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2005年 09月 30日

古本屋の掃苔帖 第六十八回 三代目古今亭志ん朝

目の前に二冊、雑誌「東京人」がある。
一冊は1999年8月号、もう一冊は2001年11月号。
両方とも特集が「落語」で、志ん朝の対談が出ている。
先のは、十一代目馬生の襲名にあわせた対談で、後のは
今年正蔵を襲名した、こぶ平との対談。
両方に写真が載っているが、わずか二年の経過とは思
えないほどやつれている。
この後の号の発売日にはすでに志ん朝は亡くなっているのだ。
誌面では、志ん朝の死については一言も触れられていない。
恐らく、死がわかった時点ではもう訂正できないところまで
雑誌が出来上がっていたのだろう。
その二年後、「東京人」は志ん朝の三回忌にあわせて、
志ん生、馬生、志ん朝三人の特集を組んでいる。

志ん朝は何故、「志ん生」を継がなかったのだろう?
落語に興味のある大方の人にとって、それは大きな謎だ。
1999年の号の対談で「おアシがかかるから」などと言っている
が、ファンとしては納得いきかねる答えである。
同じ号で、「志ん朝」という名前は自分が大きくしたと言うことを
語っているが、どうやらこちらが本音らしい。
確かに、「志ん朝」は父親志ん生と、兄馬生の出世前の名前で、
三代といっても歴史は無いに等しい。
そうして、後の世で客である私たちが「志ん朝」という名で思い出す
のは、間違いなく美濃部強次の「志ん朝」で、兄貴や親父ではない。
偉大すぎる父親をもった志ん朝のプレッシャーは外野席からはよく
わからない。

古今亭志ん朝、世間の期待をよそに六代目志ん生を継がぬまま、
2001年10月1日肝臓癌により死亡。享年64歳

さて、落語界は戦略的な襲名ラッシュのお陰で、近来稀に見る好
景気のようである。結構なことだ。落語が多くの伝統芸のように助
成金だのみと、ネズミ講的な集金システムの弊害に巻き込まれる
よりよっぽど健全だ。
しかし、六代目志ん生はついに現れないのだろうか?
志ん朝が蹴った以上、この大名跡を平然と襲名できるのはよっぽど
の大器か、完全な馬鹿かどちらかだろう。
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by shanshando | 2005-09-30 21:43 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 09月 29日

古本屋の掃苔帖 第六十七回 四代目柳家小さん 

この小さんは、この間死んだ五代目小さんの師匠で、
漱石が「同じ時代に生まれ合わせた」事を幸せに思っていた
三代目小さんの弟子にあたる。
明治21年の生まれだから、志ん生の二つ年上になる。
平素無口で芸質は地味で「曲がりたる心ある者は落語を止め
べし」なんて言っちゃう謹厳居士で、志ん生とはまったくの逆対
象。写真の顔も芸人というよりなんだか禅僧みたいだ。

五代目小さんは若い頃から非常にこの人に似ていたらしい。
無口で無愛想者の似た者師弟が、縁側でひがな一日お互い
なんにも言わずに過ごしていたという情景を五代目がいろんな
ところで話していて、おしゃべりの私などとても真似できない
だろうが、ちと羨ましい気がするのだ。
師弟という人間関係は現代の日本では成立しにくくなった。
やっぱり日教組のせいかしら?
落語家の師匠は普通まったくの無償で弟子に芸を教え、場合に
よっては飯を食わせ、小遣いまでくれたりするらしい。
勿論弟子のほうだって無償で、師匠の家の掃除や子守をする
らしいが。
こんな前近代的な人間関係が息づいているのは、伝統芸能でも
落語と歌舞伎ぐらいだろう。
歌舞伎は師匠が奉仕をもとめる事ばかりで、弟子は尽くすだけで
大方は一生終えてしまう。その点落語は圧倒的に師匠が弟子に
与えるものが大きいようだ。
いや、こういうギブ アンド テイク的な発想をしてしまう事が私自身
悪しき戦後民主主義の申し子である所以なのだろうか。
要するに恋愛と同質の不条理な人間関係が立川談志のいう「イリュ
ージョン」の成立の為には必要と言う事だろう。

昭和初期の牛込若宮町、昼下がりの民家の庭で黙って新聞を読ん
でいる中年男とその傍らでやはり黙ったままボンヤリしている丸顔の
青年、二人の間には不条理な愛が……と書くと気持ち悪いが。そんな
伸びやかな時間の中で培われたものが、あの五代目小さんの独特の
味になっていたかと思うと、あの気を衒う事を嫌う大きな芸に生きていた
のかと思うと、なんだかゆかしく思えてくる。

昭和22年9月30日上野鈴本の「余一会」(本来月の31日に行われる
特別プログラムのはずが30日に行われたのは何故か)の高座を終え
た直後四代目柳家小さんが60歳で急死し、その三年後五代目が襲名
をした。

これを書くに当たって、五代目柳家小さん「芸談・食談・粋談」を読んだ。
中に合羽橋の飯田屋という泥鰌屋の話があり、大変うまそう。次の休み
に行ってみるか。
ちなみに「芸談・食談・粋談」は編者の興津要のサインつきで興居島屋の
棚にある。
1,200円です。
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by shanshando | 2005-09-29 23:44 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 09月 28日

すっかり涼しくなりました。

鼻クシュンクシュンやってる人多いみたいだけど、
風邪?アレルギー?とにかくお大事に。

上々堂は、今週末はまた新商品の入荷がありそうです。
ネット販売の商品は店頭でも買えます。
棚に無ければ、スタッフに声をかけてください。

さて9年前の明日、遠藤周作さんが亡くなっています。
「古本屋の掃苔帖」はここをクリック
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by shanshando | 2005-09-28 22:40
2005年 09月 28日

古本屋の掃苔帖 第六十六回 遠藤周作

遠藤周作の「海と毒薬」という小説のうまさは、冒頭から
読者の「衛生」に対する意識をさりげなく喚起させるところ
から始まっているところにあると思う。

猛暑、風呂のない住宅、妊娠している妻、砂埃の街、不衛生な
銭湯、気胸、爪に垢のたまった芋虫のような指をした医者。
それらから語ることで、これから語られる物語を読者が自分の身
体で感じざるを得ないようにしている。
不気味だ。

遠藤周作の人生はさまざまな病気とのつきあいの連続であった。
結核・肝臓・糖尿そして最後は腎臓治療のための入院中肺炎による
呼吸不全のため亡くなっている。

一般に闘病生活というのは、人間を客観的にするようだが、誰もが
その体験を小説にできるわけではない。
「客観」ってなんだという問題は邪魔くさいので置いといて、とにかく
物語を創造する人間の客観性は普通の人間の客観をさらに突き放
して、反転するようなところがないと駄目なようだ。
遠藤周作にとってそうした客観性を得るための「鏡」として「信仰」が
あったのではないかと思った。

真摯に人間を見つめる彼と、その自分自身を韜晦するかのように「ぐ
うたらシリーズ」を書いた彼、狐狸庵先生遠藤周作は1996年9月29
日亡くなっている。享年73歳。
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by shanshando | 2005-09-28 22:30 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 09月 27日

ルオー全版画 ほか

美術書、新入荷!
近々ネット販売にアップ予定。

さて、昨年の明日といいたいところですが、
手違いで今日(9月27日)になってしまいました。
作家 森村桂さんが亡くなっています。
「古本屋の掃苔帖」はこちらから。
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by shanshando | 2005-09-27 15:18
2005年 09月 27日

古本屋の掃苔 第六十五回 森村桂

「ずっとずっと南の地球の先っぽに
          天国に一番近い島がある。」
 もう少し大きくなったら、丸木舟を買って連れて行って
やる。幼い森村桂は父親にそう聞かされた。
父親で作家の豊田三郎は、しかし森村が十九歳の時に
約束を果たさぬまま亡くなった。
学習院卒業後、暮らしの手帖社に勤務した彼女は、商品
テストの仕事でクタクタになったある日、編集長花森安治
からニューカレドニアの名前を聞く。
「二日働けば、あと五日は遊んで暮らせる夢のような島。」
その島こそ、父が言っていた「天国に一番近い島」なんだ!
彼女は仕事を辞め、鉱石運搬船の会社にかけあい旅立つ。
飛行機の直行便など無かったのだ。
旅費は20万円。ちなみに、これはその頃の新任教師の給
料一年分にあたる。

森村桂の「天国に一番近い島」は昭和41年に出版され、高
度成長期で仕事漬けの日本人に貪り読まれる。
本の中で彼女は、いろいろ現地の人に世話になっているが、
その借りは、この島を一大リゾート地にすることで返したと言
えるだろうか?
彼女が行った頃は、ニッケル鉱の採掘だけが主産業の素朴
な島で古くはフランスの流刑地だった。
今や、直行便も出て、新婚旅行のメッカである。

2002年に出版された「いまでも天国に一番近い島」で、森村
は現在の島の写真を見て、島の生活が向上していることを女
性の服装に見て取り、「いい時代が来たんだ。」と語っている。

この旅行記の大ヒットを期にベストセラー作家となった彼女は
60年代末から80年代にかけて、さまざまな旅行記を発表。
1985年からは夫と共に軽井沢で「アリスの丘」というティール
ームを開業、ケーキ焼いて過ごしていた。
「いまでも…」の後書きに添えられた写真は柔和で、幸せな老
後を感じさせるものだが、
2004年9月27日自殺した。享年64歳。

昔は均一台にかならず見られた森村桂の文庫は今あまり見
かけなくなった。
当時読んでいたのは今の団塊の世代から、私などの世代ぐら
いまでの女性たちが主だったはずで、もっと見かけそうなもの
だが、昔売れすぎたものは一定期間すぎると潮が引く様に見
なくなる。
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by shanshando | 2005-09-27 15:09 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 09月 25日

寝ながらかりんとうを食べないと誓う日

2005年9月25日日曜日 曇り 台風はもう過ぎましたか?


石丸さんが買取でおでかけのため、久しぶりの店番日記です。
ようやく涼しくなってまいりました。いかがおすごしでしょうか。

こないだ、右の奥歯がぼんやりと痛みだして、久しぶりに
歯医者に行ったら虫歯でした。週に1度通っているのですが、
歯医者はそれほどきらいではない。

口をぱっくりあけながら、派手な金属音を聞いていると、
ああ、もう何も考えなくていいんだ、と思える。
貰いものの巨峰であふれている冷蔵庫のことや、来月分の定期券を
今日買うべきか、期限ギリギリだけどやはりお給料が入ってから
買うべきか、なんてことを今は考えている場合でない。なんたって
今のわたしは歯を削られているんだから。
あとは目の前のマスクの人に身をゆだねて、悪いところが完全に
なくなるのをおとなしく待っていればいい、そうすればまた虫歯前と
同じようにかりんとうを寝ながら食べてもいい…と想像してうっとり
していたら、口角を削られた。声も出ないほど痛かった。両手で
わしゃしゃしゃと宙をかきむしった。

痛い、痛かった、と告げる間もなくレントゲン室に連れて行かれ、
患部を撮ると言われて口を開けると、入ってきた機械がやけに大きい。
気道をふさがれた気がして、息が、息ができない!と、やはり
わしゃしゃ状態になりおねえさんに苦笑される。

それから歯型をとるというので、ピンク色のねっとりした固形物を
またも口につっこまれる。右上の奥歯と右下の奥歯と両方に固形物が
張りついて、噛むとむちゃーとなる。レントゲンほどではないけれど、
これも喉につまる感じがして苦しい。このまま3分待ってねー、と
おねえさんに明るく言われる。うそでしょう? となりにおとなしい
子供が座っていたので、かろうじてわしゃしゃを耐え、何度も深呼吸する。
深呼吸しながら泣きたくなった。

というわけで前言撤回します。歯医者さんきらいです。行かなくて
すむのならやっぱり行かないほうがいい。食べ物のおいしい季節に
なりますが、みなさま虫歯にはくれぐれも気をつけて下さい。
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by shanshando | 2005-09-25 18:56
2005年 09月 24日

古本屋の掃苔帖 第六十四回 松尾和子

台風は今どの辺に居るのだろう?

子供の頃は、台風、大雪、停電などの非日常的な
事態が結構好きだった。
台風の日は、早くから父が戻って来て家の其処此処
の窓などに板きれなど打ち付けて、飛来物がボロ家
を壊さない用心をした。
母はいつもより早いうちに子供達に食事をさせた。
昔はかならず停電が台風とセットで来たので、まだ明
るいうちに済ませたのだ。

兄弟は三人で私は真ん中。停電になると5歳上の姉が
弟たちを怯えさせないように、替え歌など唄ってあやし
てくれた。
「森トンカツ、泉ニンニクかコンニャクまれ天麩羅、
 静かニンニク眠ぅルンペン、ブールー ブルーシャトウ」
わかるだろうか?ジャッキー吉川とブルーコメッツの
「ブルーシャトウ」の替え歌だ。
これは昭和42年の歌なので、私はもう小学校にあがって
いたことになる。
誰がつくったのかは知らないが、結構全国区で流行った
替え歌だったのではないか?

こんなのもあった。
「唄はサノサかドドイツか、唄の文句じゃないけれど、
 お金も着物も欲しいのよ、あなたひとりが邪魔なのよ」
今考えるとあんまり子供の唄う歌じゃないけど、陽気なテ
ンポが楽天的な気分にさせてくれた。
松尾和子がマヒナスターズと唄った「お座敷小唄」の
替え歌である。
懐メロ本で本当の歌詞を確認すると、随分可愛い唄だ。
「どうかしたかと肩に手を、どうもしないとうつむいて
 目にはいっぱい泪ため 貴方しばらく来ないから」

松尾和子はジャズシンガーとして進駐軍廻りをしていた
時、フランク永井に見出され、吉田正によって流行歌手
となった。その囁くようなハスキーボイスはお色気たっぷり
で、ムード歌謡の女王といって良いだろう。
ムード歌謡。いいねぇ。滅びつつあるジャンルだ。 

「再会」「東京ナイトクラブ」「誰よりも君を愛す」など
ヒット曲も沢山あるし、時々テレビで見かけても、いつまでも
色気を失わない人だったが、晩年はあまり幸福ではなかったよ
うだ。

古本的には、なんといっても1986年に主婦の友社から出た
「松尾和子のお色気作法入門」がオススメ。
内容?…この手の本は題名だけ面白けりゃ充分です。

1992年9月25日自宅の階段から落ちて亡くなっている。
享年57歳。
  
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by shanshando | 2005-09-24 21:09 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 09月 23日

古本屋の掃苔帖 第六十三回 フランソワーズ・サガンと西郷隆盛

ついにこういう日が来てしまった。
毎日、前夜に次の日に書く人の人生のあらましをネットで
調べ、かつ必要と思われる本を置いてる図書館をやはり
ネットで探し、次の日の朝バイクで借りに行って、仕事の
合間に速読する、そして夜店番しながら書くということを
続けているわけだが、今日は朝から出張買取の大ラッシュ
で、ついに図書館による時間がなかった。
というわけで、今日は予定していた人の資料が手に入らず、
致し方なくという事もないが、裏技。

フランソワーズ・サガンと西郷隆盛。
まったく、なんの接点もない二人である。
死生観は真逆である。
サガンは18歳の時「私がいつか死ななきゃならないなんて
言語道断だと思うわ」と言った人であり。
西郷は始めから死ぬつもりで、自分を慕う不平士族たちに
あえて担ぎ出された。つまり他人の不平につきあって死んだ
人である。
両方とも私はあまり関心がないが、予定していたA氏が駄目な
以上このどちらかで書かなきゃいけない。
どちらかというと西郷のほうが昔からいろんな本で読んで、知っ
ている事も多いが、前記した死生観の違いを見るとサガンのほう
が私ごのみだ。
さっそく、「ブラームスはお好き」を読んでみた。
すぐ読めちゃう。改行が多くて、会話が多いものは速読むきですね。
えーと、うーんこれってハーレクィンの元祖みたいなもんですか?
たまたま、店(ゴゴシマヤ)を訪ねてきた友人のS君に聞いてみると、
「サガンはセレブな人達が読むものだから、石丸さんには無理。」
だそうだ。
セレブね、ふーんセレブ。…セレブというのはなんですか?
最近ボク、目の前で知らんカタカナ言葉いわれると噛み付く癖が出
てきたので注意してね。
サガンは若い頃にも自動車事故で死にかけてる。外国の女の人は
お金持ちになるとすぐにスポーツカー欲しがりますな。

若い頃死にかけてるのは西郷も一緒で、月照という坊さんのおつき
あいで死にかけてる。よっぽど付き合いで死ぬのが好きな人だった
んだね。
まったく縁のない二人だが、同じ命日の者同志あの世で仲良くしちゃ
ってたりするかも?
西郷は51歳で死んでるから、69歳で死んだサガンより年下だから、
サガンって年下ごのみなんでしょ?
「サイゴーサーン」「サガンどん」なんっちゃってさ。
西郷って(あの肖像は偽者らしいけど)目がパッチリして可愛いし…。

フランソワーズ・サガン 2004年9月24日享年69歳。
西郷隆盛1876年9月24日享年51歳。
サガンの死因は心臓疾患。
西郷は自刃。お腹切って、首チョンパね。あーおそろし。

ところで、西郷さんの銅像が連れてるあの犬の名前は「ツン」だそうです。
ツン
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by shanshando | 2005-09-23 22:21 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 09月 22日

中上健次

ネット販売、絶版文庫コーナーに新着!
中上健次、「野生の火炎樹」 「破壊せよとアイラーはいった」ほか!
店にも出していますのでご注文はお早めに!

さて、1968年の明日。小津映画の縁の下の力持ち脚本家野田高梧
死んでいます。
「古本屋の掃苔帖」はここをクリック!
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by shanshando | 2005-09-22 21:44