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2006年 06月 30日

古本屋の掃苔帖 第二百六十八回 萩原葉子

去年の6月中旬のある日、わたしは新宿二丁目のバーのマスターで
俳人でもあった白川正道さん主催の森茉莉を偲ぶ集い「マリア忌」に
参加するため、世田谷の森茉莉ゆかりの喫茶店「邪宗門」にいた。
当日の参加者は生前の森茉莉の言わばナイトを務めた白川さんなど
の男性たちや、弟の森類さんの息女で伯母さんに似ているとされる五
百(いお)さんなど森茉莉ゆかりの人々と、老若男女のファンの人たち。
生前、森茉莉が執筆をしていたといわれる店内で、それぞれが想いや
思い出を語るという、ごく大人な会であった。

生前の森茉莉と交友が深かった萩原葉子さんも参加が予定されている
と、前もって聞かされていた。
私は20代のころダンスの会場でなんどか萩原さんをお見かけしており、
当時すでに60代なかばでいられたはずだが、さすがにダンサーらしい
綺麗な背筋で、その当時すでにちょっと知遇を得ていた矢川澄子さんな
どとは、また違った雰囲気をもった人だなと感心したものだったので、そ
れからさらに20年ちかく経った姿を拝見するのを楽しみにしていた。とい
うと何だか意地の悪そうな話に聞こえるかもしれないが、事実私の見てき
た経験に沿って言うと、ダンスのレッスンを欠かさず日課にしている女性
は、まるで魔術でも使っているかのように老けないのだ。
白川さんから萩原さんの参加予定を聞かされた時、80代なかばになって
もし未だ萩原さんがレッスンを続けていられるとしたら、如何なる佇まいを
されているだろう?加齢によって肉の削がれた肢体が、見えない糸でリフト
され、毅然と立っている事を想像して私は「人の肉体は、十代の終わりぐら
いを頂点にその造形美の極みに至るというけれど、もし80代にして毅然と
立てる身体をもてたとしたら。その美は比べようもないぐらいなのではない
か?」などと妄想したりした。結局、萩原さんは来られなかったのであるが。

「邪宗門」で我々が着席した頃に、萩原さん自身から電話が入り、体調不
良のため出席できずとのこと。
外はかなりの暑さで、これではなるほど84歳の高齢者が外出するのは難
しいだろうと納得をした。それから20日ばかり後の7月2日、その前日に
萩原さんが他界されたという報にふれた。来年のマリア忌ではお会いでき
るかと密かに愉しみにしていたのだが、その後会の主催をされていた白川
さん自身も急逝され、二度と会そのものが開かれることもないのだろうか?

30代から山岸外史主宰の「青い花」で「父・朔太郎の思い出」を執筆しはじ
め、46歳の時三好達治を描いた「天上の花」で田村俊子賞と新潮社文学
賞を贈られ、「蕁麻の家」などで文名を得た萩原葉子はダンスに対しても
変わらぬ情熱を持ちつづけた人である。ダンスはそれを必要とする人にと
って生きることそのものなのだ。

明日、7月1日は萩原葉子さんの一年目の命日にあたる。
享年84歳。
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by shanshando | 2006-06-30 15:00 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 06月 29日

古本屋の掃苔帖 第二百六十七回 金子光晴 

「でも私、今の西荻大好きですよ。」
先日、MOEの取材で興居島屋に来店したイラストレーターの
杉浦さやかさんはそう云った。
興居島屋を開店した1995年からこっち西荻の町は随分変わっ
た。なんだか女性向けの店が増えて、おじさんの居場所がなく
なったように思う。と私が言ったからだが、それは決して、だ
から今の西荻が嫌いという意味ではなく。なにしろ私は永六輔
ではないけれど「男のおばさん」を自認しているくらいで、女
性が好きそうな店は私も好きなのだし……。
ただ、言いたかったのは西荻にかぎらず、中央線の町と云うの
は昔はおっさん、あんちゃん、じじいを対象にした味のある店
が沢山あって、それらが醸し出す雰囲気が町のメインカラーに
なっていた。今の清潔でお洒落になりつつある町も好きだけど
昔の猥雑で怪し気な町も懐かしいということだったのだ。
考えてみればMOEの取材でそんなこといっても仕方なかったけど。

吉祥寺に今もあるもつ焼き屋「伊勢屋」、あれこそまさに私が懐
かしがる「男の町」の象徴的な店である。駅の北側に今も少し残
っている飲み屋小路、あれも私が20代の頃にはアーケードを挟ん
で逆側にも確か広がっていて、トンカツ定食を頼むとあきれるほ
ど高々とキャベツを盛りつけてくれる食堂などあって、貧乏なく
せに食欲旺盛な私はソースをたっぷりかけたそのキャベツだけで
二膳目のどんぶり飯をたいらげたものだ。あの頃、吉祥寺は男の
いや「野郎の町」だった。
私がほっつき歩いていたその頃、すでに金子光晴はいない。
更に十年ちかく昔、1975年に他界しているのだ。
いつも着流しの着物姿でステッキをついて吉祥寺の町を歩いてい
たと聞くが、全集の第十五巻の月報に寄せられた子息森乾氏の文
章によると、四・五本あったはずのそのステッキが死後一本も見
つからなかったそうだ。あの世での散歩に不自由しないように、
あらかじめ冥府に送り届けたわけでもあるまいが。

金子光晴には猥雑な「男の町」が似合う、今の吉祥寺なんぞきっ
と嫌いだろうというのは当方の勝手な思い込みで、じつは案外
今生きていたら、若い女性などに混じっておしゃれなカフェで
お茶などしているかもしれない。
明日6月30日は31年まえに気管支喘息による急性心不全で亡く
なった金子光晴の命日にあたる。
享年81歳
吉祥寺のアーケード街にある古書店さかえ書房さんの看板文字
は金子光晴が書いたものとして有名である。

ちなみに上々堂では、金子光晴全集全15巻を18,000円で販売中、
shanshando@aol.comにご注文ください。ネット販売商品ではな
いので別途送料をいただくことになりますが、お買い得な値段だ
と思います。
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by shanshando | 2006-06-29 15:31 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 06月 27日

古本屋の掃苔帖 第二百六十六回 松本サリンで殺された人々

オウム真理教の信者たちが、全くデザイン的なセンスのないコス
チュームで、東京の随所に出没していた時。おそらく大部分の人
達は、個の判断・思考力を奪うカルト集団に恐ろしさ、気持ち悪さ
を感じていただろう。
オウムの用いた洗脳といわれる教化の手段は、古来いろんな宗
教家や企業家、政治家、軍人が用いた手法で、特に彼らの発明
だったわけではない。
例えば大日本帝国の軍国少年の育成にも同様の方法が使われ
たし、卑近な例ではBOOKOFFなどの店員用のマニュアルなど
がそうである。
大声で同じ言葉を繰り返し叫ばせる、仕事への対応のパターンは
マニュアルの枠をはみ出させないようにさせる。そうして集団の一
部としての個という意識を高めさせ、集団あっての個であると思い
込ませる。
事実そうしたほうが集団としての能率は飛躍的にあがる事は、BO
OKOFFでもオウム真理教でも証明されている。

BOOKOFFは合法的な営利企業であり、オウム真理教は結果的
に明白な犯罪集団であったわけだから、それを同様に語るのはおか
しいと思う人がいるかもしれないが、その見方自体が集団のほうが
個人に優先するという思想だと思う。

問題は、個としての判断力や思想を放棄して、集団の意志に身を委
ねる事を心地よしとする人間が多くなってしまったといことだろう。
みんなと同じ事をしていれば、自分が個別に評価される事ないから
楽だ。という思想が「いじめ」の問題につながり、その反射として「ひき
こもり」なども生んでいるのは明白である。

子供の本を扱っていると、親達が自分の子供をマニュアルに沿って
育てようとしているのがよく判る。お店にはいった時の挨拶やマナー
など一人の母親が言うことは、必ず他の母親も言う。子供がうまく
出来ないとやり直しをさせ、叱る。叱り方がつい激しくなり子供が萎縮
すると、「何故できないの?」という言葉で、無意識に子供に失格の烙
印を押す。
はっきり言って、ジャリタレとして芸能プロにでも売り飛ばそうという下
心でもないかぎり、そんな躾けは逆効果もいいところ。
おそらく有名幼稚園のお受験本でも読んでそうするんだろうけれど、そ
んなもの教育でもなんでもない。
子供は感覚の森のなかに立っている。言語的思考によって構築された
大人の論理でその森を塗りつぶす前に、自分達が子供の感受性に近づ
いてみるべきではないか?
そうして自分の感性や思考に自信を持てる子供を育てない限り、勉強は
出来てもオウムのようなカルト集団に取り込まれる弱さを持った人間が
これからも増産されるだけである。
愛国心教育を推し進める国家にはそのほうが都合がいいのかもしれない
が。

12年前の今日、オウム真理教というプチ国家によって長野県の松本市の
住宅街に散布されたサリンによって7人の人命が失われた。
明日、6月28日はその中の数人の方達の命日にあたる。
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by shanshando | 2006-06-27 15:29 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 06月 25日

背表紙と耳をすます

2006年6月25日日曜日 くもり時々雨

昨晩、胡瓜を2本、茗荷と大葉と生姜といっしょに浅く漬けてみました。
今日、白米といっしょに食べようと楽しみにして、ふだんより早く床に
ついたのですが、起きたらなぜか11時でした。
あわてて身支度をすませ、三鷹へやって来た次第。こころが浅漬け(意味不明)。
みなさま、いかがお過ごしですか。

昨日はいつも閉まっている古本屋が開いているのを発見し、狂喜して
中に入りました。が、入ってみてなんだか空気が重苦しい…なるほど、
音がしないのです。

さて、本屋に音楽は必要か、否か。

有線放送でがちゃがちゃ流行歌、はどうかと思いますが、個人的には
多少の音がほしい。
授業や試験など、「ひとがいるのに沈黙」という状況で異常に緊張した
多感な頃を思い出してしまいます。てきめんに御不浄が恋しくもなります。

そして、わたしが日曜の上々堂で、ついかけてしまうのが大貫妙子です。
音楽を「音」より、どうしても「歌」あるいは「詩」としてとらえようと
してしまうわたしの耳にやわらかくなじむ言葉と、静寂を邪魔しない
おだやかな旋律がいいのです。
先日ご来店いただいた、岡崎堂ご主人様もお好きと聞き、ますます
聞きたくなってしまった。以前からのファン、というわけではないので
まだ聞いていない歌がたくさんあるのです。

さて、ただいまかけているアルバムから、今日にぴったりの詩を。
雨まじりではありますが、どうかすてきな日曜日になりますよう!



鏡の前のわたしは
まだ同じことを考えている
窓の外は曇り空
白とグレイの色彩に
どんな色をのせたら楽しくなるだろう
それを わたしの一日にしよう


大貫妙子『One Fine Day』所収「The Blank Paper」より

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by shanshando | 2006-06-25 17:20
2006年 06月 24日

古本屋の掃苔帖 第二百六十五回 宮城道雄

昔々の国鉄時代、貧乏青年たちにとって東海道線を深夜走る「銀河」は
ありがたい存在だった。
特急料金がいらなくて、例えば京都から東京間なら確か深夜9時代に出
発して米原から大垣まで乗り継ぎ、深夜の大垣駅で待つ事20数分、大
垣始発の「銀河」に運良く席が確保できれば、あとは多少の窮屈を忍ぶだ
けで、朝には東京駅に着いた。
京都で学生時代を過ごした私は何度となくこの列車を利用し、夜の闇の底
に覆われた車窓のむこうに点在する見知らぬ人の灯火に旅の情緒をくすぐ
られたものだ。
行きの銀河で乗り合わせた女学生と帰りの銀河でまた偶然乗合わし、これ
ぞ天の配剤とばかりに、調子にのってナンパして見事ふられたこともあった
っけ。

JRになった今も「銀河」はあるが、寝台車両のみでお値段はあまり貧乏青
年向きではない。
今は、みんな「青春18キップ」などを利用して、昼間乗り継いで旅するそう
だが、やはり私は若い不安定な情緒をあずけたあの「夜行急行銀河」が恋
しい。

昭和31年6月25日、この「銀河」から転落死した宮城道雄を偲び、その2
周忌を前に事故のあった刈谷駅を訪れた内田百閒は、当時の刈谷駅長に
駅内で宮城の曲を放送することを提案し、更に国鉄本社に掛け合い実現さ
せた。現在はどの駅も発着の合図代わりにメロディーを流すようになったが、
これはその先駆けであったといえるかもしれない。
この間のいきさつは内田百閒「東海道刈谷駅」で読むことが出来る。

古本屋をやっていると妙な因縁めいた出来事に遭うことがしばしばだが、昨日
未だ今日の掃苔帖のテーマの下調べもしない午前中、私は旧国鉄にお勤め
だった方のご遺族から百閒の「阿呆列車」等でおなじみのヒマラヤ山系君こと
平山三郎氏あての献呈本を買わせていただき、興居島屋を開けに西荻に来た
ところでやはり以前本を御割愛いただいた「摩阿陀会」の世話人K氏のご遺族
にお会いし、これは近々百閒関係のなにかと縁があるかもと思っていたところ
だったのだ。まぁこじ付けかもしれませんが。

名曲「春の海」の作曲者である宮城道雄は、幼い頃失明しており、百閒によれば
ごく勘が悪い盲人であったそうだが、その一期となった事故も昇降口を便所と間
違ったのではないかという説があるそうだが、いくらなんでも信じがたい話である。
信じがたいとなれば自殺?それもなんだか信じがたい。
明日6月25日は宮城道雄の50年目の命日にあたる。
享年62歳
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by shanshando | 2006-06-24 14:59 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 06月 23日

古本屋の掃苔帖 第二百六十四回 美空ひばり

「演歌は日本のこころ」でしょうか?
その発生はさまざまな見解があるでしょうが、せいぜいが19世紀末。
ようよう、百年経ったか経たないかの歌謡が「日本のこころ」だなん
て、言っていいのでしょうか?
モチロンいいんです!
その、発生のみならず、発展にも少なからぬ朝鮮民族やその文化の
影響が強いと見られるがそれでもいいんです。
「伝統」だとか、「こころ」というのはその時代の要請にあわせて捏造さ
れるもので、それを「皇国史観」とか「愛国心教育」みたいに国家がや
っちゃうのは危険以外のなにものでもないけど、人々の中から自然に
起こってくるのは全然OK!

「日の丸」とか「君が代」なんて、カッコイイとも素晴らしいとも思ったこ
とがないので、「あれを日本のこころだと思えっ!」なんて言われても、
というか強制されるとかえって「絶対っ嫌じゃボケッ!」とか言い返すけ
ど。美空ひばりの唄は大好きなので「ひばりちゃんは演歌の女王!」
って言われると「ほんまやなぁ」と思い。「演歌は日本人のこころ!」っ
て言われると「賛成!パチパチパチ!」と拍手をするのだ。

美空ひばりの登場で日本の大衆歌謡が劇的に変わったと書かれてい
る中村とうようの「ポピュラー音楽の20世紀」のことは淡谷のりこの日
に書いたけど、美空ひばりがあれだけの業績を残せたのは、やはりそ
の登場が戦後であったこともあるのではないか?戦前戦中と歌謡曲は
さんざん軍国主義に利用された。また言うけど「歌は世につれるけど、
世は歌につれ」ないのだ。美空ひばりは、戦後という弛緩期に登場した
おかげで戦中戦前の歌手のように軍国歌謡など歌わされることもなく、
のびのびと歌を表現できたのだろう。

芸能やスポーツが大衆洗脳の道具にされやすいのは、ナチスが行った
ベルリンオリンピックの例を出すまでもない。
この間NHKの「愛国心」に関する討論で芳賀徹が、「ワールドカップで
若者が日の丸を振っているけど、あれは決して偏狭はナショナリズムに
発展しない」と言い切っていたが。それは全く逆で、ああいう無意識で他
愛ないノリが為政者によって利用されると偏狭なナショナリズムに発展
するのだ。私は、あのワールドカップの馬鹿騒ぎを観ると日露戦争勝利
の提灯行列がこんなふうだったんだろうと思う。

北朝鮮の問題なんて、アメリカやロシアや中国がこの地域での危機感
を盛り上げることによる軍需利益を期待せず。真剣に北朝鮮を包囲して
しまえば、金正日は一ヶ月でネをあげるだろう。金正日をいつまでものさ
ばらしているのは、大国の軍需産業なのだ。おそらくそれは日本や韓国
が破産状態になるまで続ける気だろう。その日本で次期総理候補と言わ
れる安倍は総理になったら絶対に徴兵制を言い出すだろう。そして、日本
は破産状態になった上、多くの若者が戦場で死ぬのだ。まったく結構な愛
国心である。

話がズレまくっている。
明日、6月24日は1989年に間質性肺炎による呼吸不全のため亡くなった
美空ひばりの17年めの命日にあたる。
享年52歳
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by shanshando | 2006-06-23 15:50 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 06月 22日

つまの家事消費

第2回 『密着母娘 誤った母と正しいつもりの娘』
     門野晴子・門野智子 著
     (講談社・2000年)


日本においては小学校、中学校は、義務教育です。
義務。
って、だれの義務。
それは、親の義務です。
当の子どもたちは、学校へ通う権利はみんな持っていますが、
それは義務ではありません。

門野晴子さんは、
中学校には、「私服で行け、軍隊じゃないんだ。」
と、娘をやったそうです。
髪をあと5ミリ切れと教師にいわれた娘について学校に、
「娘の髪を力ずくで切らせようとするのは、レイプと同じ。」
と、抗議したそうです。

子どもを育てていると、というか、子どもに育てられている私でもあるのですが、
うっかりと、ついつい、子どものシグナルを誤摩化したり、そらしたりして、
その場をやり過ごしてしまうことが、けっこうあります。
彼女はまだ日本語は話さないのですが、たくさんのシグナルを送ってきます。
それにいちいち応えていたら、家事はいつまでたっても片付かないので、
適当に応えたり、応えなかったり。

カメラの技術は日々進歩していますが、そもそもどうして被写体を写し取ることが
できるのか、原理はわかっていないのだそうです。
それと似て、こんなときにはこんな対応をすれば、この人は泣き止む。
と、いうことで大体なんとかなっていますが、
そもそもホントのところ、何をどう感じて泣くに至ったのか、
原因は分かっていないし、これまでの応え方でこの人は満足しているのか、
分かりません。

この本は、1966年生れの門野智子さんとその母、晴子さんの
往復書簡集です。
母娘に起こった「あのとき」を、振り返ったりするのですが、ズレているのですね、
ふたりの記憶が。
この浮き上がったズレが、この本の主題であり、読みどころ。

「おかあさん」としての自分の生き方に、おおきな揺さぶりをかけられました。
滅私奉公では、いかんな、無責任だなと。
でもとにかくひとつ、決意をあらたにしました。
学校へは、行きたくなければ行かなくていい。
と、自信をもって、娘に言おう。言い続けよう。
そのために、強くなろう。

* * *

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by shanshando | 2006-06-22 18:02
2006年 06月 20日

古本屋の掃苔帖 第二百六十三回 勝新太郎

勝新の映画シリーズというと、誰しもまず挙げるのが「座頭市」だと思うが
人気の点で、例えばDVD ビデオのレンタルが多いのは実は「悪名」シリ
ーズではないか?
製作数の上では、26作ある「座頭市」に対して、16作の「悪名」はグンッと
少ないが、「座頭市」は最初の「座頭市物語」ほか精々3,4作しか面白い
のがないのに対して、「悪名シリーズ」はマンネリの筋立てとは言いながら
毎回関西のお笑い人を初めとしたゲストが、本筋から離れた言わばご馳走
として出ているのが良いし、なんと言っても脇役の田宮二郎との掛け合いが
たまらない。

大好きなシーンが幾つかある。
田宮二郎とふたりで、めし屋の親父に酌んでもらった一杯のコップの水を互
いに飲み干し「水杯」をするシーン。
偽者の「八尾の朝吉」芦屋雁ノ介が、「本物の朝吉なら、河内音頭を歌えるや
ろ」と責められ、弄ばれている座敷に飛び込んで、代わりに歌ってみせるシーン。
数え始めるとキリがないくらい好きなシーンがあるのだが、夏になると必ず思
い出して観たくなるシーンがある。
日照りの強い日に、助けた女(中村玉緒だったか?)と入った店でライスカレー
を頼むのだが、「カレー」という言葉を思い出せずに、
「あの黄色いもんが懸けてある、あれや」とかなんとか頼んで、出されたものを
グチャグチャにかき混ぜて皿を鷲づかみして、皿に口をつけてかきこむのだが、
まさに下品そのもの。あの芝居は絶対雷蔵には出来なかっただろう。

「座頭市」でもよく飯を食うシーンが出てきて、かならず汚く喰らうが、それが何
とも「いのち」を感じさせて良いのだ。
そう、映画役者としての勝新はまさに「いのち」を表現できる稀有な役者だった。
有名な座頭市の歩き方の研究、中村勘三郎の演技を盗んだとも言われるし、
土方巽の歩行を参考にしたとも聴いた事があるが。真似ることは誰にでも出来
るが、それを芸にまで高めることは至難である。殺陣のシーンで必ず映し出さ
れる市の耳や、汗のしたたるコメカミが効果的に緊迫感を伝えるのは、その前
に見せられている、歩行や立ち姿が完璧だからである。
飯を汚く食う演技などは、例えば菅原文太などもやっているが、それはただ演
じている人物の性格を表現することどまりで、勝新のような汚さの先に「いのち」
を感じさせ、観ているものの血流まであげさせるほどの効果は生まない。

まったく、勝新について語りだすとキリがない私だが、いいかげんにしておく。
明日、6月21日は咽頭癌で1997年に死んだ勝新太郎の9年目の命日にあたる。
いろんな日本人俳優が外国映画にも出る昨今だが、こんな時代がもう少し早く
来ていれば、勝新は間違いなく世界的な名優となったことだろう。
まったくパンツの中にちょっとなんか入ってたぐらいで大騒ぎする事ないじゃない
か。
享年65歳
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by shanshando | 2006-06-20 14:04 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 06月 18日

桜桃忌前日

2006年6月18日日曜日 雨


先日の雨の夜、家の前に着くと暗闇の中で何かが動いたので、
身構えて目をこらすと、かえるでした。こぶしよりひとまわり
小さいくらいの。何となくいいことがあるような気がしました。
みなさま、いかがお過ごしですか。


図書館で、太田治子『心映えの記』を借りて、借りたあとに
あ、桜桃忌、と気づく。

「幼いあなたは私にこう聞いたの。“太宰ちゃまは、美知子さまと
山崎さんとママの中でだれが一番好きだったの”その時、私はつい
あなたがかわいそうで、“ママよ”といってしまったの。それが
いけなかったの。あなたは瞳を輝かせて、とてもうれしそうだった。
“そうなの、ママが一番好きだったのね”といって、それから毎日
何度となく、同じことを繰り返し聞くようになった。私はそのたびに、
“ママよ”と答えていたの」

『心映えの記』所収「悪しき心」より


太宰の子どもを生み、太宰の恋人として一生を生きることを選んだのは
太田静子本人であり、その決断に悔いはなかったと思う。
しかし、わたしはこの台詞を読んでうちひしがれた。
「太宰の恋人」の真実は太田静子の記憶の中にしかない。
妻という肩書きもなく、心中して目の前の愛以外の現実を
断絶することもなく、その後の日常を受け入れて生きつづけるのは
当たり前だが美しいばかりではないのだ、決して。
打算を考えず、自分に、そして愛した相手に同じくらいまっすぐに
向かうことの、その裏側にあるいたみを見てしまった、と思った。
それでも太田静子を支えたのは、太宰のいた風景であり、太宰の娘への
愛だっただろう。
人の一生の明るさと暗さが、この台詞に凝縮されていると思う。
その密度に圧倒された。
そしてもう少し、太田静子という人について知りたいと思った。
桜桃忌前日。
太宰は今どのあたりを歩いているだろう。

「私は、あの時にはっきりと、太宰ちゃまが一番好きだったのは、
奥さまの美知子さまよというべきだった。それを、いつもあなたのせがむ
とおりの答えをしていたから、大人になったあなたが今、誰よりも自分を
一番美しいと私にいわせなければ気がすまなくなったのよ。それを
要求されるたびに、あの時わたしはまちがっていたと思うの」

※引用、上に同


上々堂店内、入り口はいって右に桜桃忌コーナー作りました。
本日、太宰関係の問い合わせ、多かったです。
明日の桜桃忌を前に、はやくも何冊か売れてしまった。
朝にはもう少し補充がある、かもしれません。
遠来のお客様、ご近所のお客様、みなさまのご来店を
お待ちしています。
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by shanshando | 2006-06-18 20:19
2006年 06月 17日

古本屋の掃苔帖 第二百六十二回 桜桃忌(の前々日)

今日はちょっと変則的ですが、あさっての事を書きます。

「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、
鴎外の墓がこんな東京府下の三鷹町にあるのか、私
にはわからない。けれども、ここの墓所は清潔で、鴎
外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗
な墓地の片隅に埋められたら……」太宰治「花吹雪」より

第一回の桜桃忌が行われたのは、太宰が死亡した翌年
昭和24年の6月19日。この日は入水した太宰の死骸が
見つかった日で、実際の命日は6月13日という事になっ
ている。(誰かが看取ったわけではないので、予想だろう
と思う)
たまたま死骸が見つかった日が、太宰の39歳の誕生日
であったため、知人や友人達の主宰で太宰の遺族を招
いて、桜桃をつまみに酒を酌み交わす会を催したのが始
まりであるが、現在ではご存知の通り、全国から集まる
太宰ファンの墓参が多く、当日墓地には長蛇の列ができる。
目立った催しものの少ない三鷹の商店街にとっては、年
に一度の大イベントのはずだが、さすがに命日ではないも
のの忌日に馬鹿騒ぎをするわけにもいかず。参列する人
の群れも静々としている。

前に掲げた「花吹雪」の抜粋にあるとおり、禅林寺の墓所は
禅寺らしい清潔さがあり、こじんまりとしているので、やはり
文士の墓が沢山ある近隣の多摩霊園のようにゴミが散乱し
ている事もなく、心安らぐ場所であるが、法要が行われる
午後はさすがに込み合うので、静かな墓参を望まれる方に
は、午前中がお薦めである。
ちなみに上々堂は当日に限り、午前10時から開店します。
墓参の行き帰りにお立ち寄りください。
三鷹太宰の会の製作による、「太宰マップ」も帳場で差し上
げますので、それを手に禅林寺以外の太宰ゆかりの場所を
廻ってみるのも良いかもしれません。
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by shanshando | 2006-06-17 14:14 | ■古本屋の掃苔帖