上々堂(shanshando)三鷹

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2005年 12月 04日

古本屋の掃苔帖 第百二十一回 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト

来年2006年は、モーツァルト生誕250年になる。
そのせいか、いろんなところでモーツァルトの名前
を見る。モーツァルト・カフェにモーツァルト・リキュール
ペンション・モーツァルトにモーツァルト療法
浪速のモーツァルトなんていうおっさんもいましたなぁ。

さまざまな分野に天才という人はいるが、モーツァルトほど
その名にふさわしい人物はいないだろう。
5歳で初めの楽曲を作曲し、8歳で交響曲を作曲して、14歳
の時にはたった二回聞いただけの混声曲を暗譜し、完全に
写してみせたという。まさにもう悪魔的な才能といえよう。

天才には謎と伝説がつきものである。
フリーメーソンの会員だったらしいし、スカトロ愛好者だったとも
いう。
もっとも、西欧人は騎馬民族の祖先が馬上でつねに直腸を刺戟されて
いたせいでもあるまいが、男女の別を問わず肛門性愛やスカトロジス
トが多いようである。
細々とした謎や伝説はその他にも一杯あるが、なんといっても一番
大きな謎は死にまつわるものだろう。
サリエリは本当にモーツァルトを毒殺したのだろうか?歴史上なんども
話題になっている謎である。

天才ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1791年の明日、
12月5日35歳で亡くなっている。ヴィーン市民の最低料金の葬儀で
葬られ、付添人もなかったため、遺体が何処に埋められたかはわか
らない。
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by shanshando | 2005-12-04 14:14 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 03日

古本屋の掃苔帖 第百二十回 中島敦

こうやって、毎日次の日に死んだ人の事を書いていると、
時に期せずして不思議な連鎖に気付く事がある。

昨日、書いたロバート・ルイス・スチーブンソンが大洋州
の西サモアに没してから、ほぼ半世紀の後、西サモアから
北北西にあたるパラオに今日の主人公が訪れている。

中島敦は、1941年奉職していた私立横浜高女を健康上の
理由から辞し、転地療養の思いも含みながら、当時日本
の植民地であったパラオの南洋庁に現地人に日本語教育を
押し付ける教科書作りの書記官として赴任している。
内地には愛妻と愛児を残しており、名を挙げ裕福になって
から西サモアに移住したスチーブンソンとは随分違い。すで
に作家としてデビューしていたとはいえ、中島の南洋行には
どこか人生に血路をひらかんための藁にもすがらん必死さを
感じる。
結局、持病の喘息が悪化して、一年で東京に舞い戻る事にな
るが、全集に見るこの間の作品や書簡には、「山月記」や「
李陵」には見られない中島の一面が覗け興味深い。
1942年すなわち昭和17年3月に帰国して9ヶ月後の12月4日
33歳で他界している。
母親を早くに亡くし、父親や義母との関係に悩み続けた彼にと
って、まさにかけがえのない存在だった妻や子供との別れを、
もしかすると早めただけかもしれない南洋行を末期の彼は悔い
ていただろうか?
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by shanshando | 2005-12-03 21:57 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 02日

古本屋の掃苔帖 第百十九回 ロバート・ルイス・スチーブンソン

スコットランドのエジンバラの灯台技師の子供に生まれた
ロバート・ルイス・スチーブンソンは、幼少から病弱だった
わりに情熱家で、1879年ファニーという11歳年上の人妻
の尻をおっかけて、アメリカ西海岸に渡ります。
ファニーに夫の浮気に悩んでいると聞かされ、てっきりその気
になっちゃったわけです。純真ですね。
ところが、世に人妻の愚痴ぐらい信用のできないものありませ
ん。ファニーは夫への不満から、年下の坊やをからかっただけ
で家庭を潰す気はなかったのです。とくに、仕事の伝手もない
のに一切合財背負ってやってくるような無謀でしかも病弱な若
者との未来など考えもできなかったのです。
裏切られ、路頭に迷った彼は、野宿をかさねた末に結核に罹り
ます。まったく「泣きっ面に蜂」「バッタリ倒れりゃ糞の上」という
やつですね。
ところが、人生何が幸いするかわからないもので、ここまで落ち
た彼を見たことで、逆に憐れんだファニーは夫と別れて彼と一緒
になる事を決意します。
病も癒えて、義理の息子もくわえた三人の生活が始まります。
そして、この義理の息子ロイドのために書いたお話こそ、児童文
学の名作「宝島」なのです。
この作品で、一躍有名になった彼は、翌年「ジキル氏とハイド氏」
を書き、その名を不動のものとし、一時は野垂れ死にしかけた身が
世界的名士に成り上がります。ということは、つまり11歳も離れた
人妻のために身命を投げ出したことが運を開いたということでしょ
うか?人生やってみないとわからないものです、あまり真似はしな
いほうがよさそうですが。
晩年の彼は、家族とともに西サモアに移住し、英米独の植民地支
配に喘いでいた地元部族を助けて、彼らに愛され1894年12月3
日、44歳でこの世を去るまで、ゴーギャンも愛したこの南の楽園
ですごします。
ちなみに、サモアでもいくつかの著作を残しているようですが、「宝
島」や「ジキル氏とハイド氏」を凌駕するようなものはなかったとい
われていますが、読んでないので何とも言えません。読んでみた
いものです。
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by shanshando | 2005-12-02 17:34 | ■古本屋の掃苔帖
2005年 12月 01日

古本屋の掃苔帖 第百十八回 植草甚一

「ぼくは何か売ってない通りを歩いているときは、
ただ空気をすっているだけで、すこしも面白くないが、
繁華街を歩きながら、なにかしら買って帰ってくると、
気持がリラックスしていることを発見した。都会は、
せわしない雰囲気を感じさせてはいけない。リラック
スさせることが都会の生命なのだ。」(植草甚一「ワ
ンダーランド」)

数年前、ニューヨーク生まれのフリージャズのギタリスト
が日本のある田舎道を歩きながら、
「田舎には本当の静寂なんかありはしない。」と力説して
いた。彼はよんどころなく数週間、その地に留まらざるを
えない事に飽き飽きしていたのだ。
「本当の静寂はニューヨークや、東京のど真ん中でしか味
わえない」

私は根が田舎者だから、植草甚一やそのギタリストのような
気持ちは理解できないが、東京で人生の半分以上を過ごして
しまったので、今更田舎暮らしもできない。半端者である。
都会人でもないし、田舎にも住めない、そういう人間は結局
都会人になりきれないまま、「ふり」をして都会に住む。
植草甚一の本はそういう人間の教科書のような気がする。
自家製造した妙な問題意識や、自我などという枯れ尾花に
惑わされること無く、すいすいと消費経済の海を泳ぎ渡る
方法を教えてくれる。そういう事のための情報媒体として
彼がこの国で始めた雑誌文化の系統は脈々と今も息づき、多
くの私の同類諸君がこれを求めている。

古本屋がこんな事言っちゃ、イケないね。
すこし疲れているようだ。

植草甚一は、1979年12月2日心筋梗塞で亡くなった。
まさに江戸っ子も本場の日本橋生まれの彼は、保険ひとつ入
ってなかったらしく、残された遺族のため友人達が奔走した
らしい。
享年69歳
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by shanshando | 2005-12-01 16:24 | ■古本屋の掃苔帖