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2006年 07月 30日

蜜柑のおもみ

2006年7月30日日曜日 晴れ

三鷹は夏であります。思わず閉じたまぶたに、いくえにも
いくえにも光がおおいかぶさってきて、動き出さずには
いられないまぶしさです。
汗、かいてますか。ごくん。(夏は麦茶)

『思い出トランプ』を読んだのは中学3年の夏だったと
記憶しています。講習を受けるため、よく知らない駅でバスを
待っていた。
そこに描かれている生活を、男女の機微を、そのころの私は
体験として理解してはいなかった。にもかかわらず、私は
この作品集を夢中になって読みました。少々野暮ったい姿の
大根を、すとん、と切り落としたときの切り口のような、
みずみずしくてなまなましい感じ。

とくに印象深いのが「夏蜜柑の胸」という表現で、久しぶりに
着物を着た妻が、若いころのように胸をぐっとあげて夏蜜柑の
ような胸にする、というような描写だったと思うのですが、
私はいまだに着物の女性に会うと、夏蜜柑を思い浮かべてしまう。
中学生の私には刺激的な、匂うような表現だった。

今、上々堂には向田さんを特集した古い雑誌が何冊かあります。
向田さんについて書かれた本はだいぶ読んだと思っていたのですが、
まだまだ知らない向田さんの姿が、ここにはある。
魅力的な人だなあと思います。なにしろ顔がいい。若いころも
年をとってからも、それぞれに違った存在感のある美しい顔だと
思います。

向田さんがあんなかたちでいなくなってから、今年で25年、に
なるのでしょうか。いつまでたっても人をひきつけてやまず、
そしてなぜか新しさのある向田邦子という不思議な人。
上々堂にある『向田邦子の手紙クロワッサン別冊』(昭和57年)は
1冊まるごと向田さんの特集で、とくに読み応えがあります。
命日の前にどうぞお手にとってご覧になってみてください。
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by shanshando | 2006-07-30 14:41
2006年 07月 29日

古本屋の掃苔帖 第二百八十三回 明治天皇

インターネットは、情報の蚤の市みたいで、パチものの情報も結構
あるけど、中には他のメディアでは得られないような情報もあって
なかなかに面白い。
けれども、そういうのはやはり信頼性のうえで問題が……などと言
うことを言ってると、大新聞やテレビ局にいいように振り回されるので、
情報はやはり自分で吟味できる力を持つか、あるいは全ての情報の
窓を閉じて、自分の生理感覚で得られる情報だけを頼りに生きるしか、
ないようです。

世の中靖国神社がらみで姦しい昨今ですが、本日は都内にあるもうひ
とつの大物単立神社明治神宮に関する、微妙なおはなし。

毎年、日本一の初詣客数を誇る明治神宮ですが、ここの祭神は言わず
と知れた明治天皇と昭憲皇太后。明治神宮のホームページにもちゃんと
そう書いてあります。
この祭神名が今日の話のとば口になるのですが、前もってこの情報は
竹下義朗という方のサイトから戴いた事を報告しておきます。了解を得
ていないのでリンクは張りませんが、読み終えて興味がある方は、そち
らを覗いてみてください。

さて、なぜこの祭神名が問題になるのか、昭憲皇太后は明治天皇の正
室として、この社に祀られたわけですが、普通このように夫婦ならべて
祀る場合、たとえ次の天皇が既に即位していても祭神名は「明治天皇
昭憲皇后」とされるべきなのです。ならべて書いて昭憲さんだけを皇太后
と書くと、意味としては明治帝からみて先帝の妻にあたる人という意味に
なってしまうのです。
この件について、明治神宮は祀った当時の宮内大臣が間違ったものを
大正天皇が裁可したため、天皇の裁可が下ったものは、変えられないと
しているのですが、明治天皇夫妻のように特別に大きな社が造営された
例は少ないにしても、歴史上天皇夫妻は死ねば皆神として祀られてきた
のに、他にこんな間違いをした例は見つからないそうです。
明治神宮の造営は当時の言わば国家プロジェクトなのに、「あっ!間違
ちゃった!まっいいか、もう書いちゃったし」ってそんな事あるわけがあり
ません。しかも、間違いを認識し、いろんな方面から指摘されても、頑と
して直さないというのは、何故でしょう?
竹下氏のサイトと、彼が参考にした情報の提供者、および参考図書「裏
切られた三人の天皇 明治維新の謎」 (鹿島 曻 新國民社)という本は
これは、いわゆる明治天皇から見て昭憲皇太后は本当に先帝の妻で
あったからに違いないというのです。

どういう意味だ?って思うでしょ。
つまり、結論から言うと我々が肖像などで認識している明治天皇は、維新
政府の重鎮岩倉具視の命令によって、父孝明帝と同じように伊藤博文に
殺された睦仁親王の変わりにすりかえられた別人で、後醍醐帝の末裔、
つまり南朝がわの皇子であるというわけです。
周知のように、孝明帝は徹底した鎖国論者の佐幕派、倒幕維新を狙う
岩倉以下には、目の上のタンコブだった。これがある日うまい具合に死ん
でくれて(暗殺して)、息子の睦仁をうまく丸め込もうとしたら、何せこれも
父の孝明帝に残された一粒だねとして愛育されただけあって、どうもうまく
騙されてくれない。そいじゃいいや、あれも殺しちゃって、長州に南朝の末
裔を名乗っている大室虎之祐っていうのがいるから、あれを天皇にしちゃ
えっ!そいで、睦仁の顔が知られてる京都にいつまでも置いとくとバレち
ゃうから、遷都っていうことで、江戸に連れてちゃえばワカラねぇよ!
といわけです。

昭憲皇后は、京都時代の天皇に嫁いだわけですから、大室寅之祐の明
治天皇からみれば、先帝の妻だったというわけで、だから祭神名は皇太
后にしたというわけです。昭憲皇后が子をなさなかったのも、別に身体的
な事情というわけでなく、単に明治帝との間に肉体関係がなかったからだ
という風にも言われます。

竹下氏のサイトでは、体格、体質、利き腕、筆跡、あばた、その他の比較
から、京都時代に即位した天皇睦仁と、明治以降の天皇睦仁が別人であ
ることの証明をこころみておられますが、皆さんはどうお考えでしょう?

私は、以前から明治天皇がその父親と180度違う思想をもった人物だっ
た事に、違和感を感じてました。彼がもし武田信玄のように父親に疎まれ
た子であったり、そうでなくても臣下の言うがままになる虚弱な意志の持
ち主であったとしたら、その思想的転換も理解できますが、伝えられる
明治以降の彼の性格は、まさに剛直そのもの、容易に薩長出身の新参
の臣下の意のままになったとは思えないでいましたから、この微妙な天
皇すり替え説にも一定の信憑性を感じます。

さて、この話真贋があかされる日が来るのかどうかは判りませんが、本当
だとすると気になるのは、大室寅之祐という人物が本当に南朝の末裔であ
ったかということです。ちなみにこの人物の血族に大室よねという女性があ
り、橋本龍太郎・大二郎兄弟の祖母なのだそうです。そういえば、大二郎氏
は元NHKの皇室番の記者でしたね。

女性天皇問題などで、皇室典範改定などが言われてますが、元々日本の
皇室というのは、この維新時の事件にも見られるように、時の為政者の都
合次第で柔軟になんでもありをやってきたからこそ、長続きしたわけで、天
皇制存続論者の人たちはもっと頭を柔らかくしたほうがいいのではないでし
ょうか?皇族の皆さん、特に皇太子夫妻などは動物園のパンダみたいな注
目のされかたで、本当に気の毒です。毎年、皇室や皇族に使われる多大な
予算を福祉に回したほうが、心優しい皇后陛下のお心にも沿うと思うのです
が。

明日7月30日は、1912年に59歳で死んだ謎の帝明治天皇の命日にあた
ります。右翼の皆さんは厳粛な気持ちでお参りしてください。間違っても、金
のブレスレットやペンダントちゃらちゃらいわせながら、街宣車に乗って行っ
たりしないように。
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by shanshando | 2006-07-29 16:10 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 07月 28日

古本屋の掃苔帖 第二百八十二回 フィンセント・ファン・ゴッホ

仙台への旅では、うっかり車中読む本を持っていき忘れたため、
宿泊先の本棚から、半藤一利の「清張さんと司馬さん」を譲って
いただき、夜分床の中や、帰りの車中ではそれを読んでいた。
おなじみの噛んで含めるような「です」「ます」調は、現代の活字
離れの世代に読み易く配慮されたもので、殆ど脳に波風を起こ
すことなく、旅行中の拾い読み、飛ばし読みには大変むいている。
書いている内容も、近世日本を代表する(とされる)理性の象徴と
も言うべき二作家との思い出ばなしで、言わばこれは、理性でも
って理性を語り継ぐ書である。

暑中、程よい理性の芳香にふれる事は、読書癖、思考癖のある
人間にとっては、一種の納涼になりえる。お陰で、帰ってきてから
も、読み残しを読むことで東京の熱暑をうまくかわせていると、思
いきや、今日の掃苔帖はファン・ゴッホ!それも手元にあって、と
っかかりとなりそうな本は、アントナン・アルトーの「ヴァン・ゴッホ」
しかない!
うー考えただけでも暑苦しい!
私はキチガイは嫌いじゃないけど、というのは嘘で。自分もキチガ
イだからこそ、他のキチガイとは極力付き合いたくないほうで、狂
気を理性の水面下に押し隠している狂人たちはまだ我慢できるけ
ど、むき出しの方たちとは、せめてもう少し涼しくなってからお付き
合い願いたい。

アルトーの「ヴァン・ゴッホ」はよーするにキチガイに拠る、キチガイ
の評釈で。私はこの本を読むたび思うのは、評釈しているキチガイ
とされているキチガイは、どっちがより暑苦しいだろう?ということだ。

よく日本および日本人には哲学というものがないと言われるけれど、
それは恐らく自我に対する執着の仕方が西洋と違うせいで、日本人
の自我に対する意識は、どこかあっさりしている。
文化が西洋化したというか、同化してきたせいで、自我への執着のあ
りかたも、変わることが要求されているのかもしれないけど、なんだか
やっぱり、自我まみれの精神性には抵抗がある。

この本で、アルトーが書いているのはゴッホの狂気であると同時に自
分の狂気であるけれども、どちらも非常に過剰な自意識の産物である
ことは間違いない。ただ、比較するのも変だが、ゴッホの狂気のほうが
自然に向かい合うチャンスを持った分だけ、若干涼やかで、日本人の
私としては付き合いやすい気がする。

北斎が自らを画狂人となのったり、生活上に奇矯な習慣を持っていた
ことが伝えられるが、作品からは一向に暗い内面が伝わることがない
のは、自我などという面倒くさいものを言語として認識する習慣がなか
ったせいだろう。ゴッホがもし自分の狂気から逃れたかったとしたら、
まず言語を捨て去るべきだったのだろうけど、そうしたらゴッホはゴッホ
でなくなったわけで、結局、それは、まぁどうなのだろう?

フィンセント・ファン・ゴッホは、1890年の7月27日銃で自殺をはかり、
保護された次の日は、パリから駆けつけた弟のテオに自分の芸術論
をぶち続けていたようだが、翌々日のすなわち7月29日他界した。
享年37歳。

ちなみに、永年にわたる文通でゴッホの言語を流し込まれ続けたテオ
も、同年10月発狂し翌年1月にオランダ・ユトレヒトで他界している。
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by shanshando | 2006-07-28 14:45 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 07月 27日

古本屋の掃苔帖 第二百八十一回 江戸川乱歩

23日日曜日に旅立って、仙台に行ってきました。
イヤ、仙台は侮れません、って別に侮ってたわけではないの
ですが、同じ県庁所在地といっても、私の出身県のそれとは、
規模も文化度の高さもエラい違い。
勿論、岡崎さんお勧めの「万葉堂」や「火星の庭」も尋ねて
来ました。
「火星の庭」では、店主の前野さんにもお会い出来たのです
が、実は会ってみてびっくり、同姓の私の従妹にクリソツ!
姓が同じだと顔が似る?血のつながりがあったりして!
でも、従妹は結婚後前野になったのだから、ありえないので
すが。

さて、その「火星の庭」で私が棚の随所をチェックしながら、
ウーンとか、アーンとかやる気の無いピンク映画のアフレコ
みたいな声(粒ぞろいの商品に感嘆している)をたてている
時、突然、外から入ってきたひとりの女性が「表に出ている
『黒蜥蜴』はおいくら?」と訊く声。
「ああ、麗々しく面陳にしてあったので、値段すら確かめな
かったヤツだ!」と、前野さんの返事に私も知らぬ振りをし
ながら耳をそばだてていると、八千なにがしとの答え!
ああやっぱりね、フムフム、と相変わらず素知らぬ振りでい
ると
「そう、じゃ戴くわ!ちょうど全集も完結したばかりだし。」
とのお客様の返辞。エエお客さんや!
全集を全部揃えてなおかつ、初版は初版で持っておこうとい
うのは、筋金入りの乱歩ファン、あるいは古書ファン!
そういえば、お召し物も黒いお帽子に黒いドレス!
ふーむ、全国的に苦戦が伝えられがちなブックカフェを地方都
市にいながら「火星の庭」さんが成功させている理由のひとつ
には、こういういいお客様に恵まれている事があるのかも?
よっぽど私も話しかけて、「そうですね乱歩の命日も近いから
供養にもなるかもしれませんね」なんて言おうとしたけど、何
だか気味の悪いヤツと思われて、営業妨害になってもいけない
ので、黙っていましたけど。

江戸川乱歩は1965年の明日、7月28日脳出血のため他界した。
享年71歳。
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by shanshando | 2006-07-27 16:04 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 07月 23日

いつかかえるになる日

2006年7月23日日曜日 くもり

美容や健康のために、一日2リットル水分補給、なんて
話をよく聞きますが、お腹の弱い人にとってその行為は、
苦行に近いものがある。
毎年、ビールがおいしくなるとてきめんにお腹をこわす、
学習能力のない売り子がお送りする日曜の店番日記です。
みなさまはお元気にお過ごしでしょうか。

お酒を飲んで、きらきらと光る夜のアスファルトを
はねるように帰宅すると、ドアの前にしゃがみこんで
「かれ」が待っている。わたしの姿に気づくとゆっくり
顔をあげて、

おかえり。おそかったね。

…と言っているかどうかはわかりませんが、ここのところ
わたしの部屋の前に、かならずと言っていいほど「かえる」が
いるのであります。以前の店番日記でもちらりと触れましたが、
ここのところ頻繁にやってくる。
わたしの部屋がなにか、かえる氏の好みの匂いでも発しているのか、
と思いながら、鍵をがちゃがちゃ、少し大きめに音を立てて
開けてみるけれど、かえる氏はいっこうに動きません。

かえる氏、その扉の前にいるとわたしが中に入れないのですが。

こころの中で話しかけて、ちょっと扉を動かしてみる。
扉に押されるようにずず、と少し動いたけれど、自分から
動こうとはしない。まるでぐうたらなお父さんのようだ。
困り果てて軽くジャンプしてみると、びっくりしたように
2、3歩動いたので、はさんでしまわないようにゆっくり扉を
開けて部屋にすべりこんだ。は、はさんでないですよね…

そんなスリリングな日々。

知人にそのことを話すと、それはかえるの世界に一大事が
起こったのできみに助けを求めているのではないかと
言われた。なるほど。
それ以来、部屋の前にかえる氏を見つけると、何か
メッセージを送ってくれるのではないかしら、と身構えている。
けれどもかえる氏はだいたい明後日の方向を向いていて、
少しも動かない。

かえる氏、人選ミスかもしれないです。

そうお伝えしたいのですが、お伝えしてかえる氏が来なくなるのは
さみしいので、お伝えしないことにして、がちゃがちゃ、ずずず、を
くりかえしている。昨日は比較的スムーズに動いてくれたので、思わず
「ありがとう」と声に出してしまいました。
いつか、かえる氏の言葉も聞こえるといいと思う。
話し相手くらいならなれるかもしれない。
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by shanshando | 2006-07-23 16:31
2006年 07月 22日

古本屋の掃苔帖 第二百八十回 東郷茂徳

いわゆるハル・ノートを突きつけられ、昭和天皇に開戦やむなしと
させた時の外相であり、途中東條と大東亜省開設をめぐって対立
し辞任したが、戦争末期において再び外相に就任、終戦交渉にあ
たった。

その事跡を客観的にみて、理性派といっていい政治家だが、極東
軍事裁判において、A級戦犯とされ、20年の刑期の途中に獄死、
他のA級戦犯とともに、靖国に合祀された。

鹿児島の出身で、先祖は秀吉の朝鮮出兵の折連れてこられた朝
鮮陶工であり、一族は彼の父親が維新後、東郷姓を買うまで朴姓
を名乗り、幕末までは朝鮮語を使っていたという。夫人はドイツ人
で子孫にもジャーナリストとして海外赴任している人や、外務官僚
がいるらしい。

こういう人物が、嘘でもなんでも単一民族国家を標榜し、万世一系
とかなんとか、一体だから何だっていうんだと云いたくなるような価
値観を後生大事にしていた(している?)国家の命運を左右する時
期の外相だったということは、毀誉褒貶さまざまな彼の仕事に対す
る、評価は別にしても、一人間としての興味は尽きない。
彼にとって日本とは、どういう対象だったのだろう?

彼は、獄中極東軍事裁判のありかたを批判する反面、国際社会が
法の枠組みで戦争を防止する必要を指摘し、その意味で憲法9条
がその端緒になることを望んだという。

ハル・ノートにまつわる資料等を読むと、戦争は当事国だけではなく
さまざまな国家、勢力の利害がからまって起こされることがよく判る。
今の北朝鮮の問題でも、真剣に戦争をしたがっている人間は誰もい
ないだろうと信じたいが、軍備を供給することで利益をえる勢力は実
在し、覇権を広げ自国の権益を守りたい国家も厳然とあって、本当
の問題は異常国家北朝鮮そのものよりも、それを取り囲む大国、大
勢力にあるのではないかと思わざるを得ない。

東郷茂徳は1950年の明日7月23日、動脈硬化性心疾患、及び急
性胆嚢炎の併発により現在の同愛病院で死去している。
墓所は青山霊園にあるが、先述したように靖国にも合祀されている。
死者がもし口をきけて、このA級戦犯合祀について聞かれたら、果た
してなんと答えるだろう?
享年67歳
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by shanshando | 2006-07-22 14:30 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 07月 21日

古本屋の掃苔帖 第二百七十九回 杉浦日向子

脳内リゾートという言葉が、赤瀬川原平さんの本で言われて、
未見なので、言葉の正しい意味は知らないが、私のように子供
の頃から、読み散らかしの習癖を持つものは、ある特定の作家
の著書が与えてくれる世界観を日常のリゾートにしているという
ところがある。
「日常のリゾート」って、なんかおかしいけど、要するに日々の暮
らしに疲労を感じた時に逃げ込める、書物の中のリゾートという事
である。
私にとって、たとえば昨日も書いた百閒の文章世界がそうだし、ミ
ヒャエル・エンデの世界がやはりそうで、他にも色々あるのだが、
逃げ込む頻度と言う点で一番多くお世話になっているのが、杉浦
日向子さんの漫画の世界である。

上々堂も興居島屋も、ほとんど漫画を置いていない、積極的に買
取もしていない、それは別に勿論漫画という文化を馬鹿にしている
わけではなく、あまりに目まぐるしく変わる漫画の世界についてい
けないのと、他所の本屋さんが目の色を変えて売れ線漫画の争奪
合戦をしているところに加わりたくないからであるが、個人的には
漫画は嫌いではない。(正確にいうと、時々覘く今の漫画週刊誌に
載っているような漫画は殆ど嫌いだけど、例外はあるという事です。)

話がまた横にずれたけど、とにかく杉浦さんの漫画の世界が好きで
出版されているもので読んでいないものはない。
「百日紅」や「百物語」などはもう、人とその話をしていて、目の前に
本がなくてもそれぞれの章の絵組みが目に浮かぶほどに読んだ。
「百物語」は勿論、「百日紅」などは随所に他の著者の本からの言葉
は悪いが剽窃がたくみに用いられたりするが、それも全然いやみに
ならず、むしろその原典を偶然見出した時に「杉浦さんもこの本を読
んでいたのか。」と嬉しくなったりする。

なにしろ、1980年代中期くらいからの贔屓なので、もう20年ちかく
杉浦ワールドで遊び、くつろがせていただいている事になり、その一
回一回に湯銭程度の料金を支払ったとしても、もう莫大な金額になる
と想うのだが、商売柄商品を家事消費的に借用してしまうので、元手
いらずに近い。ありがたやありがたや。

寡作な人で、晩年はもうまったく漫画は描かず、おもに考証家として
活躍されていて、それも贔屓の目には、凡百の量産可能の漫画家と
違って、出せば必ず面白い作家だから、あせらず興にまかせたもの
を、ぼちぼち描いてもらいたいと想っていた。
まさか血液の病気を抱えておられたとは知らなかった。

去年、その訃報を聞いた時はまさに耳を疑った。なんで杉浦日向子が
死ななきゃならないんだ。すでに物故した名漫画家はいくらも居て、あ
の世の漫画界が人材不足というわけでもなかろうに、そのへんの二流
漫画家を百人ばかりまとめて送っちゃうから、杉浦日向子を返せと、わ
けのわからない愚痴を云ってみたりした。

死を前にして、NHKの番組を降りて下咽頭癌の手術を受けたあと、南
太平洋クルーズに出掛けたと聞く。
まぁ一番好きな江戸には現実には行けないし、否、もう作品の中で何度
も行ったし、ちょっと方角違いもたまにはという気分だっただろうか?
否々、杉浦日向子はきっと南太平洋の向こうに時空のゆがみを見つけ、
大好きな江戸に永住するべく旅立ったと、贔屓としては想いたい。

明日、7月22日は杉浦日向子がこの世を辞してちょうど一年目になる。
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by shanshando | 2006-07-21 13:57 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 07月 20日

古本屋の掃苔帖 第二百七十八回 高橋義孝

どうも、高橋義孝は苦手である。
一般的に翻訳家の書くエッセイというものは、普段文章を
客観的にみる訓練がなされているせいか、簡潔で読み易い
ので私は好きなのだけれど、高橋義孝は何度チャレンジし
ても途中で投げ出す。
理由ははっきりしていて、どうしても内田百閒を意識して
引き比べてしまうせいだ。
高橋義孝自身の文章は、大方の翻訳家の例に漏れず、簡潔
で、頑固を売りものにしながら軽ろみを失っていないし、文
章が初出された時の時代背景、風俗というものも垣間見えて
充分に面白いはずなのだが、やはり名人百鬼園にくらべると
なんだかすべてが理に落ちている感があり、つまらなく思え
るのだ。

いくら師弟とは云え、引き比べるのはこっちの勝手で、高橋
義孝本人の与り知らぬところだと、言い切れない面もある。
高橋自身が云いだしたのか、編集者が意識して売り出したの
かは知らないが、ギコウ先生という呼び方も明らかに百鬼園
先生を思わせ、話題や語り口にも百鬼園風を意識したものが
多い。
全ての芸術は模倣に始まるとも言い、また芸は一代とも言う
が、世の中にはその巧拙とは別に絶対模倣出来ない芸がある。
例えば古今亭志ん生であり、内田百閒の芸である。
非常に屈折した人生体験により練り上げられた人間的矛盾が
その人と芸を混然とさせて、独自のキャラクターを作り上げ
たという点において、二人は似ている。真似などは絶対に
出来ようもないのである。

また微妙ながら、百閒と高橋の間には、生きて来た時代の違
いというのもあるのかもしれない。大正生れと明治生れの違
いなど、昭和生れにはさらに想像だに出来ない差ではあるけ
れど、明治中期から大正初期の約四半世紀におこった変動は、
昭和中期から平成にかけて起こった変動にも等しいものがあ
るかもしれない。
昭和35年生れの私が、感じて来た世界観、人間観を平成生れ
の子供達と共有しきれないように、江戸の残滓や明治初年の
闇を感じて育った百閒には、何処か自分自身もふくめた人間
全体に理で割り切れない掴みどころのなさを感じていたふし
があり、その辺が大正生れの高橋には感じられず、描かれる
世界が理に落ちてしまう所以ではないかと思うのだ。

明日、7月21日は1995年に老衰で83歳の人生を閉じたドイ
ツ文学者高橋義孝の命日にあたる。
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by shanshando | 2006-07-20 16:23 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 07月 18日

古本屋の掃苔帖 第二百七十七回 梅崎春生

先日、熊本から上京した学生時代の友人が、その昔とは打って
変わって、ネット右翼なるものになっていた。
もう一人、在京の友人も交えて久闊を叙したわけだが、話が「愛
国心教育」に及ぶと、再会まもなく「俺、実は今ネット右翼なんや」
と告白した熊本の友人だけでなく、在京の方の友人も「愛国心教
育」を擁護する立場を表明、二人は口を揃えて「自分たちの立場
は、圧倒的に少数派である」と云う。
本当にそうだろうか?私には、今や嘗てのノンポリもすべて右に
靡いているように見える。

熊本氏は、先ごろ例の知覧の陸軍特攻隊の記念館に出掛け、感
銘を受けたそうである。
若くして、無能な国家指導者の犠牲になって命を落とした人を愛惜
する気持ちは判るが、それだからといって特攻なんていう愚の骨頂
を賛美してもらっては困る。将来に亘って、いや近日中にも日本が戦
争に巻き込まれる危機がないとは云わない。いやむしろ危機はそこ
まで近づいていると思うべきだろう。だからこそ、「愛国心」を煽ったり
、「特攻」を賛美したりしてはいけないのだ。
戦争は町でチンピラ相手に喧嘩するのとは違う、頭に血が上ったほ
うが負ける。とりあえず不意打ちを食らわせて、後はひたすら逃げる
のが喧嘩なら必勝法たりえるが、戦争ではそんな事は通用しないの
は、この前の戦争で学習済みだ。北朝鮮がチンピラのならずものだ
からと言って、こちらが同じように頭に血を上らせていたのではしょう
がない。

話が又ずれたが、その知覧から西へ約20キロ行ったところにある坊
津に、こちらは海軍の特攻隊基地があった。有人魚雷「震洋」の基地
である。(有人魚雷!何処の馬鹿が考えたか知らないが、そんなもの
戦術でもなんでもない!)
ここで通信兵として、梅崎春生は敗戦を迎えた。この時の体験が結
局、梅崎文学の始まりと最後の命題となる。
始まりは昭和20年に発表した「桜島」であり、最後とは40年発表の
「幻化」である。
「桜島」は実は、梅崎の処女作ではないらしいが、作家として一般的
な認知を受けたのがこの作品で、途中「ボロ家の春秋」などのユーモ
ア小説も書くが、鬱と過度の飲酒に悩まされた最晩年また坊津の記憶
に立ち戻ったのだ。

梅崎春生は、「幻化」の発表後、肝硬変が悪化昭和40年の明日7月
19日亡くなった。
享年51歳。
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by shanshando | 2006-07-18 18:19 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 07月 16日

読書の方法

2006年7月16日日曜日 くもり


曇ってはいるけれど、この時間まで雨の降らない日曜日は久しぶりだ、
と思っていったいいつ以来なのか、当日の天気を簡単に書きこんでいる
上々堂の売上ノートをめくってみたら、どうやら6月4日以来のよう。
雨が降らないことに安心したのか、徐々に往来を行く人も増えてきたので、
このまま降らないことを祈るばかり。
みなさま、いかがお過ごしですか。

外出するときは、本が鞄に入っていないと落ち着かないので、たいてい
何かしら読みかけの本がありますが、どうも最近は読んだ本の内容を
すぐに忘れてしまう。
忘れてしまうほどつまらない本だった、ということでもない。こないだ
読んだこの本がおもしろかった、と人に説明しようとして、はた、と
立ち止まる。何がどうおもしろかったんだったか、断片的なエピソードは
出てきても、順序立てて説明することができないのだ。

おもしろかったのに忘れてしまうなんて、そんなの、本を読んでいる
意味があるのかしらと思う。本がなくては息もできない、という一方で、
もしかしたら自分はもう本なんてなくても、この現実世界だけで
生きていけるのかもしれないとも思う。そう考えることは少し恐ろしい。

感情移入を手がかりに本を読むのは間違いではないが、それが最良の
方法というわけではない、という作家の言葉をずいぶん前に読んで、
ではその「最良の方法」とはなんなのだろうと、ぼんやり考えて
みるけれど、読んでいる間はそんなこと思いながら読まないから、
いつまでたってもよくわからない。そうやってまた忘れる。

思い出さないままついわたしは、忘れるすきなんてこれっぽっちも
ないほどの、めくるめくおもしろい本があらわれるのを待ってしまう。
自分の集中力のなさを棚にあげて。
いったい、読書を仕事にしている人たちはどのように集中力をみがき
つづけているのだろう。それがまったく無理なく自然なことなのだと
したら、やはりわたしは本当には、本が好きではないのかもしれない。
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by shanshando | 2006-07-16 18:40