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2005年 12月 30日

八王子のひき逃げ事件!切り捨て御免かよ!

私、テレビ見ないんで今日東京新聞読むまで知らなかったんですけど。
まったく酷い話ですね。沖縄ではこんな事件が頻繁に起こっていたん
でしょうね。
日米地位協定かなんか知らないけど、轢き逃げなんて卑劣そのもの
の犯罪じゃないですか?
公務で何かを運搬中だったっていうけど、子供跳ねたのを無視して逃げ
なきゃいけないほどの物を運んでたんですかね?核兵器とか。
まったく、アメリカと北朝鮮は同レベルの非常識国家ですね。

いや、どうも私子供が犠牲になる事件っていうのは、無条件で切れちゃう
ほうなので。失礼しました。

さて、今日で上々堂の今年の営業はおしまいです。年開けは3日正午から
です。3日は夜は早めに閉めるかもしれませんけど。

さて「掃苔帖」は休みの間の分。をまとめて書いちゃいました。
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by shanshando | 2005-12-30 19:12
2005年 12月 30日

古本屋の掃苔帖 第百四十三回 寺田寅彦 荻野久作 壇一雄 四代目桂三木助

閻魔の庁も天国の門も年中無休であるらしく、
大晦日、正月といえど人は死ぬ。
通常、このブログは私が店に出ない日には休んでいるが、
それは、例え飛んだ日があっても、歳が巡るうちにはいつか
書く機会があろうから、それで良しとしているのだが、年末
年始に関しては、書かずにいると最後まで書かない事に
なりそうなので、今日まとめて書くことにする。

寺田寅彦の随筆が初めて印刷物になったのは、明治38年
に「ホトトギス」に発表した「団栗」である。今岩波文庫版「寺
田寅彦随筆集」の一巻の冒頭に載せられている「どんぐり」
がそうなのだろう。
歳の瀬の今頃になると読みたくなる作品である。
20歳と15歳という、若年で最初の結婚をした寅彦は、5年後
20歳になったばかりの妻と死別している。随筆はその妻夏子
の発病が知れる、前年の暮れから始まっている。
妻はその時懐妊しており、不安さの中で恐らくはふるえていた
であろう当時の二人を、寅彦はのちに回顧し淡々と綴っている。
夏子が一子を残して、この世を去ったのが明治35年11月、
それから二度の結婚を経て、33年後の昭和10年12月31日
転移性骨腫瘍で寺田寅彦は57歳の生涯をとじている。

荻野久作、新潟の総合病院に勤めていた産婦人科医である。
今、新潟には彼の名を冠した「オギノ通り」なる通りがあるそう
である。何故一勤務医の名が通りの名になったか?彼はいわ
ゆる「オギノ式」の提唱者とされるからである。彼の論文に書か
れた月経の周期に関する計算式によってなされる避妊法は、基本
的に避妊を禁じているローマ法王庁が認める唯一の避妊法として
知られている。ただし、彼本人はこれを避妊のために使われる事
を嫌い、むしろ不妊治療に役立てて欲しいと考えていたそうである。
荻野久作は1975年1月1日、92歳で死んでいる。

能古島は福岡県姪浜からフェリーで10分程度の博多湾内に
浮かぶ周囲12キロの島である。春先には桜と菜の花で彩られ
る。昭和47年ポルトガルから帰国した壇一雄は、自らここを
終の棲家と定め居を構えた。家族のいる東京は彼には寒すぎ
たのだろう。やがて死期が近づき福岡の病院に入院するまで、
そこに過ごした。
娘壇ふみは、その著書「まだふみもみず」で、その間彼女自身
が父に会うためその島を訪れたのは、死の前年の春一度きり
だったと書いている。身勝手な父親に対する反発がそうさせたの
だろう。
その昭和50年の夏の十日間、口述筆記によって20年にわたる
連作長編「火宅の人」を完成させた彼は、翌51年1月2日肺癌で
死亡する。享年63歳。

四代目、つまりついこの間死んじゃった(もう4年になるか)三木助
は、何故死んじゃったのだろう?
1985年にオヤジの名跡を継いで、三木助になった。落語界は
最近血筋ばかりが話題になってつまらない。芸人がみんな血統
を云々するようになったら、落語なんて芸は駄目になるのに決まっ
ている。元来が他の世の中で使い物にならない奴が、使い物に
ならないくせに、良い思いだけするのが好きでなるような職業じゃ
ないか。だから面白いんじゃないか。良血だとか家柄だとか通用
しないからこそ、志ん朝はついに自ら志ん生を継がない事を貫い
たんじゃないか。
今いろんな雑誌で柳家花緑が取り上げられているが、いつの日に
しろあんな下手糞が小さんを継ぐようじゃ、落語界も終りだ。
四代目三木助が自ら果てた理由はわからないし、興味もない。
とにかく2001年1月3日に縊死した。 享年43歳だった。
それより私が気になるのは、今年2005年に立川流を除籍になった
快楽亭ブラックがこれからどう生き抜いて行くかだ。
頑張れ快楽亭!今の世に数少ない本当の芸人らしい芸人は快楽亭
ブラックただ独りだ!

さて、目出度かるべき元旦からこのブログを読んでくださる皆さん
ありがとうございます。
元日は冥途の旅の一里塚、目出度くもあり、目出度くもなし
いまだ死を知らずして、如何にして生を知らんや

来るべき2006年が皆様にとって御多幸な歳であることをお祈りします。
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by shanshando | 2005-12-30 15:18 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 29日

古本屋の掃苔帖 第百四十二回 横光利一

「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で駆けて
いた。沿線の小駅は石のように黙殺された。」
大正13年に発表された横光利一の「頭ならびに腹」の一節
である。
映像メディアの普及と発展によって、事象を複数の視点で
捉える事に慣らされた現代の私達から観れば、大した驚きの
ある表現ではないが、当時はこれが波紋を巻き起こした。
震災の翌年にあたるその年10月横光等は新雑誌「文芸時代」
を立ち上げ、新感覚派を標榜した。
この雑誌の初期の中心メンバーはそのまま文藝春秋とかさな
り、多くが戦後文壇の中心的存在となるのだが、例外的に戦時
中の銃後文芸運動に積極的に参加したため、戦後は戦犯扱いの
まま早逝する横光や、やや遅れてこの雑誌に参加する稲垣足穂
など、むしろこの中でも「面白い」人々は戦後永く忘れられた
形となり、足穂は昭和末に、横光に至っては最近になって漸く
正当な再評価がされているようである。

横光利一は、なぜ「銃後文芸運動」などに関わったのだろう?
あの戦争の行く末にどんな希望を見ていたのだろう?
敗戦の翌々年1947年 すなわち昭和22年の明日12月30日
胃潰瘍をこじらせた末の腹膜炎で死亡している。
享年49歳
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by shanshando | 2005-12-29 17:38 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 28日

しまった!

年賀状書き忘れた!と思っている貴方、
御心配なく、年開けてから寒中見舞いを出すという
方法があります。だいたい暮れの忙しい時期にそんなもの
書いてる余裕なんてないですよね。
西荻窪の古書興居島屋の店頭には、古い絵はがきが売っています
大体一枚百円くらい、セットで百円なんていうのもあります。
懐かしさ溢れる昔の観光絵はがきなどで出す寒中見舞いは、
きっと先様の心に残りますよ。興居島屋への道筋は03-3396-3350
へどうぞ、正午からの営業で大晦日と三が日は休みます。

さて、上々堂では年末大サービス、「漱石全集」全18巻+月報美本が
なんとジャスト一万円!先着一名様のみ、なおネット販売は1月4日まで
お休みですが、遠方の方で欲しいい方はメールで受付けます。
アドレスはshanshando@aol.com
こちらの店舗は3日の日中から始めるつもりで一応います。

さて「掃苔帖」は石川淳です
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by shanshando | 2005-12-28 21:46
2005年 12月 28日

古本屋の掃苔帖 第百四十一回 石川淳

よく考えていたのでは、何も書けないのである。
ネットだかウェブだか知らぬが、何せこのモニター
の画面の向こうに居る人は、おそらく疑う余地もなく
私より、物を多く知り、知恵も深いに違いない。
こんなことを書くと、却って妙に斜に構えやがって
百四十回も駄文を垂れ流しておいて、なにを今更ぬかし
やがる。と言われるのが関の山だが、恐れ多くも俎上に
上ったのが石川淳とあっては緊張せざるを得ない。

緊張の理由のひとつは勿論、この文人が和漢洋古今に亘る
博学の人であると言う事もあるが、先に述べた通り、私
から観れば大概の他人は自分より博学であると知りつつ、
この無謀な挙を打ち続けているわけだから、今更それには
驚かない。問題は、私自身の恥ずかしい思い出にまつわる。

1987年12月30日の夜、私はその頃懇意にしていたさる女性
と、二人だけの忘年会をするべく高円寺のさる飲み屋の小座敷
に居た。私にとってその女性は、平たく言えば惚れてはいたの
だが、一緒に居るとなんとも肩の凝る相手で、私はどうもそう
いう相手に惚れる性癖が当時あった。
肩が凝る理由のひとつに彼女が私より、はるかに博学である事が
あった。酔って話しても下手な事をいっては、私はいつも赤面す
るハメに自ら陥っていた。
「そうそう、昨日イシカワジュンが亡くなったわね。」
彼女は突き出しの赤貝かなんかつまみながら、まずその日の話題
の切り口を開いた。
「えっ!そうなの?」
「うん、心不全だって、私は仕事で一度お目にかかったけど、お
元気そうだったのに」
「まだ若かったはずだよね。」
「若い?もう80はとうに過ぎてたはずよ!あなた何か勘違いして
いない?」
スミマセン、つまらないオチで。
わたし漫画家のいしかわじゅんと勘違いしてました。
はっきり言うとそれまで石川淳を知りませんでした。
次の日、古本屋に飛び込んで大急ぎで読みましたけど。なんだか精妙
に作られた懐石料理をどんぶり鉢にあけて掻き込んだみたいで、味も何も
わからんかった。

明治32年東京浅草の銀行家の家の次男に生まれた石川淳は、6歳から
祖父石川省斎に論語の素読を授けられた。先日の中島敦といい漢文の
素養が骨身に染み付いた人の文章は簡潔で私は好きだ。石川淳の場合
折々に出てくる逆説的な言い回しが若干鼻につく事もあるが、概ね
よろしい。と、メクラ蛇に怖じず。無学者は今夜も大いばりのコンコン
チキなのである。

石川淳は1987年の明日12月29日に心不全で亡くなっている。
享年88歳。
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by shanshando | 2005-12-28 21:26 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 27日

古本屋の掃苔帖 第百四十回 横溝正史

日本推理小説の祖は、江戸川乱歩か黒岩涙香か?
黒岩は翻訳翻案だから、やはり乱歩とすべきだろう。
しかし、これを本格ミステリーと更に分野を限ると、
その鼻祖は満場一致で横溝正史になる。
本格ミステリーの概念とは?
「幻想的で、魅力ある謎を冒頭付近に有し、さらにこれ
の解明のための、高度な論理性を有す(形式の)小説」
ということである。
乱歩は確かに高度な論理性には欠けるかもしれない。
別冊「幻影城」創刊号の作品目録によれば、横溝正史
の処女作は、大正10年に「新青年」に発表した「恐ろし
き四月馬鹿」とされているが、この作品から、敗戦までの
作品は、論理性にかけ、本格とは呼びがたい。
彼自身のそして日本初の本格ミステリーは、昭和21年
に発表されたお馴染み金田一耕介が登場する「本陣殺
人事件」である。
この作品に対する評として、乱歩は、トリックが機械的で
ありすぎ、本格物として一流とは言いかねるという評を述
べつつも、これがはじめて欧米の作品に肩を並べえる論理
性をもつ作品であると、認めている。

探偵物の推理小説の宿命として、良い作品ほど主人公で
ある探偵が作者より知名度を得るという傾向があり、為に
例えばコナン・ドイルのように作者が探偵に嫉妬して、作品
のなかで探偵を抹殺しようとして、世間の不興をかうなどと
いう珍妙な事態がおこったりするわけであるが、横溝の場合
も完全に知名度の上では金田一に負けているといってよいだ
ろう。
「中肉中背…というよりはいくらか小柄な……おそろしく風采
を構わぬ人物…色は白いほうだが、容貌はとりたてていうほ
どの事はない。」これが、作者が金田一に与えた容貌人相な
わけだが、映画やドラマ芝居になるとどうしても男前がこれを
やることになる。
現在までに、およそ20人の金田一役者が出ているといわれる
が、渥美清や片岡鶴太郎を例外として、ほとんど二枚目が演
じている。
原作のヒットした要因のひとつに、風采のあがらぬ貧相な男が
実はすべてを見抜く知力の持ち主であるという、痛快さがある
のだから、製作者はそこを考えて配役してもらいたいものだ。
二枚目じゃなくても。渥美清や鶴太郎は貧相さという点において
不十分だ。秘められた知性も感じない。
歴代金田一のなかでは、私はやはり古谷一行がまだ一番あっ
ていたように思う。上川は飄逸さに欠け、稲垣は気も頭も弱そ
うだ。
映画を作ると文庫が売れて、角川は儲かる。安易に他ですで
に評価の定まった金田一役者で作ろうとせず、アングラ劇団
あたりから拾い上げてきて、これぞ金田一耕介という役者で
シリーズを全て作り直す気概でやったら、きっとまた大流行
すると思うのだが。

ところで、金田一耕介はじゃなかった、横溝正史は1981年
の明日結腸癌で亡くなっている。享年79歳。
亡くなって四半世紀になるわけだが、ネット上でも金田一や
横溝の話題を扱ったサイトは多いようだ。
その気になって作ったら儲かりまっせ角川はん。
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by shanshando | 2005-12-27 17:24 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 25日

古本屋の掃苔帖 第百三十九回 石垣りん

言い訳をするわけだが、
むちゃくちゃ忙しい。
今日は石垣りんさんを書く予定だったが、これは無理だ。
なにせ、次から次へと買取りが入ってくるのだ。
今日はおやすみにと思っていると、石垣りんがむこうから
飛び込んで来た。
現代詩手帖特集版「石垣りん」、これは書かねばならない
表紙の写真の石垣りんは、まるで人格的な陰りを見せない
丸顔で笑っている。

昭和9年14歳で進学を勧める親の意見に反して、自ら日本
興業銀行の事務職見習いに就職すると同時に詩の投稿を始
める。当初のペンネームは、夢路りん子、御空ゆき、青空
美加だったと、自筆年譜にある。宝塚風ですな。
以来、55歳で同行を退職するまで、銀行員をやりながら詩
を書き続ける。第一詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える
火と」は、昭和33年から患った椎間板ヘルニアの快気祝い
として、34年に配られた。
84年の生涯を通じて独身で、この特集版に寄せられた谷川
俊太郎の追悼の詩によれば、1DKの部屋に寄贈された本に
埋もれて暮していたという。詩人、俳人、歌人みな共通の
悩みである。古本屋はまず引き取らない。
ご本人の詩集は、売れ行き良好で平成13年14年と続けて出
された三冊の詩集は、詩集としては驚くほどの売上げだった
という。

2004年すなわち昨年の明日12月26日、心不全のため亡くな
った。
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by shanshando | 2005-12-25 17:02 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 24日

古本屋の掃苔帖 第百三十八回 ニコラス・ダース

ニコラス・ダースって誰?
わかりませんよね普通。
時はそう、仮に1872年としてもいいでしょう。時計が0時
を回り、その年のクリスマスがやってきたばかりの深夜、処は
ベルギー アントワープの旧教寺院の石造りの聖堂、この町が
生んだ偉大な画家ルーベンスの描いた大きな二枚のキリストの
絵を前に、一匹の老犬とともに抱き合うようにして死んだあの
少年、そう「フランダースの犬」の主人公ネロ・ダースの事です。
ネロ、あるいはネルロというのは愛称で正式にはニコラスなのだ
そうです。
いや、菊池寛訳の「フランダースの犬」を読み返してみましたが、
私どーも、実は涙腺の弱い方でして、思わずぐっときちゃいました。
実にどうも救いのない話ですねー。

「フランダースの犬」はド・ラ・ラメーマリー・ルィーズという
イギリスの女性が1872年に書いたもので、「時を仮に…」と書い
たのはその為です。
物語の最後、主要な悪役である轢き粉屋の主人は改心して、ちょっと
いいもんになりますし、物語の初めの方ではパトラッシュを虐待し
ていた元の飼い主の金物屋も罰があたって死んでしまいますが、よ
く読むと最後まで罰されないままの悪人がいますね。そう旧教寺院
の坊主たちです。菊地訳ではネロが、貧乏人には絵が観られないよう
に高い拝観料を取るなんて間違っていると批判しますし、最後の瞬間
に月光で照らされて絵が見えるのも、そのまえにネロが覆ってある布
を引き裂くからです。なにも引き裂かなくても、と思いませんか?
ここまで、旧教を敵役にするのは作者はプロテスタントなんでしょうか?

とにかく、この物語はベルギーでは元々ほとんど知られていませんでした
し、知っている人もほとんどが否定的でした。ベルギー人は可愛そうな
孤児や老犬にそんな酷い事をしたりしないというのです。いやそれは本当
で根性の悪いフランス人と違って、ベルギー人は本当に親切なんですけど。

アントワープに今はパトラッシュの像がありますが、これは実は日本人
観光客用なのです。ただ、アニメで観たセントバーナードのような大型犬
を期待しているとあてがはずれます。あれは菊地訳に「フランダースの犬
は一体に頭も四本の脚も大きい」とあるせいでしょうけれど。本当のフラ
ンダースあたりの犬は柴犬のような形の中型犬のようで。像になったパト
ラッシュもそうです。
ちなみにアメリカで翻訳された版では、ネロの行方不明だった父親が現れ
てハッピーエンドだそうです。フンッつまんねーの。

さて、あと二時間ばかりでクリスマスです。宗教的にとくにこだわりを
持たない人も年に一度敬虔な気持ちになってみてはいかがでしょうか。

ちなみにネロ少年の享年は、原作では推定15、6歳。それではちょっと
とうがたちすぎていると判断したためかアニメ版では10歳ということ
になっています。
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by shanshando | 2005-12-24 22:09 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 23日

古本屋の掃苔帖 第百三十七回 ブルーノ・タウト

1933年、ドイツの建築家ブルーノ・タウトは福井県敦賀港に
上陸した。親ソ派と疑われ、身の危険を感じ、ナチスが支配し
ていた故国から亡命してきたのである。
もともと、アールヌーボやジャポニズムの影響で日本に並々
ならぬ興味をもっていたタウトは伊勢神宮や桂離宮を訪れて
感激したが、当時の日本は日独伊三国同盟によりナチスドイツ
との関係を強固にしている最中で、在独当時から集合住宅の
設計などにより(同潤会アパートはこれを手本にしたといわれ
ている)すでに世界的に名声を得ていたタウトに相応の仕事を
与える、国の機関や大学はなかった。
ようやく、救いの手を差し伸べたのが当時フランス帰りで、群馬
県高崎を中心に工芸運動をやっていた井上房一郎である。
井上の父保三郎は例の高崎観音をおっ建てちゃったおっさんで
ある。井上親子にはひとかたならぬ世話になっていたタウトもこ
れだけは真剣にとめたらしい。
おそらくはスパイであることを危惧した日本の警察当局はつねに
タウトに見張りをつけていたらしく、井上はタウト夫妻が安心できる
仮の住居として少林山達磨寺にある洗心亭という庵を世話する。
わずかに6畳間がひとつと4畳半がひとつという狭い庵は、当初
あくまで100日間かぎりの仮住まいの予定が、「方丈記」なども
読んでいたタウト自身がここを気に入り、結局トルコ国からの招聘
で日本を去るまでの2年3ヶ月をここで過ごしている。
1965年に日本を去るまで、結局タウトは本業である建築の仕事は
何もしていないが、その後の日本のインダストリアルデザインに残
した影響は多大なものがあり、また桂離宮などの日本の建築文化
を海外に紹介した数々の著書を残した。
日本を去るときの送別の宴で、日本がヒットラーと組んで戦争に突入
することの愚を説き、いずれまた戻ってくると約した彼だが、やがて
突入してしまった戦争の行方を確かめることもなく、トルコボルボラス
海峡を見渡す土地で脳溢血のために死亡した。
享年58歳
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by shanshando | 2005-12-23 17:37 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 22日

古本屋の掃苔帖 第百三十六回 A級戦犯の七人

2005年12月22日現在、サッダーム・フセインはまだ生きている。
金正日も麻原彰光もジョージ・ブッシュも生きている。

確か大学に少しだけ顔をだしていた時に聴いた気がするが、法律
用語でいう悪意とは、「行為に対して意識的であった」事を意味し、
逆に善意とは早い話が「知らないでやっちゃった」事を意味する
らしい。(間違ってても叱らないで!)
つまり、自分では良かれと思ってやったことが何かあったとして、
その結果が人に喜ばれることであったとしても、またその逆でも、
それは「悪意をもってやった」という事になるのだろう。
例えば、「悪意を持って上司の肩をもんだ。」とか、「悪意をもって路上
に落ちていた紙屑を拾った」というような言い方ができるわけで、
結果上司が喜んでくれたり、街が綺麗になったとみんなに誉められたり
すれば、何も問題はないのだが。もしも握力が人並み外れていたりして
上司の肩の骨が折れてしまったり。拾った紙屑が有価証券であったり
すると事はすこしややこしくなる。

悪意をもって平和を乱すやつは、これは厳重に処罰されるべきであるが、
問題は平和の概念が定まっていないことだ。
Aのグループにとって平和といえる状態が、Bの人たちには平和とは言え
ないかもしれない。悪意をもって自分の平和を押し売りに行ったりしては
いけないのだ。
そこんとこを間違った為に処刑されっちゃった人たちが今日の主人公なのだ。
たぶん‥‥、好意的に見るとするとだが‥‥。
いやいや、勿論彼らにはもっと一般的な意味合いで悪意があったと考えるの
が普通だろうけどね。
しかし極東軍事裁判に関しては明らかに裁く側、簡単に言っちゃうと米英の
悪意のほうがあからさまで、史料を読んでいると腹が立ってきますな。
あれだけの非戦闘員の大量虐殺を行ったことが、裁かれないままでいいわ
けはないと思うんだが。
東條たちが死刑なら。、アメリカ大統領だって死刑だろう。普通。
まぁ、公平性の問題は別にして、今日の主人公たちは罰せられるだけの事は
確かにした。だから殺された、問題はあっちにもこっちにも罰を受けずに頬
かむりして生き延びたやつが、その後もでっかいつらをしてたことだ。

1948年の明日12月23日、A級戦犯を処刑。
板垣征四郎 63歳 木村兵太郎 60歳 東条英機 64歳 土肥原賢二 65歳
広田弘毅 70歳 松井石根 70歳 武藤章 56歳
刑の執行をその日 つまり当時の皇太子の誕生日にしたのは、明らかにマッカサー
の恫喝だろう。
「属国になるっちゅうことで、天皇の命は勘弁しちゃるけど、さかろうたらどうなるか
わかっちょるやろね。」というわけですね。
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by shanshando | 2005-12-22 17:54 | ■古本屋の掃苔帖