳。
[PR]

by shanshando | 2005-08-20 00:04 | ■古本屋の掃苔帖