上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 09月 30日

古本屋の掃苔帖 第三百十五回 水谷八重子

筆まめな人であったのだろうか?
今までに二度、私は買取の中にこの人の旅先からの葉書を見つけて
いる。どちらも絵葉書で、旅先からの軽い挨拶状だが、売っていただい
た人は別々で、いくら紙モノをよく扱うといっても、10年ぐらいで二回も
出てくるというのは、よほど私が水谷八重子に縁があるか、それとも
水谷八重子が葉書を出しまくっていたかのどちらかで、可能性としては
断然後者だろう。

旅公演中の女優から手紙をもらうというのは、さぞ気分のいいものなの
だろう。別に特別な関係になくても、自分がすこしイイ男になったような
気がするのではないか。今の八重子も悪くないけど、やっぱり圧倒的に
先代のほうが美人だった。
新派というのは、私は生で見たのは一度だけ玉三郎主演の「皇女和宮」、
それでは観たことにならないかもしれないが、なんだか奇妙な世界だった。
女形と女優が一辺に出るというのは、なんだか曖昧な倒錯世界で、女形
の芸に焦点をあわせて観ていると、女優はなんだか汚く観える。イヤ言葉
が悪いかもしれないが、やはり女形のほうが透明感があるのだ。喩えて
言えば、女形は皮膚が薄紙で出来ていて、内部はエーテルだけという感じ
がするのに対して、女優は白粉の下には確実に肉があり、中には臓物が
びっちりと言う感じ。女優だけの舞台ならそうは思わないのだけれど。

初代のほうが美人とか書いたけど、私は生では初代八重子を観ていない。
しかし、写真で見るだに初代は一種の透明感があるように思える。それは
名女形花柳章太郎との研鑽の中で創られたものだったのかもしれない。
二代目八重子は素地が三の線ということもあるけれど、対抗するべき新派
専属の女形のスターに恵まれなかった事も、苦闘の一因になっているのか
もしれない。

初代水谷八重子は1979年の明日、10月1日乳がんのため死亡した。
享年74歳
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by shanshando | 2006-09-30 14:53 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 09月 29日

古本屋の掃苔帖 第三百十四回 山岡荘八

出張買取に行って出会うと、思わずため息の出てしまう本がある。
「お声がかかればこまめに出張」が信条なので、少量でも喜んで
出張するのだが、やはりどうしょうもない本というのがあって、その
代表選手がこの山岡荘八の「徳川家康」である。
需要より供給が完全に多すぎてどうしようもないタイプの本である。

出張買取の依頼の折は、出来るだけ本の種類、タイトルなどを聞く
のだが、「徳川家康」の名前が出るとその買取は、かなりの確率で
はずれと思って間違いない。その時点でもうすこし内容を聞いてみ
て、お断りしてしまう場合もある。
同じ時代小説のベストセラーでも「竜馬がゆく」の名前があがった時
は、その他の本もあまりハズレがない。しかし「徳川家康」を一番にあ
げるお宅からは、失礼ながら殆ど良いものが出ない。
何故だろう?

両者の執筆開始には8年の開きがあるが、出来上がったのは、ほぼ
一緒。「家康」が1950年から1967年、「竜馬」が62年から66年。
ほぼ同時代の小説と言っていいと思うが、買取に行ってみると読者
層の違いがあるようだ。「竜馬」のほうが圧倒的に若い人が多いのだ。
これは、主人公のキャラクター設定の差であると思われる。
隠忍自重の家康に対して、自由奔放の竜馬。体制の創造者である家
康に対して、解体者である竜馬。歴史上の人物としての両者の存在と
いうより、書き手としての山岡荘八と司馬遼太郎の時代感の違いであ
るかもしれない。

山岡荘八は戦前に編集者から転向した作家であり、この小説を書き
出した当初は、未だ公職追放の身であった。敗戦後の生活をやがて
立ち上げられるべき新しい体制への雌伏の時と感じた山岡に対して、
すべてのイデオロギーやそれによって打ち立てられる体制に対して、
懐疑的だった司馬。どちらも当時の国民感情には沿ったものでありな
がら、変遷する時代風潮の中で、司馬は生き残り、山岡は色褪せて
いったのかもしれない。
いや、高々古本屋の買取体験から偉そうなことを言っちゃうナァ、僕って。

山岡荘八は、1978年の明日、9月30日ホジキン氏病という病気で71
歳の生涯を閉じている。
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by shanshando | 2006-09-29 15:19 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 09月 28日

古本屋の掃苔帖 第三百十三回 ルドルフ・ディーゼル

ガソリンの値上げに伴って、いろんな物の値段が騰がってますね。
私は原付しか持っていないので、直接的な影響は少ないのですが、
給油の度に支払う金額はこの一年で、驚くほど騰がりました。
そこで、というかまぁダイエット効果もねらって、今日から買取りが無
い日の出勤は新調した自転車。
新調なんて、見栄はっちゃったけど、じつは先日の休みに小金井にある
シルバー人材センターのリサイクル事業で中古を買って来たのです。
西荻窪の家から上々堂まで25分。うーんなまっているなぁ。
せめて、20分にしたいものですが、まぁ安全第一。

私のように、本の輸送も必要な時だけ赤帽さんに頼んじゃう古本屋は
値上げの影響も軽微ですが、車なしでは出来ない事業者の方は大変
でしょう。私たちの住んでいる社会は本当に車なしでは成り立たない社
会になってしまいました。
正月やお盆など、車が東京の街から激減すると、驚くほど空気が美味し
くなって、それはつまり普段汚染されている空気に慣れっこになっている
ということだなぁ、と思うと恐ろしくもあります。

自動車の排出ガスによる汚染を食い止めるため、事業用以外の車にか
ける税を引き上げるとかすれば、大分排出ガスも減るだろうし、消費税の
引き上げ等もしないで済むと思うのですが、経済や雇用の事を考えると
自動車産業を圧迫するような政策は取りづらいのでしょう。
まさに自動車王国である愛知県の豊田市など、わざと鉄道施設をお粗末
にするなどして、町全体が自動車会社に仕えている感があります。

近年、自動車産業も環境問題に無関心であるなどとは、言いにくくなって、
エコカーの開発にこころがけていますが、一説によると実はもうとっくに究極
のエコカーが開発されているのに、石油メジャーがその完成を阻んでいると
いいます。超巨大資本のエゴがやがて地球を食いつぶすというわけです。

ルドルフ・ディーゼルがディーゼルエンジンを開発したのも、当時の大資本
が能率の悪い蒸気エンジンを独占していたのに反発し、農民や職人など零
細事業者が使い易い動力をもとめてのことだったそうです。燃料も植物油を
使い、原料の調達も自分たちで出来る理想のエンジンだったわけです。
現在、ディーゼルエンジンは粒子状物質のこともあって、なんとなく分が悪い
感じですが、バイオディーゼル燃料を使えばよりクリーンなエンジンになると
言います。

バイオディーゼル燃料は、廃食用油にメタノールを混ぜるだけで、家庭でも
簡単に作れ、普通のディーゼルエンジンにそのまま使用出来ます。
地球温暖化対策京都会議以来、京都市ではその普及に勤めているらしいで
すが、日本では補給施設などが完備されていないため、その使用は地方公
共団体等に限られているようです。
世田谷区でたしかバスを走らせていますよね。何度か出会いましたが、天麩
羅をあげるような匂いなので、二日酔いの時はキツいかもしれませんが、軽油
の黒煙を浴びせられるのにくらべれば遥かにいいです。

ディーゼルエンジンの生みの親ルドルフ・ディーゼルは、1913年の明日9月29
日イギリス海峡を渡るフェリーの中で姿を消します。自殺ともいわれ、また諜報
機関による暗殺説もあります。享年55歳
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by shanshando | 2006-09-28 14:57 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 09月 26日

古本屋の掃苔帖 第三百十二回 大友柳太朗

伊丹十三監督の「タンポポ」で、東海林さだお流のラーメンを食べる
作法を解説していたお爺さんといえば、若い人にはわかりが良いかも
しれない。
嘗ての時代劇映画のスターであり、元をただせば新国劇の辰巳柳太
郎の弟子で、従って緒方拳とは相弟子ということになる。年齢からいっ
て大友が先輩になるのだろう。

オトガイが張って、鼻が立派で、間違っても女形にはなれない顔だ。
容貌という言葉がぴったりするこういう顔は、最近めっきり見なくなっ
た。
その顔で、ショージくんの作法を大真面目にやるところが面白かった。
思い出すとラーメンが食べたくなる。

先日なんの本だったか忘れたが、黒澤明の「七人の侍」を観たある
映画監督が、村人たちの顔を見て、「昔の映画監督はよかった。これ
だけの顔は今集められない」と云ったということを読んだが、確かに
いわゆる多彩な民衆の顔というのも得がたいだろうが、大友柳太朗の
ような「ご立派顔」も今では得がたいだろう。

俗に鼻の大きさは、男性器の大きさに比例すると云い。同時にそれは
精神の剛健さもイメージさせるが、立派な容貌に似合わず繊細な神経
の持ち主であったと見え、晩年、セリフの覚えが悪くなったことで、老人
性痴呆になったのではないかと思い込み、ノイローゼになったという。
今際のきわになって、「仕事をいれてくれ」と事務所に言ったというアラ
カンと言い、役者は死ぬまで役者であることから離れられないものらし
い。

1985年の明日9月27日、怪傑黒頭巾大友柳太朗は、自宅のあるマ
ンションの屋上から飛び降り、自死した。
前日の26日には、「タンポポ」の伊丹十三と、やはり遺作になったテレビ
ドラマの監督に電話して、自分の出番がすべて撮り終えた事を確認して
いるところが律儀さを感じさせる。いや、もしそのどちらかが「もう一度
撮り直しがでるかもしれません」と言っていたら…。
享年73歳
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by shanshando | 2006-09-26 16:45 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 09月 24日

古本屋の掃苔帖 第三百十一回 高橋展子

1980年7月17日、その前年の国連総会で採択されたひとつの
条約に日本が署名している。
「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」である。
この時、日本を代表して署名したのが、日本初の女性大使として
デンマークに駐在していた高橋展子である。
翌年発効したこの条約を、日本の国会はその五年後の1985年に
承認、その年の7月から効力が発生していることになっており、
現在でも、組閣のたびにおまけのように報告される「女性問題担当
大臣」というのは、この効力によって出来たものらしい。
つまり、効力発生以来今年は、21年目にあたるわけだが、はたして
この国から女性にたいする人権侵害は消えただろうか?
男女雇用機会均等法などの法律が施行され、改善されたところも
あるのだろうが、権力機構の中枢に居座る人間達の思考のなかに
あきらかな女性蔑視があることは、先般からの皇室の騒ぎからもあ
きらかである。
高橋展子の残した言葉に「 Girls, be ambitious, and patient.」
というのがある。ambitiousはともかく、patientは時と場合によりけ
り、ではないか?

条約署名から10年後の1990年の明日9月25日高橋展子は亡くな
っている。
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by shanshando | 2006-09-24 13:57 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 09月 23日

古本屋の掃苔帖 第三百十回 パラケルスス

名前のつけ方というのは流行があるようでして、団塊の世代は、女の子
だと「マ」の字の付く名前「マヤ」「マオ」「マミ」「マイ」などをつけたがりまし
た。どこかヒッピームーブメントの匂いがしますね。
今だと、男の子の殆どというと大袈裟ですが、かなりの数が「ユウキ」「ゲ
ンキ」「ユウダイ」などの名前をつけられています。バブルがぽしゃった後
の景気づけというところでしょうか。
文字のほうも、「元気」「源喜」「雄基」「雄大」など、景気よさそうですが、あ
んまり「幻鬼」「幽陀忌」なんていうのは好まれないようです。「有機」なん
ていうのもなんだか臭そうですね。

さて、16世紀ヨーロッパの代表的錬金術師であり、医学者であり、ホムン
クルスを創ったという伝説のオカルティストであるテオフラスト・ボムバスト
・フォン・ホーエンハイムの別名パラケルススというのは、彼が学んだ当時
のイタリアでは、外国からやってきた学生は名前の発音が難しいため、そ
れぞれにラテン語の学者名をつけさせた。その学者名であるわけですが、
意味は、古代の医学者ケルススをしのぐという事だそうです。
つまり、現代日本に当てはめるなら、超野口英世とか超ブラック・ジャック
とかいうことになるでしょうか。その名前のつけかたに顕れた通り傲慢な性
分だった彼は、当時の医学者としては、卓抜した技術と探究心をもちながら、
(癌なども治したという伝説を信じるならば、現代でも卓抜しているといえる
かもしれませんが。)人と和さず。行った先々で敵を作り、揉め事をおこし、
1541年の明日9月24日、ついにザルツブルクの酒場で喧嘩相手に殴り
殺されます。
享年48歳
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by shanshando | 2006-09-23 13:28 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 09月 22日

古本屋の掃苔帖 第三百九回 ジクムント・フロイト

1900年に出版された「夢判断」の初版は2年間で、やっと228部しか
売れなかったという。現在、私たち古本屋は一軒で1年に何セットの
「夢判断」を扱うことだろう。学術的には、反証可能性の欠如からその
価値を疑問視されているこの書物は、そうなってからむしろ多くの読者
を獲得し続けている。もはや、学術書というより、文学、芸術、いやファ
ンタジーといったほうが当たっているかもしれない。

本来、ファンタジーは現実社会に寄与するために創られるものではな
いが、現実社会のほうでは、つねにファンタジーに救済を求めている。
フロイトの「夢判断」は、現実生活に寄与するための学術書として生み
出されながら、著者の意に反してファンタジーの高みに転じた稀有な
書物だといえるかもしれない。

「夢判断」以降の著作で、一部には汚らわしい理論と反発を受けながら、
徐々に精神分析に対する社会的な認知を勝ち取り、世界的な著名人
となったジクムント・フロイトは、1923年4月に受けた口蓋に出来た白
板症の手術で発見された癌のため、合計33度にわたる手術を受け、
やがて迫り来たナチスの魔手から逃れる為亡命したロンドンで、1939
年の明日9月23日、自ら選んだ安楽死によって人生を閉じた。
享年83歳
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by shanshando | 2006-09-22 17:25 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 09月 21日

古本屋の掃苔帖 第三百八回 横井庄一

想像できる範囲内で、一番辛いことってなんだろう?
喉元過ぎれば熱さを忘れる、というように、実際自分が過去に
体験した辛さというのは、時間の経過と供に薄らいでいく。
特に、当事者が自分一人の場合、貧困も病苦も後になれば、
左程のことはなかったように感じられる。
あの時は辛かったけど、今生きてるんだからいいやと思える。
しかし、他者が絡んで来る辛さというのは、なかなか癒し難い。
その人と会ったり、思い出したりするたびに辛さが蘇る。

戦後四半世紀以上経って、グアム島で発見され、世間に注視
されながら帰国した横井庄一元陸軍伍長は、兵隊に行く前に
習い覚えた技術を生かして洋服の仕立屋としての生活を志す
が、事業が波に乗らなかったのか、廃業して耐乏生活評論家
なるものになり、全国を講演して廻り、担ぎ上げられたのか、自
分から望んだのかは知らないが、参議院選挙にも出馬したりし
ている。
戦前実直な職人を目指した彼にとっては、人より永い戦中を経
て、戻って来た戦後日本での生活は、なんだか身の置き所のな
い、宙に浮いたような生活ではなかっただろうか?
グアム島の密林での生活の辛さは、人に語るうちに対象化され、
薄れて行ったかもしれないが、過剰な人の渦に飲み込まれた、
彼にとっての戦後は尚辛いものだったような気がする。

明日9月22日は1997年に心臓発作で死亡した横井庄一さん
の命日である。
享年82歳
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by shanshando | 2006-09-21 16:53 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 09月 16日

古本屋の掃苔帖 第三百七回 桜井忠温

日本文学でおそらく初めて、多数の外国語に翻訳、出版され
世界的なベストセラーとなった「肉弾」の著者である。
死者5000人、負傷者10,000人という膨大な犠牲者をだした
旅順攻囲戦 第一回総攻撃に旗手として参軍、機関銃で体中を
蜂の巣にされ、危うく死体として処理されかかりながら生還、右手
の自由を失ったため、左手で旅順戦の実情を書き、軍人作家として
名声を得た。

「肉弾」と言う言葉は、今でも格闘技番組の実況中継などで使われ
るが、この小説によって桜井が創った造語であり、戦前は「肉弾
三勇士」「肉弾戦」などの単語を派生させ、国民の戦意高揚に利用
された。
戦後数年経つとむしろ、ポルノ小説や映画などのタイトルに用いら
れるようになり、現在私などはこの言葉を聞くと、ハードゲイの人々
が激しく絡み合ってる姿を想像してしまう。平和だなぁ!

第二次大戦前は陸軍の報道局長などを務めたり、退役後も悠々自
適であったが、やがて生まれ故郷の松山に帰り、敗戦により戦犯に
指定、家の前に「戦犯」と書かれるなどの嫌がらせを受けたりして、淋
しい老後だったようだ。
時の威勢をかりてつまらない嫌がらせをするような奴というのは、い
つでも、何処の国でもいる。

桜井忠温は1965年の明日9月17日亡くなっている。
享年86歳
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by shanshando | 2006-09-16 14:35 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 09月 15日

古本屋の掃苔帖 第三百六回 市川右太衛門

涼しくなってきて、食べ物が何でも美味しい今日このごろ、
お腹周りの脂肪が気になる方もいらっしゃるのではないで
しょうか?
成人病との関係もいろいろあるようなので、出来れば落とし
たいものですね。
私は、10月にまた踊ることになって、今月はじめからダイ
エット中です。
40過ぎた頃から太りやすくなって、初めはかなり無理な
節食や、過度の運動をしたのですが、節食中心のダイエッ
トは、リバウンドが怖いし、過度の運動は余計な筋肉をつけ
てしまって、美しくない。今は、おもに軽度の有酸素運動に
よるダイエットで、ひと月5キロ程度を目安に落としています。

なんだか、いきなりオカマ野郎な始まりかたで、ごめんあそ
ばせ。
それが一体、「退屈男」のおっさんと何の関係があるんじゃい?
とお怒りのむきもあることでしょう。
私が云いたいのは、日本人のスタイルにたいする美意識の
変遷なのであります。

「天下無敵の向う傷、直参旗本早乙女主水之介、人呼んで
旗本退屈男、わは、わは、わはははは」というきめゼリフで
おなじみの、市川右太衛門は香川県の鉄工所の息子として
生まれ、芸事好きの父親の影響で日本舞踊を習い、やがて
歌舞伎の世界に入るですが、門閥外であったため、映画に
転進、後に片岡千恵蔵とともに東映の重役俳優となります。

当時数多く居たであろう歌舞伎の大部屋役者の中から彼が、
頭角を顕せたのは、その立派な押し出し、風姿のためだといわ
れています。つまり、スタイルがかっこよかったわけです。
今、退屈男の映画を観ると、なんでこれがかっこいいんだ?
と思わざるを得ない、4頭身の身体、腹がせりだし気味で、顔
がやたらでかい。当時はこれがかっこ良かったんですな。

今は、若い男の子も極端に痩せていますが、私の子どもの頃
は、こういう人は「蚊トンボ」とか「欠食児童」とか言われて虐め
られました。
私自身も子どもの頃はガリガリで虐められっぱなし、全然もて
なかった、つくづく生まれる時を間違えたと思います。
大きくなったら、父親や周りのおじさんたち、あるいは退屈男の
おじさんのように、恰幅のいい大人になりたかった。
それが、なんたることでありませう、来る日も来る日も仏さまに
供えるような量のご飯をチュンチュン食べ、鏡の前でクネクネク
ネ、そこまでして痩せたいかっ!?
痩せたいですぅ。尿酸値も高いし。

明治の初め、都市部では一般の日本人が外国人に接する機会
が増え、自分たちがかなり貧弱な身体をしている事に愕然とした。
禽獣並みと思っていた西洋人はともかく、お隣の朝鮮の人まで、
自分たちよりかなり立派な体格をしている。それはかなりショック
だったらしく、後に併合してからは、被占領国民くせしやがって俺
たちよりでかいとは生意気だと、そんなことでまで難癖つけている。

このあいだ明治の落語家の速記を読んでいたら、明治になって
人間が小さくなった。おそらく西洋と付き合って頭を大変使わなく
てはいけないから、頭にばかり栄養がいって、体に回らないんだ
ろう。ということを云っている。
勿論ほんとうに人間の寸が縮んだんじゃなくて、周りに大きな人
が増えたから、自分たちの小ささが際立ったわけですが、落語
の枕で使われているところをみると、よほど庶民も実感していた
んでしょうね。

もっとも、体格がでかいのが偉いかというと、勿論そんなことは
ないわけで、世界から飢餓による死者を減らす為には、資源を
余分に蕩尽する肉食をみんなで控えて、体もコンパクトになって
いくのが好ましいんでしょう。

だんだん話しがずれていってしまいましたが、4頭身大顔の故に
着物が似合い、ひとつの映画のなかでストーリー上の必然とは
関係なく、デーハーな着物を何着もお召し変えした右太衛門は、
「ここで別な衣装に変っているのは不自然じゃないですか?」
という質問にたいして、
「いいんだ。観客はストーリーじゃなく俺を観に来ているんだから」
と答えたという。右太衛門の後にも映画スターというのは何人も出
ているがこんなセリフが云えた役者は後にも先にもあんまりいな
いだろう。
映画が大衆娯楽の王様だった時の御伽噺である。

明日9月16日は、1999年に老衰で亡くなった市川右太衛門の命
日である。
享年92歳。
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by shanshando | 2006-09-15 15:54