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2006年 03月 31日

古本屋の掃苔帖 第二百十七回 レスリー・チャン

「ブエノスアイレス」を観て、スクリーンの中の彼の体臭を感じた
ような気がして驚いた。他の映画では感じた事のない感覚だった
から。
ウォン・カーウァイの映画はどれも妖しげで強い芳香を放ってい
るが、レスリー・チャンは特に強い匂いを感じさせる俳優だった。
それも、人工的で危険な効用を持った香水の香り。

香港の富豪の子供として生まれ、英国に留学した経験によるもの
か、あるいはゲイゆえの独特の自意識の故か、おそらくその両方
だろうけれど。
身奇麗でルックスが甘くて、身のこなしが洗練されていて、特に少
し才槌気味の頭部の下の品の良い顔立ちは、東洋人にも西洋人
にも他にあまり例を見ない特異なルックスで、「新人類」という印象
だった。

「新人類」というのは、少し的が外れている気がするが、ようするに
例えば「中国人」とか「広東人」とか「東洋人」でもいいけど、そういう
血の連鎖の中に彼が生まれたというよりは、むしろ突然変異として
神が造形した(すこし言いすぎかもしれないが)そんな存在に見え
たのだ。
事業に忙しい親に殆どかまわれずに育った経験が、彼から生活臭や
生態臭を奪い。換わりに悪魔にでも調合させたのではないかと思わ
せるような自意識というオーデコロンを振り掛けさせたのではないか?

2003年4月1日、香港時間の午後6時、彼とお茶を飲む約束をして
いた彼の元マネージャー フローレンス・チャンは30分を過ぎても
やって来ない彼に電話をしてみたところ、今車を停める処を探してい
るから、タクシーのりばに出て待っていてくれないかと云われ、ホテル
の玄関を出た。その時、レスリーは彼女を待たせたことを余程気にし
ていたのだろう。おそらくこれ以上は絶対に急げない方法で彼女の前
に現われた。つまり空から降ってきたのだ。
いったい何処に車を停めたんだろ?そうか!きっと、日本同様に香港
は駐車場が少なくって。あんまり置く場所に困った彼はホテルの屋上
からフックで車をぶら下げたんじゃないだろうか?
それにしても、いくら40分遅刻したからといっても、降りてくる時はやっ
ぱりエレヴェターを使ったほうが良かったね。良い子は決して真似しな
いようにしましょう。

レスリー・チャンの死後ホテルの前には花束が絶えず、殆ど歩道を埋
め尽くしたが、ホテル側は片付けるだけ無駄だと思ったか、しばらく放
置していたとか。
葬儀では、自殺の原因に関係しているのではないかと言われた恋人の
唐鶏徳氏が喪主をつとめた。
レスリー・チャン享年46歳、意外とおっさんだったのだ。年下だと思っ
てた。
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by shanshando | 2006-03-31 17:29 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 03月 30日

古本屋の掃苔帖 第二百十六回 アンネ・フランク

アンネ・フランクの死んだ日は正確にはわかっていない。
ただ、オランダの赤十字がおそらく事務上の手続きで、
1945年3月31日としているので、それに準じるわけだが、
ひとりの人間の死に関して、そんないい加減な事が赦され
ていいのかというのは、平和な現代日本に住む我々の感覚
であって、世界には正確な命日も死因もわからないまま去
って逝く命が、現在もおそらく多数ある。

アンネが死んだのは、おそらく1945年の2月の末から3月
中であっただろうとされ、死因は収容所内に蔓延していたチ
フスに感染した為だとされている。
1945年という年は、おそらく近現代史上、一番たくさん子
供の命が故無く奪われた年ではないか?アンネ達がいたナチ
スの収容所は勿論、ヨーロッパやアジアの各戦場で、そして
日本でも各都市の空襲によって多くの子供が死んでいる。
戦争を始めるのはいつも大人で、彼等はきまって自らの正義
を主張するが、罪のない子供の命を奪う正義などあるわけが
ないのは云うまでもない。

今、日本では戦争の危機を回避するためには、アメリカにお
もねる以外ないという選択がなされているが、彼等はじつは
自国の権益を守る為の軍備を日本の予算でやろうとしている
に過ぎない。それは、アメリカがその気になれば北朝鮮など
簡単に踏みつぶしてしまうだろうが、その時彼等が行うであ
ろう傍若無人の所業を思えば、とても安閑とはしていられな
い。北朝鮮で韓国でそうして日本でもまた多くの子供の命が
奪われる。彼等アメリカ人は東洋人など人間だと思っていな
いのだから。

もし、アメリカが本当に正義の国で、ジョージ・ブッシュが
その先頭に立つ人間であるなら、ひとつ体中に爆弾でも隠し
持って平壌に潜入して、金正日と抱き合い心中でもしてくれ
ないか。そうすれば世界の害毒が二つ消滅して、平和が訪れ
るのだが。

冗談はさておき、北朝鮮にも子供は居て、愚かな独裁者のた
めに悲惨な生活を強いられている。先日、拉致問題に進展が
見られない限り人道支援を打ち切って欲しいという横田夫妻
の主張に怒りを感じるという発言をしたなんとかいう評論家
を自虐史観のクズ呼ばわりしているブログを見たが、私には
この自虐史観の定義がよくわからない。61年前に人道上赦さ
れない非戦闘員の無差別殺戮によって多数の同胞を殺した国
におもねって、その云うがままにいつまでもなっている事は
自虐ではないのか?
北朝鮮の惨状を救う為には、本当に戦争しか手はないのか?
もし、そうだったにしても金正日とタメを張るぐらいの馬鹿
が支配するあの国のお先棒を担ぐようなやり方で本当にいい
のか?

アンネ・フランクの日記はこの半世紀世界各国で独裁者に対
する怒りや、戦争の罪悪を訴えてきたが未だに人類はこの少
女の投げかけた問いに答えられないでいる。

アンネ・フランク享年15歳。
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by shanshando | 2006-03-30 15:35 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 03月 28日

古本屋の掃苔帖 第二百十五回 立原道造

「『五月の風をゼリーにして持ってきて下さい』って、彼は
云ったのよ…、」と坪田先生はそのクリクリした瞳をキラキ
ラさせながらそう云った。
彼女は、その年新卒でわが中学に着任したばかりの化学教師で、
わが化学クラブの顧問で、いわゆるトビっきりのカワイコちゃ
んだった。
正直言うと、我々(というのは、私と二人の友人だが)は彼女
だけが目的という、完全に混じりっけのない不純な動機でその
クラブに参加していたのだ。

夏休みに、中々はかどらない課題の実験に関する相談にかこつ
けて彼女の家を訪れ、あつかましくも昼食まで御馳走になった
私達三人組に食後の珈琲をだしながら、彼女は立原道造の話を
聴かせ、おそらく現代詩文庫だったと思うが、彼の詩集も見せ
てくれた。生意気にませきっていた私達は正直なところ彼女の
少女趣味には若干辟易していたが、そこは惚れた弱み、さも道
造に関心をもったようにページを繰ってみせた。

その夏、私達が取り組んでいた実験は自分たちの尿から、尿素
を取り出し樹脂を作れるか?というもので、そんな事できるの
どうか未だに私にはわからないが、とにかく毎日暑い最中に、
ビーカーに入れた尿をアルコールランプで煮沸していた。とっ
ても臭かったけど、そうすれば彼女に会う機会恵まれたからだ。
自宅訪問以来、彼女は暇さえあれば我々に道造の話を語って聴
かせた、銀座ニュートーキョーで撮られた写真の中で彼が着て
いる上着は彼自身がデザインした六つ釦の洒落た物である事、
しかし写真の翌年彼は亡くなってしまった事、建築家だった彼
は学生時代から優秀で、帝大在学中に三度も辰野金吾賞(その
時私達は辰野金吾なんて知らなかったが)を取った事などなど
彼女は自分の恋人の話でもするように道造を語り、我々大昔に
死んだ詩人にライバル意識を燃やした。

道造の写真はどれも痩せており、見方によっては当時から細身
だった私に似てなくもないような気がして、私は完全に無駄な
希望を抱き、恋心を膨らませた。

しかし、愚かな中学生の初恋はある日突然ポッキリ終焉した。
彼女は私達が三年生になった年に、あっさり結婚相手を見つけ
出し、わずか2年の教師生活に終止符を打って、東京は調布市
に嫁いで行った。相手は登山で出会ったムクツケき山男で、道
造とはちっとも似ていなかった。やれやれ

例によって無駄なお喋りがすぎたようだが、要するに私は立原
道造の名前を聴くと思い出すのは、ゼリーになった五月の風で
はなく、カビ臭い化学準備室に充満した煮沸された尿の匂いだ
と云う…。道造ファンの皆さんごめんなさい!

立原道造は昭和14年2月13日すでに病床に居ながら第一回の
中原中也賞を受賞、同年の明日3月29日結核のため死亡してい
る。享年24歳。
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by shanshando | 2006-03-28 20:35 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 03月 26日

古書検定

2006年3月26日日曜日 くもり


ほぼ半年ぶりの店番日記です。みなさまいかがお過ごしですか。
店に来る途中、つつじの植え込みにうもれるように、
沈丁花が咲いていました。

開店準備をしていると店主(イシマル)より電話が。
本日の仕事の指示のあと、あ、昨日のブログに書いたんだけど…
と店番日記の依頼。
昨日のブログをまだ見ていなかったので、びっくりして
たしかめると、もう、ほぼわたし(オオツカ)が書くことに
なっているではないですか。むむ。

本日の仕事は文庫の値づけと棚補充。文庫棚、だいぶ空いて
いるのでどんどん入れていく。棚がうまっていくのは気持ちいい。
スチールの棚より木の棚の方が、本をとん、と揃えたときの
音がやわらかくていいなあ、と思う。わたしは新刊書店でも
働いているのですが、スチールだと必要以上に大きな音がして、
自分でちょっとびっくりしちゃうときがあるのだ。

文庫を入れながら、本日の

「okatakeの日記」


に書かれていた古本テストについて考える。
いったいどんなテストなんでしょう。ああ、受けてみたい。

ここのところ、新しい検定がどんどん出来ていて、ちょっと前だと
京都検定、最近だと世界遺産検定や、昨日は映画検定なる本が
新刊書店に入荷してきていた。世界遺産検定の本なんて、発売当初は、
こんなの受かったからってなにがどうなるというのだろう、と
思ったものだけど、ここにきてすごく売れている。
だから古書検定、なんてあったら意外と受けたいってひと、
多いのではないかしら。

わたしは以前に野坂昭如の文庫を安く出してしまったことがあって、
あっという間に目利きのお客様に買われてしまったのだけど、
値づけの問題や、しばりの実技試験なんかがあったらおもしろい、
というか、それはわたしこそが受けるべき試験…

なんて考えていたら岡崎さんが娘さんとご来店されました。
岡崎堂、新着本&値下げ多数です!
大好評、岡崎堂奥さま手作りのブックカバーも追加!
みなさまのご来店、お待ちしております。
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by shanshando | 2006-03-26 20:06
2006年 03月 25日

引っ越しシーズン到来!

店内は買い取ってきた商品が溢れてますが、なかなか
整理が追いつきません。特に綺麗な小説のハードカバー
で均一価格で出せる物が充実、それから芸術新潮、サライ
dancyu, などの雑誌や美術書も充実!私(石丸)はてんて
こ舞い!てんてこ舞いってどうするんだろう?
まぁいいか!しばらく掃苔帖は週4回の更新になります。
日曜は大塚さんが店番日記を書いてくれると思うのですが。

とにかくネット販売はこちらからどうぞ
今日の掃苔帖与謝野鉄幹です。
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by shanshando | 2006-03-25 19:17
2006年 03月 25日

古本屋の掃苔帖 第二百十四回 与謝野鉄幹

まずはじめに堀口大学の回の記述に誤りがあったことを
お詫びせねばならない。
与謝野鉄幹を閔妃殺害の首謀者と書いていたが、正確に
は一味に関係していただけで、首謀者というわけではなか
った。関係の度合いも左程深いものではなかったとされて
いるが、それは事件が事件であるだけに真偽はわからない。

与謝野鉄幹は思想的には右翼に分類されるが、この時代は
右翼も左翼もアナキズムもキリスト教もごちゃまぜになって
いるので、鉄幹が右翼の壮士だったからといって、今街宣車
に乗り込んで騒音を撒き散らしている連中と同一にはできな
い。事実鉄幹は大逆事件で処刑された友人に追悼詩を書い
ているくらいである。

閔妃殺害は、ようするにロシアの南下東行に危機感を覚えて
いた一部軍人と鉄幹ら右翼壮士がその防波堤として朝鮮を
自由に操ろうとして、邪魔になる王妃閔氏を殺した事件である
が、まぁ誰が聞いても身勝手な理屈で、現代日本に当てはめ
れば、例えば雅子さんがアメリカ駐留軍が日本で好き放題に
婦女暴行などをするのを見て、抗議の声明をだして(考えられ
ないが)アメリカには日本から出て行って貰いたいと言ったとし
て(ありえないが)それを、というのは雅子さんをという意味だが
アメリカのネオコンが「何だ属国のクセしやがって」というんで、
殺しちゃうようなものだ。
鉄幹が関係していた右翼運動というのは、そんな今や世界で
一番始末の悪いエゴイスティックな馬鹿の集団として名高い連
中と、同質のレベルのものだったのだ。

その鉄幹が、である「ああ、をとうとよ」の反戦歌で有名な晶子
と何故結ばれるのか?
晶子はその歌の中で次のように詠っている。
「すめらみことは戦ひに おほみずからは出まさね かたみに
人の血を流し 獣の道に死ねよとは 死ぬるを人の誉れとは
大みこころの深ければ もとよりいかで思されむ」
この歌のこの部分の解釈は二重にとれる。すなわち実際に
「すめらみこと」すなわち天皇はそんなことは望んでないよとも
取れるし、天皇なんて自分じゃ鉄砲の弾の飛んでこないとこに
居てよくまぁ国民に人殺しをさせるもんだ。とも取れる。
どちらにしても、かなり根性のはいった反戦歌である。その晶子
が何故、思想だけではなく私生活の遍歴においても男性的エゴ
イズムの塊のような鉄幹と結ばれるのか?
理解できないのは、私の勉強不足のせいと、恋愛の不条理を解
さぬ野暮のせいであろうと思うが、この問題はやがて書く与謝野
晶子の回の宿題とするとして、

さて、与謝野鉄幹こと与謝野寛は本来の姿である歌人としての
才能ではあきらかに妻晶子に及ばず、自分もそれを認めていた
ゆえに後半生は自嘲的な歌ばかり詠むようになり、むしろ雑誌
「明星」の編集に力をそそぎ、また西村伊作を助け文化学院を
創設するなどの業績も残し、昭和10年の明日、3月26日肺炎
の為に亡くなっている。
享年73歳
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by shanshando | 2006-03-25 16:48 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 03月 24日

古本屋の掃苔帖 第二百十三回 辰野金吾

今また話題になっている東京駅の丸の内駅舎を設計したのが
辰野金吾である。今度、大東亜戦争の戦災で壊れた部分を直し
て元の三階建てを復元するらしい。完成予想図をネットでみる
と後ろにニョッキリ八重洲側のツィンタワーが見えて奇観とい
うより、やはり滑稽だ。
しかし、まぁ良かろうと思う。文明というのはそれ自体が人類
が罹った壮大な病であり、病と云うのは醜さを露呈するものだ
し、醜いがゆえに愛おしいものだ。

御歳92歳になる煉瓦作りの建物は、現代の目でみればアンティ
ークでノスタルジーを掻き立てるのかもしれないが、建った当
初は随分と醜い物であったに違いない。なにしろ風土や文明の
系流を一切無視して、外国の物真似で建てたのだから、それを
美しいと感じた奴は当時としてもよっぽど物を見る目のなかっ
た奴に違いない。それが時代を経れば大枚の金を使ってまで残
したい文明の遺物となるのだから、人間の感性なんて怪しいも
のである。

何かの本で、荒木経維が古い木造住宅の窓がアルミサッシに変
わっているのを見て、それがいいんだということを書いていた
がまさにそうだと思う。それはまさに文明と云う病に包まれな
がらも人間が健全に生きている証である。
旧上野図書館は今グラスウォールとアルミで梱包されて、国際
子ども図書館として使われているが、銀紙で老人の陰茎を覆い
込むようなあの気持ち悪さこそ現代の生活感であり、とても正
しいのだ。初めにあれを建てた奴はどう思うかは別にして。

とにかく、二本のタワーでつっかい棒をするようにして、辰野
金吾の東京駅は再現される、めでたい限りである。
金余り、金余りと云われながら、政治家が馬鹿なおかげで、冨
の分配が行われない日本はこれから又貧富の差の大きな時代を
迎える。金を持ってる奴は、どんどんやりたい放題でへんな建
物をいっぱい建てて、貧乏人の群れがそれらを汚損、陵辱して
いって、百年も経てば日本はパラダイスだ。

殆ど辰野金吾に触れないままだが、とにかく妻木頼黄とはりあい
ながら明治大正時代の建築界のドンであった設計家辰野金吾は、
1919年の明日3月25日悪性の肺炎のため死去している。
享年65歳
その三年後に起きた関東大震災で多くのビルが倒壊するなか、辰
野の東京駅は軽微な損傷を受けたのみであった。
息子は仏文学者辰野隆である。
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by shanshando | 2006-03-24 22:13 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 03月 23日

古本屋の掃苔帖 第二百十二回 梶井基次郎

梶井基次郎の屍体は、残念ながら桜の樹の下ではなく、コチャコチャ
ビルの立ち並んだ大阪 南区の常国寺の墓地に埋まっている。
遺言により、棺の中で茶の葉に埋められたというが、これは何処の国
の風習だろう?荼毘の荼は茶に似ているが関係はあるまい。
棺のまわりには草花が飾られ、これも遺言である。
茶の一件はおそらく何か書物をあたれば真相が書いてあるだろうが、
草花はあきらかに彼一流のリリシズムで、平たく言えば「ええカッコしー」
である。恥ずかし、

梶井基次郎は、大阪の土佐堀通り5丁目の腰弁のせがれとして生まれた。
「腰弁」がわからない若い人の為に一応説明しておくと、早い話が「リーマン」
である。このリーマンはせがれと同様の猿顔であったかどうかは知らないが
とにかくスケベで、飲んだくれで、女房を泣かせるだけ泣かせた。うらやましい
もんだ。
親父が極道なら、せがれも大人しくその血を受けつげばいいのに、不幸な
事に基次郎は当時の女性としては珍しいくらいの知的欲求の持ち主である
母親の血を受け継いだ。
当時は聡明な青年は、みんな結核を病むことに決まっており、患わないと、
なんだか世間の期待を裏切ったようで申し訳なく、なんとか感染しないものか
と用もないのに療養所のそばをうろついたりしたものである。
基次郎は運良く、三高在学中の大正9年に罹病していて。本格的に文学の
習作に手を染めているのが、21歳になった大正11年であるから彼の文学
は殆ど病をとおして死と向かい合うことで生まれたものであるといっていい。
代表作のひとつ「桜の樹の下には」のヴィジュアルイメージは、映像文化が
発達した今日では、さほど驚くほどのものではないが、当時の読者には衝
撃的であっただろう。ただし彼はほとんど世に知られないまま死んでいる。
漸く第一創作集「檸檬」が発表されたのが昭和6年で好評を得たが、翌昭和
7年の明日、3月24日には肺結核の病状が悪化他界している。
享年31歳。
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by shanshando | 2006-03-23 23:05 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 03月 22日

古本屋の掃苔帖 第二百十一回 天本英世

すべての舞踊は重力への抵抗、反発がその重要な構成要素に
なっている。膝を折り曲げ、腰を落とし、遂には尻を地に着
けてしまう事は、生を放棄し死に身を委ねることを意味する。
フラメンコに代表されるラテン系のリズムは、まさに地を踏
み続けることによって、死への抵抗を主張しているが、それ
は同時に死への甘い憧憬も暗示している。

スペインの内戦に対する興味から、ロルカにそしてフラメン
コやスペインそのものに憧れ愛し続けた天本英世は、その痩
躯をスペイン風の衣装に包み飄々と町を闊歩する人であった。
晩年の2年はクリーニング店の2階の空き部屋に夜だけ寝に
帰るという生活をしていたが、べつにホームレスというわけでは
なく、ちゃんと持家を持っていたが其処を維持管理しようという
気がさらさらなかったらしく、荒れるにまかせていたらしい。
家の耐震補強に頭を悩ませ、不良品をつかまされたと知ると
人生の終わりを迎えたような大騒ぎをする昨今の日本人から
見ると、不思議な気がするくらい所有や安住という意識に対
して恬淡とした人であった。
家などは物に過ぎず、物はその時々に最低限の用を成せば良
いのであって、使えなくなったら捨てればいいのだ。そんな
覚悟には我々はなかなかなれず、家族の安全や衛生を理由に
棲家に手を加えつづける。天本英世に云わせればなんと無駄
な生き方だ!と云う風になろう。

阿佐ヶ谷の駅頭でよく見かけたが、そのクリーニング店は阿
佐ヶ谷にあるのだろうか?一度その部屋を見たいものだ。
その部屋で身繕いをし、クリーニング店の店主が出店する朝
6時半には町に出、ドーナッツショップなどで時間を潰したと
いう。
寒風吹きすさぶシーズンにやはり阿佐ヶ谷の駅頭で彼と行き違
った事があったが、まさに風を切って立ち尽くす、見事な舞踊
体であった。あの時、彼の胸の内にはスペインの陽光が降り注
いでいたのだろうか?

俳優にして朗唱家天本英世は2003年の明日、3月23日急性肺炎
のため亡くなり、遺骸の一部は遺言にしたがい、スペイン・アン
ダルシア地方のグアダルキビール川源流付近に散骨された。
享年77歳。
彼は天皇制などくだらないとテレビでもはっきり言い切る人であ
った。編集され放映されたことはないが。
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by shanshando | 2006-03-22 21:32 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 03月 21日

古本屋の掃苔帖 第二百十回 新美南吉

代表作のひとつ「手ぶくろを買いに」の母親は、人間に警戒心が強く
町は危険だと思いながら、何故幼い子狐をひとりで町にやるのか?
という議論が南吉研究者の中にあると聞く。
幼時に実の母親を亡くし、継母に育てられた南吉の深層には、優
しさのうしろに悪魔的なものを隠した母親像があるのではないかと
いうのだ。
継母の人柄については、さまざま言われ真実のほどはわからないが
南吉自身の中に人の善意にたいする疑念がテーマとしてあったのは
疑う余地のない事実であろう。

「権狐」の兵十 「牛をつないだ椿の木」の地主などは、人の善意に
疑念をもってしまう自分を最終的に悔いる人々である。つまり南吉が
ヒューマニズムの作家と言われる所以であるが、「手ぶくろを買いに」
の母狐だけは最後まで疑問を呈したままで、人間を善とは断定しない。
それが実はこの作家の本音ではなかったか?
童話や児童文学というものはどこまでも教条的でなくてはならない、と
いう思い込みが世間にもまた作家自身にも壁としてあり、それは言葉
を変えれば童話や児童文学が「子供ダマシの文学」でしかなかったと
いうことだろう。

事実、考えられないことにこの作家の全集や単行本の多くはろくな
テキスト校訂も行われず、加筆削除すなわち時代に迎合した書き換
えが行われている。例えば、漱石の全集に漱石が書きもしなかった文
章など紛れ込ませたり、あるいはその時代の公序良俗を害するからと
言って勝手に削除されたりする事はありえないだろうが、南吉の作品は
たかだか子供の読み物だからという理由で度々書き換えが行われたの
である。

「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」
という「手ぶくろを買いに」の母狐の疑問形のつぶやきの先に踏み込め
なかったのは、当時の児童文学一般の未成熟の故であり、南吉自身の
若さのせいだろう。
夭折という一点で比較されがちな宮沢賢治の持つ複雑な人間観とは大
きな開きを認めざるを得ない。ただ、「手ぶくろを買いに」の母狐のもつ
冒頭に書いた矛盾と、最後の台詞のなかにこの作家がこれから踏み込
もうとしていた地平を想像するのみである。

新美南吉は1943年昭和18年の明日、3月22日咽頭結核によって死
去している。
享年29歳。
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by shanshando | 2006-03-21 18:21 | ■古本屋の掃苔帖