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2006年 04月 30日

さむがりとあつがり

2006年4月30日日曜日 晴れ


春は、目に見えるものの輪郭が少しぼやける。
境界が曖昧になって、いくつもの色がまじりあう。
そのせいでまぶたがだんだんおもくなり、椅子に座れば
1分ともたず、はっと気がつけば帳場の机に額がごちんと…

起きています。ぺちぺち(自分に叱咤)。
連休に入って飛び回っている方も、連休なんて縁のない
忙しい人も、お元気ですか。

早足でお店に来ると汗ばむほどの陽気でしたが、上々堂店内は
ひんやりとしております。とくに帳場は日が届かないからか、
じっとしていると寒いほど。

最近になってやっと、どうもわたしはさむがりらしいと
気がついたのですが、自分がさむがりなのか、あつがりなのかを
判断するのってけっこうむずかしいと思う。

さむいあついは自分の感覚であって、感覚を他人と共有することは
できないし、くらべてながめることもできないからだ。

あとは、言ってもらって判断するしかないのだけど、いったい
みなさん、どれくらいのケースが集まったら自分が人より
さむがりか、あつがりかを判断しましたか。
わたしは、わたしはなかなか判断できなかったのです。
だってさむいときもさむくないときも、同じくらいあるような
気がして。

なんだかすごくばかなことを言っている気がしてきました。

判断したのは、ともだちの家になんどか遊びにいったとき、
わたしがひそかに「さむい」と思っていても、そのともだちは
暖房器具をつけるそぶりを、まったく見せなかったからです。
それからわたしは「さむがり」として生きることを決めました。
「わたしさむがりだから」
って告白するとき、少し得意げになってしまうのはなぜでしょう。
とりあえず今わたしはジャケットをはおりつつ、これを書いて
います。
さむがりだから。
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by shanshando | 2006-04-30 16:39
2006年 04月 29日

古本屋の掃苔帖 第二百三十四回 永井荷風

時々、店に来ていただいたお客様に「ブログ読んでますよ」と
声を掛けていただくことがある。いつも読み手の顔が見えない
のを幸いに、言いたい放題書いているので汗顔の至りである。
中に一人、「以外と若いので驚いた」という方があった。
文体が爺ィ臭く、常にブツブツ言っているので年寄りだと思っ
ておられたのだろう。もう数年で50になるので立派に爺ィ予備
軍だが、いま少し爺ィ呼ばわりはご容赦願いたい。
もっとも若い頃はみずから進んで老けて見られたがったもので、
できることなら早いとこ爺ィと呼ばれたいと真剣に願っていた。
これはあきらかに益にもならぬ読書を習慣にした報いであろうと
思われる。読書人は、それも読書が仕事に結びつく学究はとも
かく、私のような雑書読みは、どこか遁世願望、隠居願望がある。

永井荷風もやはり、と書くと私と荷風を比較するようで、これは汗
顔どころではすまないが、とにかく荷風も若い頃から老人になる
ことを志した。思うに荷風や谷崎潤一郎のような耽美を貫こうと思
えば、若さはかえって不都合にしかならないのであろう。
脂ッ気が落ちて、鼻息から生臭さがぬけて初めてのエロスであり、
耽美であるという気がする。

日記文学という視点からみても、書き手が老人であることはむしろ
望ましい条件であるような気がする。
ブログ文化華やかなりし昨今だが、自分のことはさておき、若い人
が自分たちの仲間内だけに通じる言葉や話題だけで綴った日記は、
何だか読んでいて疲労する。
「断腸亭日乗」を読む人が、荷風の狷介孤高やディレッタントぶりを
素直に愛せるのは、一重に彼が「老人」であったからなのだろう。

世の中がミッチーブーム(渡辺美智雄ではない)で沸いた昭和34年
の春の初め、毎日通っていた浅草の「アリゾナ」で倒れ、車で帰宅
した荷風は、そのおよそ二月後の4月30日胃潰瘍のため永い永い余
生に幕を下ろした。
享年79歳
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by shanshando | 2006-04-29 15:52 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 04月 28日

古本屋の掃苔帖 第二百三十三回 島田清次郎

石川県美川町にある墓には「文豪島田清次郎の墓」と刻まれている
という。当人の遺志に拠るものであるか、それとも遺族縁者が建ても
のであるかは知らないが、兎に角この滑稽の感をまぬがれない墓碑
こそ、はしなくも彼島田清次郎の人生を象徴してしまっている。

島田清次郎はその美川町の回漕業を営む家に生まれたが、父親が
死んで家は没落、金沢の色町で貸し座敷業を営んでいた母親の実家
に母子で寄食し育っている。貸し座敷業という言葉は例えば祇園の御
茶屋なども表すので曖昧であるが、この場合女郎屋であったらしい。
こうした幼少期の体験が彼の文学と人生に大きな影響を与えた。という
言い方は非常に陳腐であるが、やはり島田清次郎の場合そう言わざる
を得ない。

彼の代表作で、大正期に記録的な売り上げをあげた「地上」は、今読む
と(多くのベストセラーがそうであるように)気恥ずかしくなるような陳腐な
ストーリーであるが、人生の最後に狂気に陥る彼の精神の軌跡が読ん
でとれて、その意味で面白い。自らの分身を主人公にしてヒロイスティッ
クなドラマを書く神経は一種新興宗教の教祖にも似て、あたると大ブレ
イク、外れれば精神異常の名を戴き、社会から疎外されることになる。
島田清次郎の場合、幸か不幸か若年にして「地上」がベストセラーにな
ったため狂気の振幅を大きくした。
狂気は個人的な状態であり、誰しも抱えている物だが、精神異常という
のは社会的な認知であって、個の狂気が社会という触媒に触れておこる
一種の化学反応なのだ。島田清次郎の精神異常を遺伝的なものだとす
る本もあるが、「地上」のような未熟な主観の産物を受け入れてしまう社
会という触媒なしに彼の精神異常が悪化したとは私には思えない。

どんな創作も狂気の産物であり、狂気の度合いが激しいほど作物が名
作になる可能性を持っていて、狂気の幅が少ない人間は往々にして、妙
に客観的でつまらないものしか書けないわけだが、社会との齟齬をおこし
てしまうような狂気はやはり受け入れられない。バランスを保ちながら狂う、
そんなこと出来るわけがない。

島田清次郎は、大正11年「地上」の印税で世界一周旅行に出かけ、この
頃から自分を天才だと信じ込み、「精神世界の帝王」であると思い込む
ようになり、元々尊大だった態度に拍車がかかり、社会とのそりが合わな
くなっていく、12年には婦女暴行事件をおこし人気が失墜、経済的な困
窮とあいまって、若年性の痴呆症(現在の認知症と同じ物であるかは、
判らない)を発病。精神病院に収容され、昭和5年の明日、4月29日結
核のため東京府下西巣鴨庚申塚保養所で死去する。
享年41歳。
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by shanshando | 2006-04-28 16:09 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 04月 27日

古本屋の掃苔帖 第二百三十二回 ベニート・ムッソリーニ

日本では岸の孫が首相になりそうで、とても気持ち悪いが
イタリアでもムッソリーニの孫娘が右翼政党を立ち上げて
さまざまな物議を醸しているようである。

ムッソリーニの語録に 「人々は自由に飽き飽きしていると
いうのが真実である。」という言葉があるが、本当にそう
かもしれない。全体主義をうちたてるのは強力な指導者よ
り、物を考え、判断することを放棄した大衆なのだ。

ムッソリーニは元々父親の代からの社会主義者だったが、
第一次大戦のイタリア参戦を支持し、以降全体主義に転じ
た。というより世界ではじめてファシズムを国是にしたの
がムッソリーニである。
ファッショ・イタリアは立憲君主制を維持しつつファシズム
体制をしいており、その点で当時の日本と状況は似ているが、
どうやらそれが彼がヒットラーほどの強権を持てなかった理
由であるような気がする。

ギリシャへの侵攻の失敗、連合軍の参戦をうけ、国民は離反
し、1943年7月に失脚と同時に逮捕された彼は、ヒットラー
の命を受けたナチス親衛隊に救出され北イタリアにサロー政
権を樹立するが、1945年の明日4月28日連合国軍の侵攻を逃
れるためにスイスに脱出しようとして、コモ湖のほとりでパル
チザンに捕まり愛人とともに銃殺され、遺体をミラノの広場に
晒された。
享年61歳
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by shanshando | 2006-04-27 14:38 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 04月 25日

古本屋の掃苔帖 第二百三十一回 植芝盛平

偶然というべきか、明日4月26日は20世紀の日本武道を代表する
二人のカリスマの命日にあたる。一人は合気道開祖 植芝盛平であ
り、もう一人は極真カラテの大山倍達である。
二人とも興味深い人物であるが、今年はとりあえず年代順に植芝を
とりあげてみる。

植芝盛平は南方熊楠と同じ紀州田辺の人である。
その面積の多くが山岳に覆われている紀州には先住民族の血統が
強く残されているのだろうか?熊楠も盛平も比較的のっぺりとした顔
立ちの多い関西人には珍しくアイヌ民族や沖縄の人の顔に通じる当
世風に云うなら「濃い」顔立ちをしている。
盛平は10代の頃、熊楠のやっていた神社の合祀反対運動に参加
している。神話の土地でもあり、先ほども述べたように山岳に覆われ
たこの土地では、人間の行動に神秘的なインスピレーションが影響
するところが多いようである。盛平は30代で大本教に入信しており、
彼の開いた合気道はスポーツというよりは、むしろ宗教に近い。
考えてみれば、スポーツという我々が慣れ親しんだ概念は、西洋か
らの輸入品で、現在のウィンタースポーツの多くの種目のように遊戯
がスポーツに発展するケースは古来日本ではなかったのではないだ
ろうか?
体技の修養の目的に神秘的なものを置く合気道のような文化が外国
にも存在するのかどうかは知らないが、少なくとも豊かさに酔う現代日
本で受け入れられないだろうと思っていたが、意外とそうでもないらしく
国内外をあわせて少なくない人口がこの武道に研鑽しているらしい、
世相がこの武道が確立された20世紀初頭と通じているのかもしれな
い。

若い頃は、出口王仁三郎の満州進出の夢に従ったり、海軍に太い人
脈を持つなどして野心的だった植芝盛平は昭和17年腸を患い、茨城
県岩間町に隠棲、敗戦を経てもっぱら合気道の普及のみに専心する
ようになり、その演武も軽く相手に触れるだけで大きな相手を投げ飛
ばすような、客観的には八百長と取れなくもない円熟みを持ってきて
(実際触れられただけで立っていられなくなったという)、海外への普及
なども果たし、1969年の明日4月26日肝臓癌のため没する。
享年86歳。
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by shanshando | 2006-04-25 17:27 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 04月 23日

棚はなにかを考えている

2006年4月23日日曜日 くもりのち雨

どうにもまだ冬の気分をひきずっているのは、
4月も終わりだというのに今日みたいな寒い日が、
たびたびあるからだと思うのです。
部屋で飲む紅茶がおいしいのはいいのだけど。
おげんきですか。

お天気がよくないわりには、たくさんのお客様が
いらっしゃいました。ありがとうございます。
『散歩の達人』効果でしょうか。
現在発売されている『散歩の達人』5月号の
吉祥寺三鷹特集で、岡崎堂主人岡崎武志さんが、
上々堂を紹介してくださっています。
こうして見ると、吉祥寺も三鷹も、まだまだ
知らないお店がたくさんあるのだなあ。
特集ではないけれど、1989年と現在の表参道を
パノラマ写真でくらべている記事もよかった。
雑誌は特集がまず目につくけれど、特集以外の
記事でピン、とくるのがあることが、けっこう
大事だと思うのです。
これは買おうっと。

この散達をわたしがはじめに見たのは、先週末に行った
千駄木の「往来堂書店」でだったのですが、
不忍ブックストリート、うーん、いいですね。
書店も古書店も、手抜きしようと思えばどこまでも
手抜きができてしまう商売だと思うのだけど、
棚のすみ、本のかどまで、店員さんの思いが
ゆきとどいている。
本棚って、さわるひとの人格や生き方が如実に
反映されるから、棚をつくる立場としては、
実はものすごくこわい。
不忍ブックストリートにあるどの書店も、
手に取るお客様のことを考えながら、きちんと
その店独自の思想が棚にあらわれていました。

いよいよ今週末ですね。不忍ブックストリートの
一箱古本市。今日は古書モクロー店主、
ナンダロウアヤシゲさんがご来店され、
不忍ブックストリートMAP、補充していただきました!
空の下で見る古本もいいものです。
週末は谷根千へ。
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by shanshando | 2006-04-23 20:34
2006年 04月 22日

古本屋の掃苔帖 第二百三十回 ジェームズ・アール・レイ

1968年4月4日清掃作業員のストを支援するためテネシー州
メンフィスを訪れていたマーチン・ルーサー・キングは、モーテル
のバルコニーで銃殺された。犯人は、現場に残された拳銃の指
紋から前科者で指名手配中のジェームズ・アール・レイであると
され、逮捕された彼は懲役99年を宣告され、服役した。
写真を見ると確かに絵に描いたような、悪人ヅラである。
悪いがこの顔だと、なんにもしてなくても逮捕されそうである。
犯行の動機は当時、元々本人が人種差別論者であるところへ、
金欲しさが加わり、暗殺を請け負ったとされていた。
ところが、1993年12月には別の人物が訴追免除を条件に真犯
人として名乗りをあげたのである。これはマフィアに関係していた
男で実行犯ではなく金を払って殺人を依頼しており、彼自身も別
の人間から依頼を受けていた。
話がややこしいが、早い話がジェームズ・アール・レイはキングは
殺してなかったのである。
彼が宣告された99年の刑は、キング暗殺の分だけではなかった
わけで、事件から25年経っていたこの時点でその他の罪に対する
刑をどのくらい償った事になっていたかはわからないが、この93年
の後も彼は依然刑務所に居て、その刑務所でキングの長男デクス
ター・キングと会見、「私は貴方の父親を撃っていない」と述べ、デク
スターも「貴方を信じます」と応えている。

さて、この話は私がさまざまなサイトから収集した情報であるが、わ
からない点が多々ある。
まず、逮捕された当初彼は罪を認めたのだろうか?だとすれば何故?
彼は依頼者を誰だと言っていたのか?
拳銃に残っていた指紋は、何故ついていたのか?
警察かFBIか知らないが捜査当局は真剣に事件を調査したのか?
本当は、警察やFBIが犯人なんじゃないか?などである。

キング牧師が殺されて38年、アメリカの人種差別はブッシュ政権下
ますますあからさまに酷くなっていると言う。さきの大統領選挙では
ブッシュ陣営による黒人市民への選挙妨害、投票用紙の投棄など
が行われた。そうして、そんなことをしておきながら昨年亡くなった
アメリカ公民権運動の母ローザ・パークス氏の葬儀にはのうのうと参
列しているのだあの猿は!
昨日の新聞には、胡錦涛と握手をしている猿が出ていたが、人権侵
害の二大帝国が手を組んでこれから世界はどうなるのだろう?

デクスター・キングとの会見後の1998年の明日4月23日、ジェーム
ス・アール・レイは69歳で死去している。死因は腎臓病と思われる。
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by shanshando | 2006-04-22 15:01 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 04月 21日

古本屋の掃苔帖 第二百二十九回 大倉喜八郎

昨年までは若者を中心にカリスマ的な人気を博していたホリエモン
氏も今では、すっかり泥をかぶった形になっている。あれはやはり
警察官僚出身の亀井静香ちゃんに逆らったせいだろうか?通常の
犯罪捜査では極力仕事をするまいとする、警察が実に手早いお仕
事振りである。

昔から「汚く稼いで、綺麗に使え」という言葉があるくらいで、金
儲けというのは汚いことをするのが当たり前なのである。西武の汚
さも有名だが、三井三菱住友など旧財閥の非道さは、殆ど人類の敵
とでも呼びたくなるほどである。今、銀行のATM周辺には必ず「不
審な人物に注意を」などと書いているが、誰が不審だといって銀行
ほど不審なものはない。

とにかく金持ち、中でも一代で財を成したなどという立志伝中の人物
は必ずといっていいほど悪い事をしている。今日の主人公大倉喜八
郎は帝国ホテルをはじめ、大成建設やホテルオークラなどを創った
大倉財閥の創設者であるが、新潟県新発田の田舎大尽のせがれに
過ぎなかった彼が政商といってもいい立場までのしあがったのは、幕
末の動乱にあたって武器を商ったことに始まっている。
それも只の売り方ではない。初め幕軍と取引していたのが、形勢が
変わってくると官軍にも売るようになり、ついには官軍の優勢を見て
取って官軍専門になっている。まぁ悪く言えば蝙蝠野郎、良く言えば
見上げた商人魂である。
「死の商人」などという言われ方で嫌われたというが、それこそ勝て
ば官軍。銭さえ握れば決して悪く扱われないのが日本という社会で、
資力を蓄えてからは口を拭ってホテル業などをオツにこなしたり、芸
術家のパトロンになったりしている。汚く稼いで綺麗に使ったわけだ。

考えてみれば殺し合いをやりたい奴らに鉄砲渡してやって煽るのは、
公害の垂れ流しや阿片の取引などで不特定多数の被害者をだした他の
財閥に比べれば罪は軽いかもしれない。

ホリエモン君がどこまでの事を実際やったかは知らないが、粉飾決算
ぐらいは上場企業の殆どがやっているだろう。今はホリエモン叩きに
廻っているマスコミも彼を攻められた義理ではない。雑誌の売り上げ
部数など水増しが当たり前ではないか。嘘は社会の潤滑油なのだ。
ホリエモン君の間違いは権力者を見極め違ったことだ。小泉改革など
と言ってもまだまだこの国は役人とつるんでいる政治家のものなのだ。

明治という、日本人の多くが新しい価値観についていこうと必死だった
時代に、結局金を握ったものが勝ちという永久不変の真理に身を殉じ、
金のみか一流文化人の名声まで欲しいままにした大倉喜八郎は昭和3年
の明日、4月22日91歳の人生を閉じた。
やっぱり悪いやつほど長生きするのだ。
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by shanshando | 2006-04-21 16:31 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 04月 20日

古本屋の掃苔帖 第二百二十八回 マーク・トウェイン

マーク・トウェインことサミュエル・ラングホーン・クレメンズは
1835年、法律家の父の第6子としてミズリー洲のフロリダという
小村に生まれた。この村は彼自身が生まれることによって「人口が
1%増えた」というから、精々人口100人程度の村だったというこ
とになる。
彼が4歳の時に一家は、それより少し大きな(人口1,000人程度の)
ハンニバルという町に移住しており、この町が彼の代表作「トム・
ソーヤの冒険」の舞台になっている。
父ジョン・マーシャルは、彼が12歳の時に亡くなり、彼は13歳から
町の新聞社で植字工見習いとして働いている。
16歳、兄のオリオンがおこした新聞社に移り、ここで初めて初めて
新聞記事を書いていて、30歳代半ばくらいまで主にそれが彼の職業
となる。
31歳の時、ニューヨークのサタデイ・プレス誌に掲載された「ジム・
スマイリーと彼の跳ね蛙」が出世作となり、やがて全米的な知名度を
持つ作家となる。「トム・ソーヤの冒険」を書いたのは41歳の時であ
る。

彼のユーモアの源泉になっているのは反骨精神であり。ルーズベルト
が行ったフィリッピンの主権をめぐる米西戦争の実態を知ってからは
明確に反帝国主義を掲げていて、このため現代にもし彼が生きていれ
ばブッシュのイラク政策を攻撃したことは、間違いないだろうと言わ
れている。

彼の警句をいくつか揚げてみる。

「多数派は常に間違っている。自分が多数派にまわったと知ったら、
 それは必ず行いを改めるか、一息入れて反省する時だ。」

「わが国には、言葉では言い表せぬほど尊い宝物が三つある。それは、
 言論の自由と良心の自由とその両者を決して使おうとしない慎重さだ。」

「何事にも訓練が大切だ。桃も昔は苦いアーモンドだった。カリフラワ
 ーも大学教育を受けたキャベツに過ぎない。」

「生まれた時が八十で、それからだんだん十八になっていくのだったら、
 人生は果てしなく楽しいことだろう。」

父の早逝やそれ以前からの貧窮にも関わらず、豊かな少年時代を送った
マーク・トウェインは、自分の得た宝物を文学と云う形で後世の子供たち
に遺し、1910年の明日4月21日狭心症により他界した。
享年75歳。
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by shanshando | 2006-04-20 16:11 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 04月 18日

古本屋の掃苔帖 第二百二十七回 二代目桂枝雀

桂枝雀のあの独特の芸風は、矯正しがたい兵庫訛りを逆手に
とる為に構築された。
東京の場合だと、宮城・福島や茨城・千葉・埼玉・静岡あたりの
近県の訛りは、東京訛りと近い要素がふくまれるだけにかえって
直しづらいとされるが、関西だと大阪に隣接する兵庫の訛りは
矯正しにくいとされている。
考えてみれば、これは一種の地域差別みたいなものかもしれな
い、京都弁を大阪弁に直せという話は聞いた事がないのだ。
ともかく、兵庫出身の枝雀の言葉は大阪弁に近いだけに、誤差
を修正しにくく古典落語の演者としてはあきらかなハンディキャ
ップを負っていた。
若い頃この壁にぶつかった彼は、東京の落語家古今亭円菊と
桂文生の話術にヒントを得て、それを突き破ったと聞く。
円菊は静岡の、文生は宮城の出身なのだ。
寄席でこの二人の芸に触れたことがある人にはわかっていただ
けると思うが、両者とも揺れるような不思議な喋り方をする。訛り
を逆手に取るため発明した話術なのだ。
二人を参考にし、自分なりの落語言葉を開発した枝雀はしかし、
言葉の揺れを身体にまで及ぼし、アクションをオーバーにする事で
二人よりも更に斬新で強烈な芸風を築いた。

1980年代頃からの彼の人気はすごいもので、人気番組「枝雀
寄席」は深夜の時間帯とは云え、彼の落語を聞く目的だけの為
に構成された番組で、このような事はテレビ創生以来他の落語
家では聞いたことがない。まさに彼は上方落語の破壊的再生者
だったのだ。
上京した関西人が、東京落語に接する時必ず思うのは、東京の
落語家がどんなに面白くても枝雀には適わないということだった。
面白くて面白くて、笑い過ぎて呼吸困難になることが私など度々
だった。そうして笑いながら、その面白さが一種の狂気の産物で
あることも又感じていた。

1999年自殺未遂の末、心不全で他界したこの天才はクソがつ
くほどの真面目人間で、理屈屋で、それゆえあそこまでの至芸を
身につけながら自分を許していなかった。自分は師匠から受け継
いだ芸をマンガにして台無しにしているというのだ。
そんなアホな、上方落語は掛け小屋で発展した段階から、外を歩
く人を呼び入れる為のオーバーアクションや奇声を発する事が多
かったと聞く、ならば枝雀の芸こそ上方落語の王道ではないか?
また、言葉は時代と共に変わるのが当たり前、米朝にしたって本
当に江戸時代の船場で話されていた言葉なんて喋れはしまい。
なんにも死ぬ事はないじゃないかと思うのだが、それは凡夫の考え
であるらしい。
桂枝雀の死は芥川龍之介の死とともに、天才にしかわからない悩
みによるものだった。

二代目桂枝雀は1999年の明日4月19日に死んでいる。
享年59歳。ああ枝雀が聞きたい。
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by shanshando | 2006-04-18 18:03 | ■古本屋の掃苔帖